物資の積み込み作業と、人力でのガソリン給油

灯油、米、水、お菓子、カイロ、防寒着、タオルなどの物資を積み込んでいる様子です(左)。被災地ではガソリンスタンドは津波で流されていましたが、地下にあるガソリンタンクは無事で、人力でガソリンを支給しました(右)。

被災地の小学校でのコンサート

岩手県のA小学校でのコンサートの様子です。1年生が特にノリノリでした。演奏に合わせて、全身でトトロの「さんぽ」などを歌ってくれました。

泥だし作業

海から2Kmぐらいの場所にあった事務所も、1.5m床上浸水の被害に遭っていました。次の日に海水は引きましたが、3cmの泥がたまっており、そのこびりついた泥を掃除している様子です。

岩手県での炊き出し

岩手県大槌町で行った炊き出しの下ごしらえをしている様子です。250人分の食事を用意することは相当な力仕事でした(左)。右の写真は、岩手県陸前高田市での地域の人々との昼食会(炊き出し)です。

被災した家の修理と、一軒一軒回っての物資支給

地震でかみ合わせが悪くなり開閉できなくなってしまったAさん宅の扉を、修理している様子です(左)。被災地の一軒一軒に声をかけて、物資を届けました(右)。

2011年8月30日

被災地子供リフレッシュキャンプ in 駒ヶ根:8月21日(日)~24日(水)

福島市から長野県駒ケ根パノラマ愛の家に40名受け入れ(内25名は幼稚園児~高校生)させていただきました。主催は、この度設立された「被災地子供リフレッシュ・ボランティア・駒ケ根」(事務局:愛の家内)ですが、13団体の協力、71名以上のボランティアが与えられ感謝でした。それぞれの賜物を活かして、食材・物資・バスの提供、調理・運転・演奏・エンターテーメント等の活動に喜んで仕えさせていただきました。バスから降りるとまず深呼吸を何度もして「空気がおいしい☆」と皆大騒ぎできた☆一番心に残ったのは「空気がきれいだったこと」「川遊び・沢遊び」「流しそうめん」「友達とキャッチボールをしたこと」・・・と言う子が多かったのですが、全てのプログラムに感動の連続のようでした。


流しそうめん

水遊びに大喜び

川遊び、沢遊び カニがいます!

駒ケ岳に行きました

6月、福島市の知人よりお電話をいただき、夏休みに子供達のキャンプをしたいとのご依頼をいただきました。とにかく「きれいな空気を吸いたい」「安心して野菜を食べたい」ということが願いでした。

被災地のために何か役にたちたい!という思いでいる中でのお電話でしたので、すぐに受け入れを承諾いたしました。今回の震災による、特に原発による被害の多大な地域からの要請でしたので、愛の家だけで留めてはいけない、と示され、駒ケ根市や社会福祉協議会にご相談し、「被災地子供リフレッシュ・ボランティア・駒ケ根」という市民のボランティアグループを立ち上げました。

この働きは、被災地の子供達ならだれでも受け入れ、駒ケ根を中心に伊那谷の市民によって、被災地の子供達を伊那谷の自然の中に受け入れ、心身共にリフレッシュしてもらうために行う様々な活動を基本の理念とし、教会関係の子供達はもちろん、被災地の子供達はだれでも受け入れたい、そして、その働きに賛同する人は誰でも様々な方法で参加してもらう!という内容です。

21日(日)の礼拝後に福島を出発し、夜8時すぎに愛の家に到着。到着後チャペルにて歓迎のひと時をもちました。アガペーCGNを代表して、峯野龍弘師の歓迎の挨拶を持ってキャンプ開始となりました。


4日間、天候は雨続きでしたが、子供達の外での活動の時には不思議必ず雨が止められ、活動に大きな支障もなく、事故や病気もなく守られました。ボランティアの人たちも、「不思議だ、不思議だ。子供たちが外で活動するときには、さっきまでの雨がやんで、ギラギラ太陽・・・何かあるに違いない。」と天候のことを話題にされていました。

今回は、市民の手で被災地の子供達を迎えたいという思いの中で、多くの野菜や米の献品や、掃除や食事の準備片づけのために毎日通って下さるヘルパーチーム、お筝(こと)の先生の演奏や市民ボランティアリーダーの方々によるキャンプファイヤーの時、染物や機織りの体験や、アフリカン太鼓とファイヤーダンスのチームによる演奏と体験、「駒ヶ根パノラマ愛の家」の山や川で虫や沢ガニを採ったり、川遊びをしたり、ブルーベーリー狩りをしたり、と盛りだくさんな4日間でした。

キャンプファイヤー

アフリカン太鼓

ダンス

きれいな南アルプスと中央アルプスが見れました

放射能の脅威を心配せずに、野外で子供達がのびのびと遊び、大人もそれを見守り、窓も開け放って夜も休めることの解放感・・・。駒ケ根ではあたりまえのことですが、福島では当たり前ではなく、日々戦いであり、子供達も野外で活動することがなくなり、体力も落ち、ストレスも多くなっているといいます。夜には、ボランティアの皆さんにスタッフの先生方が現地の生々しい現実を語って下さり、報道等ではわからないそこに生きる人々の苦難と戦いをお聞きし、祈らざるを得ない思いでした。

放射能と未だ続く余震と戦いながら、子供達と前に向かって歩んでおられる先生方や保護者の皆さんのココロと勇気を沢山感じました。また、子供達の素直なココロに「何かしたい!」と始まったキャンプでしたが、逆に多くをいただいた思いのする4日間でした。

福島への熱い思いが、駒ケ根市や一般市民を動かし、子供達を通じて、多くの方々が愛の家に集い、子供達と共にすごし、4日間のすべての活動が支えられました。背後の多くの祈りと支援を感謝します。

今後も希望により、被災地の子供達を随時受け入れて、ボランティアの交流も深めていきたいと願っています。

2011年8月27日

第17次:8月21日(日)~25日(木) 福島県、岩手県、宮城県

8月21日(日) 福島県郡山市 

アガペーCGN物資倉庫にアメリカの某メーカーから送られてきた子供服を積み込んで、一関の拠点に向かいました。




8月22日(月) 岩手県陸前高田市

うれしかったです!あちこちで商店が再開されていました。震災1週間で現地入りしましたが、その時には店内に瓦礫が散乱しており、手の付けようがなかったローソンでしたが、見事に再開!24時間営業していました☆ローソンの隣には、「KUMON」「auショップ」などの実に様々な商店が軒を連ねていました。道をはさんで反対側には、「ファミリーマート」と「地元の野菜売り場」☆特に、陸前高田市のおいしそうなとれたての新鮮な野菜が安い値段で売られていました☆





今回の地震は多くの橋を流しました。今まで、橋がなくなったので向こう岸には簡単には渡れなかったのですがようやく仮設の橋ができていました。橋を渡ると、被害を受けたK小学校がありました。校舎の窓ガラスは、痛々しい割れ方をしており、校舎の中も目を覆いたくなるような様子でした。参加者全員でお祈りの時を持ちました。







車で数分のところにはK中学校もありました。堤防の横は、海から流れ込む川です。堤防のすぐ横に中学校がありました。



消防車も無残な姿で残っています。人間がつくったもののはかなさを感じました・・・。


知り合いの方が草ひきをしておられたので、声をかけました。「震災後5か月以上たって初めて草をひきます。雑草が1メートルほど伸びちゃったわ。避難所から家には1月ほどで戻ったけど、とても草をひく気にならなくて・・・。ようやく、今日は草をひいてみようかな~って思ったからやっています。」とのことでした。徐々に気持ちに行動が伴うようになってきたようです。少しずつ日常生活を取り戻しつつあるようです。



久しぶりに陸前高田の教会に訪問しました。近所の方々にも一軒一軒あいさつ回りに行きましたが、どなたもたいそう喜んでくださいました。中には、教会まで会いに来てくださった人たちも数人おられました。アメリカからの物資(子供服)を「かわいい服だね☆孫にあげる。」と大喜びでもらってくださいました。




8月23日(火)岩手県大槌町



大槌町役場の隣の消防署もこの通りです。津波のすごさが伝わってきます。


5週間この地域を訪問しなかっただけで、目を真っ赤にして「見捨てられたかと思った。来てくれてうれしい☆」「見捨てられると感じるのが一番つらい。とにかく顔をだしてください。」と複数の方から声をかけられました。




幼稚園に物資の注文を伺いに行きました。多くの種類、サイズもバラバラなのでまずは試着。試着した服はどれも気に入って「着替えたくない。この服が良い。」と大はしゃぎでした。暑い日でしたが、冬用のフリースをずっと着たままで、走り回っています。相当気に入ったようです。


足こぎ式のガソリンスタンド(災害用)で給油しました。スタッフ人たちは変わらず元気に励んでおられました。


仮設住宅も5箇所ほど訪問しました。知り合いから安否確認を求められ、喜んで訪問に向かいました。訪問する際に、住んでいる地域は分かるのですが、何号棟なのかさっぱりわからず、入居者の方々に名前を聞いても、分からず、何百軒もある仮設を一軒一軒表札を見て探すしかなかったのです。表札を出さない人もいましたが、幸い私たちが探していた人たちは全員表札を玄関に出してくれていたので、会うことができました。どなたもお元気そうでした。すごく喜ばれました。この地域に自治体のようなものはないようです。孤独にならないように、各地域でまとまって入居したいとの希望も多かったようですが、「公平」にくじびきの結果、もともと一緒に避難していた仲間が全く違う地域の仮設にバラバラに住むという現実になったようです。


帰りに大槌町の高台から町を眺めました。がれきは、徐々に片付いてきています。商店も次々とオープンしてきており、活気が徐々に戻りつつあります。心を一つにして祈りの時を持ちました。

夜9時に宮城県住田町にあるサマリタンズ・パースのキャンプに到着。ミーティング後すぐに寝て翌日の作業に備えました。


8月24日(水)宮城県気仙沼市


宮城県住田町にあるサマリタンズ・パースのベースキャンプです。大きなテントが4つ。奥からスタッフ棟、食堂棟、女子棟、男子棟です。右側にあるのはシャワールーム☆浴槽もあります☆快適なテント生活です。

朝7時からデボーション。その後7時40分に出発で、宮城県気仙沼市の現場に向かいました。震災後5か月以上経過しましたが、ファーストステージの作業でした。まずは、家の中に入り込んだものをどのようにして出し、どこに置くのかを相談しました。ちなみに、家の左側は巨大なタイヤ倉庫、右側は広場になっていました。家の中には隣のタイヤがたくさん流れこんでいました。





作業は何よりもけがに気をつけてしなければなりません。ガラスが割れていたり、釘などがあちこちにむき出しに出ていたりするからです。注意を払いつつも力強く作業が進められました。家の中に入って作業する人、家の外で一輪車にたまった荷物をがれき置き場に運ぶ人・・・28人ほどでスムーズに作業が行われました。ほとんどの人たちが、昨日今日に出会った人たちの集まりでしたが、実に良いチームワークでした。参加者の中に大工が数人いましたが大活躍でした。ピアノは200Kgあるようです。怪我をしないように男12人程で知恵と力を合わせて出しました。ピアノが桟にのったときには、ミシミシと音を立てて今にも崩れそうでしたが、守られました。







大きな荷物をどけた後は壁はがしと、泥だしです。




窓からあふれ出ていたがれきもなくなり、向こうまで見えるようになりました。みんなで心を一つにして実によく励みました。


始めと最後はもちろんお祈り。お互いを祝福し合いました。





作業の後、近くに「あいりん社(阿部さん)」「気仙沼第一聖書バプテスト教会」があるので、久しぶりに訪問しました。アガペーCGNは、あいりん社には第3陣から数か月毎週のように陣を出して泥だし、洗浄、大工仕事などをさせていただきましたが、以前の様子を知っているだけに見事に変えられた印刷所、自宅、教会に感動の連続でした。阿部さん家族は「今朝も『アガペーの人たちに会いたいね。来てくれないかな~』言っていたところだったんだ。」と大喜びしてくださいました。神様に一つ一つの出会い、奇跡に感謝して、感動の再会となりました。


8月25日(木)福島県郡山市




アガペーCGNの福島支部の物資倉庫に子供靴の物資を取りに行き、東京に戻りました。途中、坪井先生のおいし~いコーヒーを飲んでリフレッシュしました☆最高においしかったです。