物資の積み込み作業と、人力でのガソリン給油

灯油、米、水、お菓子、カイロ、防寒着、タオルなどの物資を積み込んでいる様子です(左)。被災地ではガソリンスタンドは津波で流されていましたが、地下にあるガソリンタンクは無事で、人力でガソリンを支給しました(右)。

被災地の小学校でのコンサート

岩手県のA小学校でのコンサートの様子です。1年生が特にノリノリでした。演奏に合わせて、全身でトトロの「さんぽ」などを歌ってくれました。

泥だし作業

海から2Kmぐらいの場所にあった事務所も、1.5m床上浸水の被害に遭っていました。次の日に海水は引きましたが、3cmの泥がたまっており、そのこびりついた泥を掃除している様子です。

岩手県での炊き出し

岩手県大槌町で行った炊き出しの下ごしらえをしている様子です。250人分の食事を用意することは相当な力仕事でした(左)。右の写真は、岩手県陸前高田市での地域の人々との昼食会(炊き出し)です。

被災した家の修理と、一軒一軒回っての物資支給

地震でかみ合わせが悪くなり開閉できなくなってしまったAさん宅の扉を、修理している様子です(左)。被災地の一軒一軒に声をかけて、物資を届けました(右)。

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2011年4月10日

第3次:4月3日(日)~7日(木) 宮城県(仙台市、塩竈市、多賀城市、気仙沼市、東松島市、南三陸町)、岩手県(大船渡市、釜石市、大槌町)

宮城県(仙台市、塩竈市、多賀城市、気仙沼市、東松島市、南三陸町)、岩手県(大船渡市、釜石市、大槌町)に行きました。

地域差もありますが、徐々にガソリンスタンドが動き出してきています。震災後みられた何キロにもわたるガソリンを待つ列は相当短くなってきました。しかも、「緊急車両」の許可書をもっていたら、待つことなく優先的に別のレーンで給油できました。

「ガソリン」は多くの被災地でもお金があれば手に入るようになってきましたが、今度は、多くの人が職場や交通手段の被災のために、失業となり、収入が入らないので、ガソリンも食べ物を買うお金もない・・・という事態に陥りました。そこで、アガペーCGNは食料支援・生活物資(灯油、マスク、靴下、下着、トイレットペーパー、ウェットティシュ、おむつ、タオルなど)支援中心になってきました。そして、震災後3週間になると、「毎日、レトルトご飯とふりかけか、パンか、カップ麺なので元気がなくなってきた。おかずがほしい。野菜がほしい。果物がほしい。おやつがほしい。・・・」という声があちこちで聞かれるようになってきたので、「色々な種類のおかず」「野菜」「みかん」「お菓子」を届けてきました。

<気仙沼市の様子>





<大槌町の様子>




説学校の校舎の中、廊下に車が・・・

被災地のど真ん中に咲く桜

大槌町で物資支給

「あの船がのってるのはおらん家だよ~。おっかなくて帰れない」という方にお会いしました・・・。4階建てか?大きな家の上に巨大な船が乗っています。いかに津波が大きかったかの証拠です。


物資支給

すごく細くクネクネした山道を通って移動するしかありません。


朝は15cmほどの水かさが、夜には、50cmほどに・・・釘を踏まないように祈りつつ300mほどの距離を移動。


宮城県気仙沼市の全壊した教会跡でお祈りしました。



気仙沼市のAさん宅(印刷所)

気仙沼市のAさん宅(印刷所)

イスラエル医療チーム(南三陸町)

2011年4月3日

第2次:3月27日(日)~31(木) 宮城県(仙台市、塩竈市、多賀城市、女川市、石巻市、気仙沼市など)、岩手県(陸前高田市)に物資支援

宮城県(仙台市、塩竈市、多賀城市、女川市、石巻市、気仙沼市など)、岩手県(陸前高田市)に物資支援に向かいました。

2トンロングトラック、2トントラック、1トントラック、バン3台です。トラックに灯油を容器に40個以上、水をポリタンクにたくさんつみました。また、おかし、パン、みかんなどのすぐに食べられるものを大量に送りました・・・(第一陣で「ガソリンが必要」と言われたのですが、私たち小さな団体でガソリンを準備して運ぶことは不可能でした)。





2011年3月26日

第1陣:被害の様子 塩竈市、気仙沼市、女川市、陸前高田市

第一陣で支援に向かった塩竈市、気仙沼市、女川市、陸前高田市の被害の様子です。