物資の積み込み作業と、人力でのガソリン給油

灯油、米、水、お菓子、カイロ、防寒着、タオルなどの物資を積み込んでいる様子です(左)。被災地ではガソリンスタンドは津波で流されていましたが、地下にあるガソリンタンクは無事で、人力でガソリンを支給しました(右)。

被災地の小学校でのコンサート

岩手県のA小学校でのコンサートの様子です。1年生が特にノリノリでした。演奏に合わせて、全身でトトロの「さんぽ」などを歌ってくれました。

泥だし作業

海から2Kmぐらいの場所にあった事務所も、1.5m床上浸水の被害に遭っていました。次の日に海水は引きましたが、3cmの泥がたまっており、そのこびりついた泥を掃除している様子です。

岩手県での炊き出し

岩手県大槌町で行った炊き出しの下ごしらえをしている様子です。250人分の食事を用意することは相当な力仕事でした(左)。右の写真は、岩手県陸前高田市での地域の人々との昼食会(炊き出し)です。

被災した家の修理と、一軒一軒回っての物資支給

地震でかみ合わせが悪くなり開閉できなくなってしまったAさん宅の扉を、修理している様子です(左)。被災地の一軒一軒に声をかけて、物資を届けました(右)。

2012年12月20日

第38次:11月14日(水)~17日(土) 岩手県(大槌町、陸前高田市)



第38次アガペーCGN救援隊のために、皆様のお祈りを感謝します。

震災から一年半以上が経過しましたが、今なお多くの方々が語り尽くすことのできない痛みの中におられます。

被災地のニーズは時間と共に様々に変化しており、アガペーCGNとしましても、「小さいながらも小回りのきく心と心が通う、ぬくみのある関わり」を大切にして活動して参りました。

被災地の多くの地域では、すでに「ボランティアセンターを通した活動は終了」になっていましたが、大槌町でも11月からは、ボランティアセンターに奉仕の具体的な斡旋(あっせん)をお願いできなくなりました。今後は、自分達でボランティア内容・場所を決定し、その報告をボランティアセンターに報告するようになります。

そこで今回も、いつもお世話になっている何カ所かの方々に連絡を取り、何か私たちに出来ることがないか伺いました。結果として、今回は昨年の5月頃からお世話になっている大槌町のA商店に宿泊させて頂き、その商店の要請を受けて近くの大きな側溝を掃除することになりました。

2012年11月4日

第37次:10月21日(日)~24日(木) 岩手県(大槌町、陸前高田市)、宮城県(気仙沼市、岩沼市)



震災直後から、現地入りをさせていただいてきましたが、日ごとに、人々や街が復興してきており、それを見る度に新しいさらなる感動に包まれます。確かに、かの日に受けた試練から人々は立ち上がろうとしています。しかし、「立ち上がりたい」「立ち上がらなければ」「立ち上がるべきだよな」「このままじゃダメだ」・・・とは思いつつも心や身体が動かない人々もおられます。そんな時には、やはり地元に住んでいる人々の存在がとても重要になってきます。一人ひとりに声をかけ合い、家から出ることの難しい人々には訪問し、お弁当を毎食ボランティアで届け・・・。今回は、そのような地域のリーダーたちと連携して計画を立て、「和太鼓 三宝会」の方と一緒に東北に向かいました。震災後、「和太鼓 三宝会」は4回目の東北公演です。三宝会の仲間達は、持ちネタをたくさんもっているので、訪問場所や雰囲気によって選曲を変え、うまくアレンジしているので、どこを訪問しても大変喜ばれました。また、アガペーCGNとしても「初期の大変なときから今でも継続して来てくれるのはあんたらだけや」「忘れんでね」と再会をあちこちで喜ばれ、小さくても継続に力がある・・・と痛感しました。今回は、各現地リーダーからの要請で様々な場所を訪問し、老若男女問わず楽しい時を共に過ごすことができ、住民同士が良き交わりの時となったようで良かったです。また、今回は、震災以来1年6ヶ月ぶりに先月再開した大槌の漁港の水揚げを見ることができたことも何とも言えない大きな感謝でした。

2012年10月16日

第36次:9月3日(月)~6日(木) 岩手県大槌町、陸前高田市




今回は、「フラダンスチーム」です。服装も、身につけるものも、ハワイ風にアレンジして、楽しい雰囲気作り・・・。

仮設住宅の中には、やはり引きこもりがちになっておられる方々もまだまだたくさんおられます。今回も、現地で、地域のために身を粉にして仕えておられる方々の協力を頂いて、小さいながらそのお手伝いをさせて頂くことができ、感謝でした。

楽しいイベントなどがあると、普段家から出ることのない人たちも、「じゃ、行ってみるか~」と気分が前向きになるようです。一歩家から出ると、心にも幅が出てくるようで、無口だった方が、ぽつりぽつりと話し始められ、そのうち涙がポロポロと・・・、しかし、いつの間にか笑顔がチラホラ、そして共にお茶の交わりへ。私たちはずっと現地で共にいることができなくとも、地元のリーダーの方々が、「定期的に訪問してくれるのは本当にうれしい」「始めからずっと来てくれるのはあんた達ぐらいだよ」「忘れないでね」「また来てね」「復興はまだまだだよ」「これからが勝負」と涙をこらえて話してくださいました。フラダンスや歌など一流ではないけども、一緒に寄り添うことによって、笑顔が皆さんに戻ってくるのを拝見させて頂く度に、このためにアガペーCGNも必要とされていることをヒシヒシと感じました。

2012年8月26日

第35次:8月20日(月)~8月22日(水) 岩手県(陸前高田市、大船渡市、盛岡市)、宮城県(栗原市、仙台市)、福島県(郡山市)



アガペーCGNは、震災数ヶ月の時期には、物資が全く届かない地域を調査しては現地の方々に直接物資を車、船、手渡しで届けさせて頂いてきました。しかし、その後は、各地域で復興に向けて中心的に活動しておられる人々や地元社協や行政と協力して、小さくても「ココロのケア」などに取り組んで参りました。具体的には、各地で更なる復興に向けて活躍し続けておられる方々を毎回のように訪問したり、震災の被害を受けながらも最善を信じて生きようと励んでおられる方々を訪ねて行ったり、歌や似顔絵や各種イベントなどを通して楽しいひとときを持っていただいたりさせて頂いております。

2012年7月23日

第34次:7月9日(月)~12日(木) 陸前高田市、大槌町、岩沼市


今回は、被災された方々にリラックスした時間を過ごしていただき、心が少しでもほっこりできるようにお話を伺い、また一人ひとりとふれ合うことを願って、“ジョイフル・タイム”を企画してみました。「ゲーム」「振り付のうた」「(アメリカ人Kさんによる)ミニミニ英会話コーナー」「似顔絵描きコーナー」「歌のプレゼント」「パントマイム」などを通して、各地で老若男女問わず、大いに笑い楽しい時間を共に過ごすことができました。


2012年7月10日

第33次:6月20日(水)~23日(土) 岩手県大槌町

震災後4日目から現地入りさせて頂いていますが、道路や建物などの目に見える復興は相当進んでいますが、目に見えないココロの復興がまだまだ置き去りにされている地域が多いようです。「一人で閉じこもりがちになっておられる方」、「どこかで楽しそうなイベントがあっても体が不自由なために会場まで行けない方」、「仮設住宅の規模が大きすぎてネットワークが作りにくい地域」・・・様々に異なる現状があり、それぞれに多くの痛みが未だにうずくそのただ中で、地域の復興のために使命を持ち、立ち上がっておられる方々もおられます。アガペーCGNは、そのような方々と一緒にネットワークを組んで活動させていただいております。

そんな中、今回は、「腹話術」「手品」「立琴」などを特技とするMさんと共に男子3名、女子2名で出発し、岩手県大槌町の幼稚園・保育園、老人ホーム、仮設団地などを訪問させていただきました。

2012年5月26日

第32次:5月16日(水)~19日(土) 岩手県大槌町


今回は4日間でした。1日目と4日目はおもに移動日。2日目は、大槌町内に拠点を置いて大槌社協からの仕事を請け負っているカトリックの支援団体のベースに宿泊させていただき、「社協から請け負っている仕事のお手伝い」と「前回のニーズ調査で頼まれた現地では手に入らない物資などを各学校、地域に配達」させて頂きました。3日目には、大槌社協のボランティアに登録し、大槌の地域の方々と一緒に復興に向けて活動をさせて頂きました。

2012年5月2日

第31次:4月23日(月)~26日(木) 岩手県大槌町、陸前高田市、宮城県岩沼市



今回のミッションは主に三つでした。

第一に、「地域、人々のために率先して仕えてくださっている地元の人たちへの物心両面の援助」です。私たちは、いつも現地にいるわけではありませんので、継続して支援してくださる地元の方々へのサポートと交わりをわずかではありますが大切にさせていただいております。キリスト教会のある地域では各教会に物資などを届けますが、教会のない地域には、学校・幼稚園・保育所・老人ホームなどの各施設や、各地域のキーパーソンに託します。

第二に「ニーズ調査」です。今回は、宮城県と岩手県の一部を訪問しましたが、路上のがれきはほぼきれいに取り除かれております。震災後、大きな穴が空いていた道路も、一部を除いてきちんと埋めてあり、運転しやすかったです。被害が大きく、一件の商店もなくなってしまったような地域にも、あちこちに商店やスーパー、ショッピングセンターが開店しており大変うれしかったです。震災後1年を経過し、目に見える復興は進んでいる部分も多いですが、一方で、ようやくココロに痛みや悲しみを感じられるようになってきた方もたくさんおられます。「ココロが震災以来止まったままの方」「震災前に住んでいた家の様子が鮮明に見えているのに、それが幻覚だったことに気づいたときの何とも言えないむなしさを感じておられる方」「震災で家が残った方は、家の中は以前と何も変わっていないのに、一歩外に出たときに目のあたりにする廃墟と化した自分の町に絶望し、すっかりひきこもりになってしまっておられる方」「震災後は大丈夫だったのに、一年を過ぎてからココロをコントロールできなくなっておられるたくさんの方」・・・。一人一人に歴史があり、震災の傷があり、各々がそれぞれに自分にしかわからない痛み方で痛み苦しんでおられます。表面上は、明るく振る舞って地域のために喜んで仕えておられる方も何度か涙ながらに語ってくださった言葉が忘れられません・・・「震災でみんながバラバラになり、町がぐちゃぐちゃになり・・・悲しいです。情けないです。このままではこの町はダメになってしまいます。僕はこの町を愛しています。助けてください。」・・・この方は、震災後8ヶ月ほどは横になっても毎日4時間ほどしか寝ることができず、涙もほとんど出てこなかったのに、11月頃からようやく8時間ほどの睡眠がとれるようになり、悲しさもむなしさも感じるようになって涙もでるようになったようです。多くの方が「心のケア」を必要としています。そして、多くの方々がおっしゃるのは「僕たちのことを忘れないでほしい」「一緒に居てほしい」ということでした。そういうこともあり、リピーターで同じ顔を見せるだけでもすごく喜ばれ、心が癒されるようです。また、地域によっては漁業などの産業の復興の問題も次なる大切なステップとして取り上げられています。

第三に「拠点の引っ越し」です。震災直後は、宮城県塩竃市に拠点を構えていましたが、その後は気仙沼市に、そして昨年の五月からは岩手県大槌町、陸前高田市などに力を入れるために岩手県の一関市に拠点を移動してきました。昨年の冬ぐらいからようやく岩手県沿岸部の不動産や宿が動いてきたので、一関市の拠点を解約することになりました。転居に際して、荷物の整理、配布、必要な地域に必要な物の郵送作業を行いました。


4月23日(月)

朝8時40分にハイエース(商用車)に白いポリタンクを車にぎっちりに積めて出発。

14時30分にWH教団が行っている宮城県岩沼市のEM散布ボランティアの拠点に到着し、東京から荷積みした50個以上のポリタンクを全て提供し、しばし、交わりの時を持ちました。



四月から常駐のスタッフがEMの作り方の簡単な説明や保管についてなどを説明してくれました。
頼もしい青年でした。





軒下などはこのようにしてEMを散布します。

17時に一関の拠点に到着。

夕食後すぐにツナ缶の整理。三人で全力で三時間の仕事量でした・・・。クタクタになりましたが、ココロは穏やかです。後ろにあるのは、頼まれていたポリタンクです。



22時半 消灯


4月24日(火)

6時      起床
6時半     お祈り、食事
7時      後ろも見えないほど荷積み


8時      出発



黒い袋・・・堤防ができるまでの今できる対策でしょう


11時頃    大槌町に到着   約20ヶ所の訪問

震災以来今までに継続して関係を持ってきた地域や施設の人々との再会を喜び合い、お話を伺いました。

多くの地域では、「ワカメ」や「漁」や「加工会社」の復興が少しずつ進んでいますが、大槌町はまだまだ多くの痛みをかかえておられるようです。震災以前からの「漁業の高齢化」に加え、「未だに網がない」「未だに船がない」「ワカメをつくっても洗浄する機械などがないので、商品にできない」「網や船をなんとかして用意したが、船着き場(港)がない」「保管する冷蔵庫が全て流された」「震災後大槌町ではなかなか漁業・加工会社の復興が進まないために、他の地域に就職してしまった」・・・人々の悲しみは想像以上に大きかったです。そのような中でも、本当にお互いに今の精一杯を捧げ、知恵を出し合って今新しい一歩を踏み出しておられるようです。私たちに大きなことはできませんが、祈りつつ、見守り続けていきたいです。

新しい出会いもいくつかありましたが、特に印象に残ったのはAさんとのやりとりです。いつも情報交換を良くしている友人と昼食を食べに行く途中に、Aさんとの出会いがありました。友人がAさんのことを「僕の後輩だけど、釣りの先生☆良い人だよ☆釣りがすごく上手なんだよ☆」と紹介してくれました。Aさんもそのように紹介されてニコニコとすごくうれしそうだったので、私はAさんに「釣りですか。良いですね☆楽しそうですね。今度私も釣りに連れて行ってくださいよ」とすごく自然に声をかけたところ、彼の顔は一瞬にして曇り静かに「そういえば震災以来海に出たこと一度もないなあ。まだ、海に出たいとは思えない。それにまだまだそんな時間も心のゆとりもないよ。それより、歯の治療をしなきゃ。歯医者もなかったし、忙しかったからまだ治療できてないんだ」との返答でした・・・。私は、瞬時に『しまった』と反省しましたが、後悔あとにたたず・・・すぐに謝りましたがそれ以上なんと言えばいいのかわからず、お互いしばらく沈黙が続きました。

昨年関わりのあった全ての学校にも挨拶に行かせていただきましたが、先生方の多くが転勤されていたのでびっくりしました。

また、地元の方からの話によると土地の価格が急上昇。岩地と砂地の土地は家を建てるのにふさわしくなく、津波の心配もないところとなると、家を建てたくとも土地がないとのことで、地元の方でさえ家を建てる土地の確保に苦労されています。





4月25日(水)

6時      起床
6時半     お祈り、食事
7時      宿を出発  
8時30分   大槌町に到着   約20ヶ所の訪問 

プレハブは丈夫ですが、フェンスや遊具などは強風で何十メートルも飛ぶようです・・・。3月末には大人4人で移動する「ダンボ」が強風で空を飛び、職員たちはびっくりしたとのことです・・・。



震災後1ヶ月程で元気になったと思われた子どもたちも、最近になって再び夜になると泣き出す子もいるようです。


仮設住宅の集会所では「雑巾作り」「カラオケの会」など様々な活動が日常的に行われている地域もあります。





桜が満開の時期でした。あるガソリンスタンドの方は「去年は桜がきれいだとは思わなかった。今年は、仮設住宅の近くに咲いている桜を見てたらきれいだなあ~と思って飾っているんです。少しは気持ちも和らぐかなと思って」とのことでした。「いつも来てくれてありがとうございます☆忘れないでいてくれてありがとうございます。」と心から声をかけてくださいました。



また、ある保育園を訪問した際に、今年度中には元の園舎の修理工事を完了し、来年度には本園舎に戻る予定であることを喜んで教えてくださいました。始めは『一度津波が来たところに再び戻るのは・・・』と躊躇されていましたが、ボランティアの方々が次々に来て泥出しをしてくださっている姿を見続ける中で『もう一度帰ろう』と思えるようになったようです。ほんの少しでしたが、そのことにも関わらせて頂いた恵みに感謝しました。

震災当初から関わりのあるBさんを訪問したところ再会を大変喜んでくださいました。交わりの後「釜石市の自宅まで帰りたい。良かったら途中まで車に乗せてほしい。」と声をかけてくださったので喜んで送迎させていただきました。ちょうど大槌町を出発してまさに、釜石経由で陸前高田市に向かう予定だったのでお互い絶妙のタイミングにびっくりしました。Bさんの希望によりご自宅で良き交わりの時を持たせていただきました。

その後、陸前高田キリスト教会で近所の方も交えて交わりの時を持たせていただきました。
小さな丘を越えて以前は子どもたちがたくさん遊びに来ていたのに、最近では全く子どもも山を越えて遊びに来なくなったようです・・・。


それでも、先生方は祈り続け、人々に仕え続けてくださっています。


4月26日(木)

6時   起床        6時半  お祈り、食事     7時15分   掃除と荷積み
10時20分に不動産の方と大家さんの立ち会いのもと、鍵の返却。
10時45分  次なるステップへ。新しい出発☆






17時     東京到着

第30次:4月16日(月)~19日(木) 大槌町


2012年4月16日(月)~19日(木)の期間アガペCGN第30次が救援隊として被災地に行って参りました。今回は熊本県天草から宣教師のご夫妻をお迎えして、総勢7名で向かいました。今回は幼稚園や老人ホーム等を訪問し、ウクレレの演奏やフラダンス、学校唱歌などを歌い、皆さんもご一緒に歌い、踊って楽しいひと時をお持ちいただくことが目的でした。宣教師ご夫妻は元々ハワイで生まれ、育ちましたので、ウクレレを持ってハワイアンミュージックを演奏することはもうすっかり板についたものでした。さらに、賛美フラをNさんが披露して下さいました。


4月16日(月)

この日は移動日でした。10時前に教会を出発し一路岩手県大船渡市へ。途中晩ご飯や2日目の朝食の買い出しなどをして、19時過ぎに宿泊所に到着しました。ここでは2泊しました。


4月17日(火)

6:30センターを出発。車内でディボーションや朝食を済ませ、大槌町にある幼稚園に向かいました。途中大槌町ボランティアセンターでボランティア登録を済ませる予定でしたが、予定の時間より早く到着したので、城山公園へ登りそこから町の様子を眺めました。A先生が後でこの景色を見て、イエス様がエルサレムを眺めた時に涙を流された思いと重なったとおっしゃっていたのが印象的でした。



ボランティア登録を済ませ一路幼稚園へ。園に着くと建物には一杯のこいのぼり。元気よく育っていく子どもたちの姿を映していました。そして中に入ると、元気いっぱいの子供たちが大きな声で挨拶をしてくれました。そして早速、A先生のリードとウクレレに合わせ、「春よ来い」やハワイの歌「レレオカラニ」をみんなで歌い演奏しました。また「結んで開いて」の英語版の歌など子供たちと一緒に体を動かしながら歌いました。Nさんのフラダンスでは「シューベルトの子守唄」を皆で歌い、それに合わせ素敵なダンスを披露して下さいました。時間はあっという間に過ぎ予定時間の30分となってしまいました。最後に子供たちからありがとうの大きな感謝状をいただきました。元気いっぱいの子供たちに感動させられるひと時でした。



次に向かった特別養護老人ホームでも多くの方々が迎えてくださいました。幼稚園同様、学校唱歌やハワイの歌を歌い、ダンスを披露しました。「もしもしカメよ」をウクレレに合わせて歌ったのですが、隊員達は2番までしか歌詞が分からず、一緒に歌って下さっていた二人のおばあちゃんが3番と4番の歌詞を歌って下さり、大変盛り上がりました。またここでは「ウキラオ」というハワイの踊りのついた歌を皆で歌い、踊りました。これは漁の歌で網を放ったり、引いたりする動作がとっても楽しい踊りで、沿岸地域にお住まいの方々にはとても共感していただけたのではないかと思います。フラダンスでは「主の愛が今」に合わせてNさんが踊って下さいました。フラダンスをはじめハワイの音楽はとてもゆっくりで穏やかで、お年を召した方々でも充分楽しんでいただけたのではないかと思いました。最後に新聖歌にもある「アロハオエ」という賛美を歌い、皆さんと握手をして別れました。


この日は救援隊でも度々お世話になっているY商店さんで昼食をとりました。とても美味しいお弁当でした。

続いてこの日の最後の訪問先、安渡分館へ行きました。ここには仮設住宅があり、そこの体育館で皆さんを招いて演奏させていただきました。ここでリーダーシップをとっているSさんにお会いし、3.11の時の各地域の映像をまとめたDVDを見せていただき、お話を伺いました。この時は丁度雨ということもありましたが、体育館には15名程の方が集まってくださいました。英語の歌で、皆で輪になって歌って踊りました。またY先生の「はくさい婦人」の絵本のお話やNさんの賛美フラ、最後にはアメージング・グレイスを皆で歌いました。来て下さった方でフラダンスを教えてほしかったというという声もあり、今度はフラダンス教室を開けたらなとこれからの奉仕のイメージが広がりました。


4月18日(水)

この日は午前中大槌町にある幼稚園に向かいました。震災当時、地震が起こり、津波が押し寄せる中なんとか子供たちだけは逃がさなくては、ただそれだけを思い裏山に逃げたというお話を伺いました。またこの幼稚園は子供たちが裸足で木のぬくもりを感じ、自然を感じながら育ってほしいという思いで建物や床は木造となっています。津波が押し寄せた際、まるでノアの箱舟のように園舎が波の上に浮き、殆ど損傷を受けずにまた地面にしっかり降りたそうです。神様のお守りだと説明して下さいました。園の創設者であるH先生のお父さんの祈りが聞かれたのでしょう。皆で主を崇めました。



ここの子供たちもとっても元気でした。A先生のウクレレと歌から始まり、いまや定番となった「レレオカラニ」や「ウキラオ」で子供たち皆と歌って踊りました。A先生がウクレレを見せて「これ何か分かる?」と聞いた際、皆が一斉に「ギター!」と答えてくれました。クスッと奉仕者全員の顔に笑みがこぼれました。Nさんのフラダンスがあり、最後にA先生ご夫妻が「アロハオエ」を歌って下さいました。演奏が終了すると、今度は子供たちが元気いっぱいに歌を歌ってくれました。子供たちのその元気に圧倒されてしまいました。感謝な時でした。


午後は大ヶ口のKさんを訪問しました。訪問したカフェには近所の方や仮設の方もいらっしゃり、震災当時のことをいろいろと聞かせて下さいました。またKさんはじめこれらの方々が物資等々どこかの地域に偏ることなく必要を覚える所に届けて下さったり、隅々まで気を配っている姿を見て、続けて共に活動させていただきたいと思わされました。神様の愛が被災地の方々に届くように、なおも用いていただきたいと思わされました。どの訪問先でも、「また来てね!」と言われ、小さくとも人々の心に寄り添う愛の奉仕の大切さを身にしみて感謝しました。


この日の夜に一関の拠点に向かい、次の日は拠点を掃除し東京へと向かいました。

2012年3月19日

第29次:3月9日(金)~12日(月) 大槌町、釜石市

今回は東京少年少女合唱隊のみなさまと一緒に活動させていただきました。3月10日は岩手県大槌町の3カ所の会場で地元の方々と一緒に合唱を、11日には釜石市東日本大震災犠牲者追悼式の中で献唱をさせていただきました。


2012年2月21日

第28次:2月13日(月)~15日(水) 大槌町、釜石市

今回は、大震災一周年となる3月11日と、その前日の10日に、釜石市と大槌町で、世界的にも知られている東京少年少女合唱隊の演奏を行うための準備に出掛けました。合唱隊の代表の方々を含め5名で、期間も短期間でしたが、良い交わりと準備の時を持つ事が出来ました。

会場となる幼稚園

2012年1月30日

第27次:1月22日(日)~26日(木) 陸前高田市、大槌町、釜石市

年が明け、随分寒い日が続いています。

岩手県の海沿いは内陸部と比べると暖かい気候のようですが、それでも、この寒さのために大槌町も雪が積もり、連日最低気温は、零下でした。この時期は積雪や、道路の凍結などのために屋外の工事はほとんど見られませんでした。今回は、「雪かき」「氷取り」の必要がないときには、「依頼のある建物内の泥だし」「仮設からご自身の修理した家への引っ越しの手伝い」をすることになっていましたが、日本列島が大寒波に覆われた時期でもあり、ニーズに応じて「氷取り」をさせていただきました。雪も積もっていたのですが、あちこちアイスバーンになっていて非常に危なくなっています。ただでさえ働き人が少ないこの時期に、雪のためにさらにボランティアが一時の10分の1以下に激減しており、たいそう喜ばれました。今回大槌町でボランティアを登録したのは、初日のボランティアは、別のグループとアガペーCGNだけで、翌日は、なんとアガペーCGNだけでした。そういう中でしたので、どこに顔を出しても大喜びしてくださいました。

2012年1月29日

年末年始

年末年始は時間の調整が難しく実際に体が現地に行くことができなかったのですが、多くの者たちが毎日心に思いが与えられ、そのたびにお祈りさせていただいてきました。そして、電話やメール、FAX、手紙などで現地の方々とやり取りをさせていただく度に、どの方も「忘れられていない」「一人じゃない」「ありがたい」・・・という思いで大喜びされていました。

さて、寒中見舞いなどステキな写真つきのお葉書なども現地からたくさん送られてきました。私たちも、みなさんにとても励まされています。お互いに声をかけ合っていきましょう!たとえ目に見える共に過ごせる時間は少なくても、いつも覚えてお祈りしています。今後ともよろしくお願いします。