気仙沼市、大槌町、陸前高田市に行ってきました。第3陣でAさん宅の泥だしと洗浄と大工工事を約束したので今回より数回にわたり、専門の大工数名を加えて派遣することにしました。
宮城県気仙沼市のAさん宅は自宅が海から300mのところにあり全壊。今住われている元事務所(印刷所)は海から2Kmぐらいの場所にありましたが、1.5m床上浸水。次の日に海水は引きましたが3cmの泥がたまりました・・・。こびりついた泥やヘドロを洗い流す掃除が中心ですが、使用不能となった機械などの撤去作業、運搬作業もしました。
初日は、女性の方々は障子や襖、ガラス窓、生活用品などを外で洗浄しました。小さい日常の生活用品が少しずつきれいになると、不思議に先の希望が見えて来るのを感じました。男子は多くの使用不能となった物を外に持ち出し捨てました。思い出のつまった物を家族本人達が捨てるのは大変のようです。他者の協力が必要な作業であると感じました。また、適切な作業道具が必要と思いました。一日目は17時30分の暗くなるまで作業をしました。
2日目、3日目は、アガペーCGNチーム6名全員で清掃作業をしました。Aさん家族3名も加わりました。Aさん家族もお疲れと思いましたが、大きな一つの山場なのでがんばっておられました。男4人、女2人は大変効率が良く、男が4人重い物を四隅持ち、女性が小間物をきれいにする組み合わせは良いと思いました。
Aさんが所属している気仙沼第一聖書バプテスト教会は津波で基礎を残し、流されてしまいました。そこで、これからの礼拝場所として印刷所を当面の礼拝場所として提供しようとしています。そのような中、今回のミッションの一つは、住宅と印刷所の洗浄です。また、もう一つは、印刷所の中に礼拝スペースを創出することです。また、早期に仕事を開始できる環境を整えることです。次回は資材を持ち込んでの大工工事が必要になります。幸いにクリスチャンの大工さんがボランティアを申しこんでくださっています。
床の下まで泥が入っています・・・。床をはがして、専門の大工さんによる大工工事。電気は発電機で使用。
Aさん宅。家の修理。地震で扉のかみ合わせが悪くなり、開閉できなくなっていました。Aさんは、「この扉はもう使えない」と思っておられましたが、無事修理でき、喜んでいただきました。
気仙沼第一聖書バプテスト教会の床がオープンしました☆相当重かったです・・・。
<大槌町、陸前高田市に物資支援>
物資配布(大槌町)
積み降ろし許可をいただき、避難者の皆さんも積み降ろしを手伝ってくださいました。ぼそっと漏らす言葉の中に必要な物といらないものをかぎわける心配りが必要だと思いました。こちらから何が必要ですか?と聞くのも、こころから仕える思いで尋ねないと、なんだか支援の押しつけになってしまいかねないと思いました。ここは比較的小所帯の避難所で自衛隊や行政の物資も届きにくいところです。下着や子供服などあまねく物が必要です。ガソリンも最も必要な物資です。国道45号沿いにはまともなガソリンスタンドがほとんどありませんでした。まだまだ、一般の人にはガソリンはとどきにくく、最も喜ばれました。
A避難所
ご高齢者は多いけれど高齢者用おむつは不要とのことでした。おむつなどは介護施設など限られたところのようです。食料はどこのところでも喜ばれました。昆布の佃煮は喜ばれました。また、PC、コピー機、事務機器が必要との要望がありました。避難所内外で情報をやり取りしたり発信したりする段階にさしかかっていることを感じました。
陸前高田教会
M先生と廃墟と化した町の中で落ち合い、教会にお伺いしました。目の前まで迫った津波の後が生々しく、報告では聞いていましたが、現場で聞くあかしは迫力がありました。運んだ物資が教会を通じて地域に平等に必要に応じて分け合われている様子をお聞きし感謝でした。また、訪問中に地震がありました。ゴーッと音が先に聞こえてそれからグラッ。音の前に『地震が来る』と感じ取るM田先生らの感覚の鋭さの中に、現地でなお渦中に闘う方々のご苦労を思わされました。祈って教会を後にしました。国道45号線の三陸海岸の陸前高田を始め、鉄の町釡石市、大槌町、三陸町、気仙沼など、被害は甚大で言葉を失いました。滞在した気仙沼や大槌町は輪をかけて火災の跡で瓦礫がすすけていた。それぞれの街の被災者の痛みと回復の祈りをさらに強くしました。
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