2012年5月2日

第31次:4月23日(月)~26日(木) 岩手県大槌町、陸前高田市、宮城県岩沼市



今回のミッションは主に三つでした。

第一に、「地域、人々のために率先して仕えてくださっている地元の人たちへの物心両面の援助」です。私たちは、いつも現地にいるわけではありませんので、継続して支援してくださる地元の方々へのサポートと交わりをわずかではありますが大切にさせていただいております。キリスト教会のある地域では各教会に物資などを届けますが、教会のない地域には、学校・幼稚園・保育所・老人ホームなどの各施設や、各地域のキーパーソンに託します。

第二に「ニーズ調査」です。今回は、宮城県と岩手県の一部を訪問しましたが、路上のがれきはほぼきれいに取り除かれております。震災後、大きな穴が空いていた道路も、一部を除いてきちんと埋めてあり、運転しやすかったです。被害が大きく、一件の商店もなくなってしまったような地域にも、あちこちに商店やスーパー、ショッピングセンターが開店しており大変うれしかったです。震災後1年を経過し、目に見える復興は進んでいる部分も多いですが、一方で、ようやくココロに痛みや悲しみを感じられるようになってきた方もたくさんおられます。「ココロが震災以来止まったままの方」「震災前に住んでいた家の様子が鮮明に見えているのに、それが幻覚だったことに気づいたときの何とも言えないむなしさを感じておられる方」「震災で家が残った方は、家の中は以前と何も変わっていないのに、一歩外に出たときに目のあたりにする廃墟と化した自分の町に絶望し、すっかりひきこもりになってしまっておられる方」「震災後は大丈夫だったのに、一年を過ぎてからココロをコントロールできなくなっておられるたくさんの方」・・・。一人一人に歴史があり、震災の傷があり、各々がそれぞれに自分にしかわからない痛み方で痛み苦しんでおられます。表面上は、明るく振る舞って地域のために喜んで仕えておられる方も何度か涙ながらに語ってくださった言葉が忘れられません・・・「震災でみんながバラバラになり、町がぐちゃぐちゃになり・・・悲しいです。情けないです。このままではこの町はダメになってしまいます。僕はこの町を愛しています。助けてください。」・・・この方は、震災後8ヶ月ほどは横になっても毎日4時間ほどしか寝ることができず、涙もほとんど出てこなかったのに、11月頃からようやく8時間ほどの睡眠がとれるようになり、悲しさもむなしさも感じるようになって涙もでるようになったようです。多くの方が「心のケア」を必要としています。そして、多くの方々がおっしゃるのは「僕たちのことを忘れないでほしい」「一緒に居てほしい」ということでした。そういうこともあり、リピーターで同じ顔を見せるだけでもすごく喜ばれ、心が癒されるようです。また、地域によっては漁業などの産業の復興の問題も次なる大切なステップとして取り上げられています。

第三に「拠点の引っ越し」です。震災直後は、宮城県塩竃市に拠点を構えていましたが、その後は気仙沼市に、そして昨年の五月からは岩手県大槌町、陸前高田市などに力を入れるために岩手県の一関市に拠点を移動してきました。昨年の冬ぐらいからようやく岩手県沿岸部の不動産や宿が動いてきたので、一関市の拠点を解約することになりました。転居に際して、荷物の整理、配布、必要な地域に必要な物の郵送作業を行いました。


4月23日(月)

朝8時40分にハイエース(商用車)に白いポリタンクを車にぎっちりに積めて出発。

14時30分にWH教団が行っている宮城県岩沼市のEM散布ボランティアの拠点に到着し、東京から荷積みした50個以上のポリタンクを全て提供し、しばし、交わりの時を持ちました。



四月から常駐のスタッフがEMの作り方の簡単な説明や保管についてなどを説明してくれました。
頼もしい青年でした。





軒下などはこのようにしてEMを散布します。

17時に一関の拠点に到着。

夕食後すぐにツナ缶の整理。三人で全力で三時間の仕事量でした・・・。クタクタになりましたが、ココロは穏やかです。後ろにあるのは、頼まれていたポリタンクです。



22時半 消灯


4月24日(火)

6時      起床
6時半     お祈り、食事
7時      後ろも見えないほど荷積み


8時      出発



黒い袋・・・堤防ができるまでの今できる対策でしょう


11時頃    大槌町に到着   約20ヶ所の訪問

震災以来今までに継続して関係を持ってきた地域や施設の人々との再会を喜び合い、お話を伺いました。

多くの地域では、「ワカメ」や「漁」や「加工会社」の復興が少しずつ進んでいますが、大槌町はまだまだ多くの痛みをかかえておられるようです。震災以前からの「漁業の高齢化」に加え、「未だに網がない」「未だに船がない」「ワカメをつくっても洗浄する機械などがないので、商品にできない」「網や船をなんとかして用意したが、船着き場(港)がない」「保管する冷蔵庫が全て流された」「震災後大槌町ではなかなか漁業・加工会社の復興が進まないために、他の地域に就職してしまった」・・・人々の悲しみは想像以上に大きかったです。そのような中でも、本当にお互いに今の精一杯を捧げ、知恵を出し合って今新しい一歩を踏み出しておられるようです。私たちに大きなことはできませんが、祈りつつ、見守り続けていきたいです。

新しい出会いもいくつかありましたが、特に印象に残ったのはAさんとのやりとりです。いつも情報交換を良くしている友人と昼食を食べに行く途中に、Aさんとの出会いがありました。友人がAさんのことを「僕の後輩だけど、釣りの先生☆良い人だよ☆釣りがすごく上手なんだよ☆」と紹介してくれました。Aさんもそのように紹介されてニコニコとすごくうれしそうだったので、私はAさんに「釣りですか。良いですね☆楽しそうですね。今度私も釣りに連れて行ってくださいよ」とすごく自然に声をかけたところ、彼の顔は一瞬にして曇り静かに「そういえば震災以来海に出たこと一度もないなあ。まだ、海に出たいとは思えない。それにまだまだそんな時間も心のゆとりもないよ。それより、歯の治療をしなきゃ。歯医者もなかったし、忙しかったからまだ治療できてないんだ」との返答でした・・・。私は、瞬時に『しまった』と反省しましたが、後悔あとにたたず・・・すぐに謝りましたがそれ以上なんと言えばいいのかわからず、お互いしばらく沈黙が続きました。

昨年関わりのあった全ての学校にも挨拶に行かせていただきましたが、先生方の多くが転勤されていたのでびっくりしました。

また、地元の方からの話によると土地の価格が急上昇。岩地と砂地の土地は家を建てるのにふさわしくなく、津波の心配もないところとなると、家を建てたくとも土地がないとのことで、地元の方でさえ家を建てる土地の確保に苦労されています。





4月25日(水)

6時      起床
6時半     お祈り、食事
7時      宿を出発  
8時30分   大槌町に到着   約20ヶ所の訪問 

プレハブは丈夫ですが、フェンスや遊具などは強風で何十メートルも飛ぶようです・・・。3月末には大人4人で移動する「ダンボ」が強風で空を飛び、職員たちはびっくりしたとのことです・・・。



震災後1ヶ月程で元気になったと思われた子どもたちも、最近になって再び夜になると泣き出す子もいるようです。


仮設住宅の集会所では「雑巾作り」「カラオケの会」など様々な活動が日常的に行われている地域もあります。





桜が満開の時期でした。あるガソリンスタンドの方は「去年は桜がきれいだとは思わなかった。今年は、仮設住宅の近くに咲いている桜を見てたらきれいだなあ~と思って飾っているんです。少しは気持ちも和らぐかなと思って」とのことでした。「いつも来てくれてありがとうございます☆忘れないでいてくれてありがとうございます。」と心から声をかけてくださいました。



また、ある保育園を訪問した際に、今年度中には元の園舎の修理工事を完了し、来年度には本園舎に戻る予定であることを喜んで教えてくださいました。始めは『一度津波が来たところに再び戻るのは・・・』と躊躇されていましたが、ボランティアの方々が次々に来て泥出しをしてくださっている姿を見続ける中で『もう一度帰ろう』と思えるようになったようです。ほんの少しでしたが、そのことにも関わらせて頂いた恵みに感謝しました。

震災当初から関わりのあるBさんを訪問したところ再会を大変喜んでくださいました。交わりの後「釜石市の自宅まで帰りたい。良かったら途中まで車に乗せてほしい。」と声をかけてくださったので喜んで送迎させていただきました。ちょうど大槌町を出発してまさに、釜石経由で陸前高田市に向かう予定だったのでお互い絶妙のタイミングにびっくりしました。Bさんの希望によりご自宅で良き交わりの時を持たせていただきました。

その後、陸前高田キリスト教会で近所の方も交えて交わりの時を持たせていただきました。
小さな丘を越えて以前は子どもたちがたくさん遊びに来ていたのに、最近では全く子どもも山を越えて遊びに来なくなったようです・・・。


それでも、先生方は祈り続け、人々に仕え続けてくださっています。


4月26日(木)

6時   起床        6時半  お祈り、食事     7時15分   掃除と荷積み
10時20分に不動産の方と大家さんの立ち会いのもと、鍵の返却。
10時45分  次なるステップへ。新しい出発☆






17時     東京到着

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