物資の積み込み作業と、人力でのガソリン給油

灯油、米、水、お菓子、カイロ、防寒着、タオルなどの物資を積み込んでいる様子です(左)。被災地ではガソリンスタンドは津波で流されていましたが、地下にあるガソリンタンクは無事で、人力でガソリンを支給しました(右)。

被災地の小学校でのコンサート

岩手県のA小学校でのコンサートの様子です。1年生が特にノリノリでした。演奏に合わせて、全身でトトロの「さんぽ」などを歌ってくれました。

泥だし作業

海から2Kmぐらいの場所にあった事務所も、1.5m床上浸水の被害に遭っていました。次の日に海水は引きましたが、3cmの泥がたまっており、そのこびりついた泥を掃除している様子です。

岩手県での炊き出し

岩手県大槌町で行った炊き出しの下ごしらえをしている様子です。250人分の食事を用意することは相当な力仕事でした(左)。右の写真は、岩手県陸前高田市での地域の人々との昼食会(炊き出し)です。

被災した家の修理と、一軒一軒回っての物資支給

地震でかみ合わせが悪くなり開閉できなくなってしまったAさん宅の扉を、修理している様子です(左)。被災地の一軒一軒に声をかけて、物資を届けました(右)。

2011年6月25日

第12次:6月19日(日)~23日(木) 岩手県、宮城県の沿岸部 福島県

6月19日(日)~23日(木)にかけて、岩手県と宮城県の沿岸部と、福島県を訪問しました。

4人で、頼まれている物資の配達と、再度ニーズ調査に車2台で出かけました。現地でも、車一台ずつで2か所に分かれて調査を行い効率的に動きました。今回、ニーズ調査をすることになったのは、この3か月で状況がかなり変わってきたからです。仮設住宅に入居する人、避難所で続けて生活する人、友人宅や親戚宅に避難されている在宅避難者の方々、直接家が流されたりしていないけど心理的に・経済的・物理的に被災されている方々・・・。

今回のニーズ調査で、アガペーCGNとしては、岩手県大槌町に継続的に支援を続けていくことに確信をもちました・・・。また、今回福島支部も訪問しましたが、改めて「水が必要だ!」と再確認しました。

6月19日(日) 一路一関へ。

6月20日(月)8時45分出発。

峯野師の恩師でのある先代の小原十三司(おばらとさじ)師出身教会の岩手県土沢教会を訪ねる。その後、小原師の墓前礼拝。


車中で昼食後、陸前高田市に移動し、2チームに分かれてニーズ調査。

6月21日(火)5時半過ぎに出発。

遠野の道の駅で、2チームに分かれる。Aチームは、まず、大槌町の小学校に頼まれていた水泳のバスタオル400枚ほどを届けました。そのあと、幼稚園に虫よけスプレー、虫さされの薬、防虫剤、うがい薬、目薬・・・を届けました。共に非常に喜ばれました。その後、山田町(やまだちょう)のニーズ調査。

水泳の巻きタオル

遺跡のような住居跡

炊き出し

がれきの山

鉄くずの山

木の山

Bチームは、釜石市から大船渡市をリサーチすることになりました。19時頃遠野に帰り合流。


6月22日(水)6時半起床、9時半大槌着。

在宅避難者の人たちに下着、服、虫よけスプレー、虫さされの薬、防虫剤などを届けました。地元の有力な協力者のAさんは、震災以来、やることが多く、毎日の睡眠は3時間位だそうです。この6月で行政の物資配布等の在宅支援は終わるようで、これから物資面においても引き続き支援が必要なので助けてほしい旨、依頼がありました。



6月23日(木)5時起床、6時20分出発。

Aチームは宮城県塩釜市と石巻市にそれぞれ赴きニーズ調査。Bチームは宮城県名取市(なとり)、岩沼市、亘理町(わたりちょう)、大河原町付近をリサーチした後、福島県郡山市のアガペーCGN福島事務所と倉庫に立寄り交わりの時を持ちました。



福島支部の物資倉庫

2011年6月19日

第11次(日韓合同チーム):6月14日(火)~17日(金) 石巻市

畑の表面のヘドロをとっています。クタクタになりましたが、やりがいがありました☆



溝のヘドロをとっています。


バーベキューの炊き出しもしました☆

2011年6月12日

第10次(日韓合同チーム):6月7日(火)~10日(金) 気仙沼市

韓国チームと日本チームが一緒になって出発。まずは、気仙沼市内の全壊した教会跡でお祈りの時をもちました。



今回は、テレビのアンテナ(配線)工事と泥だしボランティアに向かいました。



アンテナ工事はいつものことながら、見ている方がヒヤヒヤしますが、本人たちは楽しそうです(笑)。


屋根に上ってテレビのアンテナを付けています。屋根から落ちないように注意していますが、とにかく命がけです。







初めて泥だしをする人がほとんどでしたが、相当疲れたようです。よく頑張った証拠です☆

2011年6月11日

第9次:6月5日(日)~9日(木) 大槌町の3か所で炊き出し

在宅避難者に野菜や灯油など前回に依頼のあった物資を届けました。また地元の方の紹介でこの地区の一番海側の古い町営住宅の方々に灯油や野菜類、その他の物資を持って行きました。国や行政では、届かないところに、神様の愛を届けるのがアガペーCGNの働きです。地域のみなさんに大変喜ばれています。

5日(日)は一関の拠点で明日の炊出し準備のため深夜遅くまで・・・。

6日(月)5:30に起床し、静かに積込み。5時間ほどかけて炊き出しの予定場所に到着。既にテントが張られ、ポスターが貼られていました。調理場を使わせて下さり、コンロをセット。一人はハンドマイクを持って付近を周って炊き出しを周知しました。12時半頃には出来上がり、並んでいた方々に配布していくが、皆さん鍋を持って家族や同居する方々の分も含め6人分、8人分と求められる人も少なくなく、15分ほどで250食は殆どなくなってしまいました。残りは避難所に夜帰って来られる方々のためにおいていきました。






その後、大槌町役場跡で献花を献げお祈りを捧げました。


7日(火)は、Tで炊き出し。避難所にある調理場や玄関の煮炊き場は広くないので、駐車場にテントを2張りはって準備しました。

避難所には50名ほどがおられ、付近の在宅の方は90世帯、200名ほどの方がおられるようです。避難所方々を始め、近くの在宅の方々も歩いて、又は車で来られる方々が並ばれた。12時前から並び始め、熱い中、列が出来ました。昨日とは違い、大体こちらの用意したプラ容器で家族の分を持って行かれました。あん蜜のみを求める方もあり、200食のあん蜜と、主食のない方用に用意した100名分のパンは、すぐになくなってしまった。ポトフもあとでポツリポツリと来る方々差し上げ、残りは避難所の夜帰って来る方のために、避難所の鍋に移しました。避難所の方々と、在宅の方々ではやはり壁のようなものがどうしてある模様。東京より献げられた婦人用の帽子を1箱物資として持ってきていましたが、それも皆さん喜んで持っていかれました。

また、何か手伝うことはありますかと声をかけて下さるクリスチャンボランティアの方もあり、4名の人が明日の仕込みを手伝って下さった。その内二人はNとAという外人青年で、Nは宣教師の御子息で日本語も上手。またあとの二人はOというクリスチャン夫妻で、香港にいて木内先生のことも知っておられました。




8日(水)は、O避難所で250人分の炊き出し。避難所のみなさんが直接炊出しを取りに来ることはなかったですが、皆さん方から挨拶をして感謝を現わして下さりました。






2011年6月9日

ガソリンの給油

大槌町には、自衛隊の給油地(ガソリンスタンド)がありますが、「自衛隊などの緊急車両」でないとガソリンを分けてもらえません。第6陣で「大槌町に一つだけ民間の車でも給油できるガソリンスタンドがある」と情報を得て行ってみると・・・なんと「自転車」のようにこぐとメーターが回り、入れたい量だけ給油できる人力の「震災用のガソリン給油機」でした。たぶん、東北でも使用しているのはかなり珍しいです・・・みんな初めて見ました。

ガソリンスタンドは津波に流されましたが、地下にあるガソリンタンクは無事でした。ペダルをこぐとガソリンが入ります。第6陣以降毎回ここで給油しています。




2011年6月5日

第8次:5月29日(日)~6月2日(木) 陸前高田市、大槌町の9か所でゴスペルコンサート

アガペーCGNでは、第一陣から「物資支援」「泥かき」「家のがれきの撤去」などをいくつかのチームに分かれて行ってきましたが、徐々にニーズが変わってきており、最近では、「炊き出し」「散髪」「ゴスペルコンサート」などの希望が増えてきました。

そこで、今回は、世界的なサックス奏者の日比野則彦さんと、プロのギターリストのNさんによる素敵な音楽を被災地に届けさせていただきました。ちなみに、陸前高田市と大槌町(おおつちちょう)では、体育館は物資倉庫か教室、運動場は仮設住宅か駐車場というのが一般的です。

訪問先もいろいろで、幼稚園、小学校、中学校、老人ホーム・・・幅広い年代の方々に届けることができました。もちろん、訪問先によって選曲も変えました。ただし、アメージンググレースの由来を説明したうえで、それだけはどこであっても歌いました。事前に代表者の方と連絡をとってリクエスト曲を伺い、アガペーCGNと演奏者についてのプロフィールと共に詳細を各代表に郵送でお届けしました。

30日(月)は陸前高田市の「小学校」と「中学校」を訪問しました。


訪問先では、どこでも写真のように歓迎されているのがよく伝わってきました。



小学校では、5・6年生が元気いっぱいに歌ってくれ、すごく盛り上がりました。中学校では、落ち着いた感じで、きれいな歌声で歌ってくれました。どこででも共通しているのは、日比野さんのCDのプレゼントタイムです。「このCDはまだ日本では販売されていません。海外でのみ販売されているものです。これを聞くとよく寝れます。普段なかなか寝れない人手を挙げて~」というと、どこでもほぼ全員が手を挙げていました。先生方は、いつもよく寝ている子たちまでが勢いよく「は~いは~い」と元気よく手を挙げる様子に笑っておられましたが、みんなよほどCDがほしかったようです。その後に、「陸前高田キリスト教会」でコンサートと交わりの時をもたせていただきました。


31日(火)と1日(水)は大槌町でのコンサートでした。
31日(火)は、「幼稚園」と「小学校」と「公園」でコンサートをさせていただきました。



幼稚園では、自分たちだけがあの有名な日比野さんのコンサートを聴くのは申し訳ない・・とおっしゃり、他の幼稚園にも声をかけてくださったために約100人の幼稚園児と職員と保護者が共に恵みを分かち合えました。元気いっぱいの子供たちでした。園長先生は、あまりにも感動し、涙涙でした。自分たちがこんなにも愛されていることを今回の震災を通して痛く知ったようです。






次に訪問した小学校では、1つの学校の中に4つの小学校が入っていました。震災前には大槌町には7つの小中学校がありましたが、そのうち5校が使用できなくなりました。そこで、震災の被害がそれほどなかった2つの学校と他の施設を利用しての学校運営となっています。そのため、全員が集まれる場所がなく、昼休み時間に、300名ほどが入れるホールで演奏をさせていただきました。希望者だけでしたが、多くの子供たちがやってきました。演奏後には、「サイン」「サイン」「サインください」と大騒ぎでした。一枚しかないであろう、体操服や制服にマジックで演奏者のサインをもらっていました。わずか、20分の演奏でしたが、確実に心に届いたようです。



公園では、在宅避難者の方々と近くの幼稚園児たちが100名ほど来てくれました。公園に来られた方からは「1時間いい音楽を聞いたから2時間優しくなれそうです。でも、2時間過ぎたらまた聞かないとイライラしてしまうかも・・・。また来てくださいね。」と笑っておられました。その方にCDを渡すとすごく喜ばれました。

1日(水)には、「高齢者のグループホーム」と「小学校」を訪問してきました。



グループホームでは、「青い山脈」や「故郷」などに涙を流しながら耳傾けておられました。30人程の利用者の方々と職員に加えて、地域の方が20人程来てくださいました。それにもかわらず代表の方が、「こんなに素敵な音楽をもっと多くの人に聞いてほしい。小さな施設でごめんなさいね。」とおっしゃるので、「いえいえ、ここで演奏できて本当にうれしかったです。私たちは、多くのボランティアや芸能人たちが出入りする目立つ避難所ではなく、なかなか支援が届いていないようなところに心を届けることが、使命であり、喜びですのでこれからも来させてください。」と申しますと、涙を流して「そうなんです。大きな避難所に行けば、週末にもなればいろいろなイベントがありますが、みんなで動けないので今まで聞くことができませんでした。今日は癒されました。ありがとうございます。」とおっしゃられました。




最後に訪問した小学校は、被害がもっとも大きかった小学校であり、避難所も学校も最も山奥にありました。実は、大槌町の最も中心部にあった小学校にもかかわらず、大槌町ではなく、隣町の施設の中に他の学校と一緒にありました・・・。そんな中でも、子供たちは、元気いっぱいでした。当初コンサートは1年2年3年生だけの予定でしたが、急きょ5年生も聞きに来てくれました。低学年は、大きな声で「アンパンマン」や「さんぽ」などを全身で歌ってくれました。その姿を見て、先生方が涙を流しておられました・・・。高学年や一部の先生たちからは初めは、心の壁が感じられたのですが、曲が進んでいくうちに空気が変わってきました。暗かった表情が、涙になり、涙が笑顔になってきました。

今回、やはり音楽はいいな~と思いました。難しいことを言わなくても、言葉を超えて人々の心に癒しが届いていきます。子供たちの喜ぶ姿に大人も元気づけられ、癒されていくようです。それを目撃できた恵みに感謝です。