2019年1月27日

第87次:2018年12月25日(火)~30日(日) 岩手県大槌町

滞在中の現地の気温は「最高が3度、最低はマイナス」の予報で、しかも今回は、諸事情により全期間「現地チームの車」の調達が不可能の予定でした。よって、基本は「徒歩」と「(アガペー農園の)自転車」と「(各方面一日に数本の)町内バス」での移動で、必要により「タクシー」利用の覚悟で現地入りしましたが・・・神様は実に愛と慈しみに富んでおられる方で、急きょ27日の午後から車が与えられました!おかげで行動範囲も大きく広がり、豊かな各所訪問となりました。


<12月26日(水)>

 朝7時45分に夜行バスが大槌に到着し、まずは、宿へ直行。8時半から女将や大将と近況や、今後のことなど色々お話が出来ました。出発の時には、「皆で食べて」と手作りフツールケーキを持たせてくださいました。いつもながら女将の愛と気配り、おもてなしが素敵です。


 9時~13時半は、現地チームと合流し、約80名で餅つき大会をしました。いつもの「アガペー農園」のメンバーたちにも一気にお会いできました。仮設時代、施設入所時代には他の地域でしかお会いしたことのなかった方にも、復興住宅(転居)のために、まさかの意外な場所での再会となった人も沢山いました。住民同士でも「あらっ、この近くなの?」「今、どこに住んでるの?」「震災前に○○さんの家の前に住んでいた人ですか?」「○○さんは今どこにいるの?」「こんな機会(餅つきなどのイベント)でもないと、寒いし、誘ってくれる人もいないし、なかなか外に出る機会がないね~」など・・・とお話されていました。ちなみに、「餅つき会場」は、復興工事などの影響で毎年変わり、今年は、新しく出来た集会場で行われました。この場所は隊員にも思い出深い場所で、震災直後から数か月は、大きな運動場に張られた超巨大なテントの物資倉庫があり、地元の人たちと何度も足を運んだ場所です。しかも、その後は、(震災で町内の4小学校1中学校が被災したため)1小学校(4校合併)と1中学校の仮設校舎の建設開始・・・2011年9月~2016年9月の5年間、仮設小学校・中学校として子どもたちが過ごした場所でした。地元の人たちも、色々なことを思い出しながらの餅つきとなりました。




 午後は、餅つきの片づけをし、Aさん(地元のリーダーの一人)と一緒に「餅の配達」に10軒ほど訪問させて頂きました。まずは、初期の頃からの仲間、Bさん宅も訪問しました。Bさん(Aさんの親友)の奥さんが1か月ほど前から入院しており、退院を数日前にして、症状が急に悪化し、数週間ほど前に天に凱旋・・・。Bさんは、突然の大きなショックで『年内は喪に服す』と、家におられたので、Aさんと訪問をしました。Bさんは、笑顔で会ってくださいましたが、ずいぶんやせこけておられました・・・。






 Cさん宅では、CさんとAさんでかなりの方言で1時間ほどお話・・・話はすべて震災の話でした。内容は「今だから言えることだけど・・・」「あの時・・・だったら・・・」「昔は・・・」「震災前は・・・」など話が続きました。


 16時(外はかなり暗い)からは、自転車のパンク修理2台(前後タイヤの空気が完全に抜けていただけでした)を終え、隊員一人で「自転車での町内周遊24時間」が始まりました・・・。


まずは、D幼稚園を訪問すると、ちょうど良いタイミングだったようで、大歓迎され、すごく良き時となりました。



18時前、アガペーCGNの「お母さん」にご挨拶に伺うと、(昨年ぐらいまでは復興工事の人やボランティアの人たちが沢山おられてにぎやかだったのに)まさかの一人ぼっちで、突然の隊員の訪問に大喜びしてくださいました。

 いつもは、車の移動なので20時過ぎまで活動していますが、真冬の自転車での一人移動なので安全第一を心掛け、18時半に宿に戻り、翌日に備えました。

宿での夕食はいつもながらの絶品で一日の疲れがとれました!



<12月27日(木)>

7時 朝食

7時半 旦那さんが満3回忌のEさん訪問。以前より、「この日は、朝から墓参り(山)に行く」と言っておられたので、その前にご挨拶に行くために、事前にアポをとり、Eさんの希望された時間の訪問でした。息子さんにもお会いできて「ヨンタさん(アガペーCGN代表、サンタさんの友達)」とも電話交信できました。


その後、震災以来関わりのある港へ向かうと、9時を過ぎているのにまだ続く水揚!




先週の土曜日からサバが大量にとれているそうです。今日も55トンのサバの水揚げでした。


 いつもながらのものすごい強風の中、港まで「行きは良い良い(宿から自転車で20分。盛り土のためにアップダウンはほとんどない)」、「帰りは『強風&逆風』と『上り坂』」のために、歩いた方が早い状態で走行していました。ある時には、ビュービューと大きな木枯らしが吹き荒れる中を、押し車を押してゆ~っくりゆ~っくり歩いておられる地元のおばあさんに「あなたは、ガスの電池はどこで買っているの?(翻訳済み)」と突然声をかけられました。そのおばあさんが声をかけれるぐらい、隊員は遅いスピードで自転車で走行していたのでした(笑)。方言だらけでしたが、祈りつつ聞けば、「一人暮らしで、今月になって3回ガスの電池を交換しているが、今ガスをつけようとしたらまたつかなくなった・・・朝はついたのに・・・」とのことでした。隊員が、地元でこういうのが詳しそうで信頼できるFさんに電話すると3分で現場に駆けつけてくれて、しかもそのおばあさんとFさんは知り合いで、おばあさんの家に出入りしている業者さんもFさんの後輩だったので、携帯で連絡をとりあい、10分以内に業者さんが来て下さり、一件落着!このおばあさんは、すごく困っていて、「ずっと人を探していたけど、皆車で走っていくから誰も助けてくれない」・・・「どこにも人なんか歩いてないでしょ」「仮設の時には戸を叩いたら、隣の人が助けてくれたけど、今は誰もいない。役所の人は月に一回だけ。」・・・(全て翻訳済み)・・・と訴えておられました。





 その後2件訪問し、お昼は「お母さん」の所で頂きました。既に天に凱旋された、愛する「お父さん」や「おばあさん」達の写真の前で、「あの震災がなければ、もう少し一緒にいれたかな~」と悔しそうに後悔の言葉。『いつも精一杯“そのときの最善”と思うことをやってきたつもりだったけど、あの時に、選択を間違えたかな』・・・「何年経っても後悔が抜けない苦しさ」や、「あの震災の中、この世に残された者としての使命」などを語ってくださいました。


14~16時は、「畑」の仲間が13時~の「健康マージャン教室」に多数参加しているので初めて顔を出すと、6年ぶりにお会いできた人や、新しい人たちもいて、すごくうれしかったです。20名以上いました。「(アルコールを)飲まない」「(お金を)かけない」「(たばこを)吸わない」の健康マージャンは、見守りの意味も込めて、社協から依頼されてGさんが使命をもってまとめておられました。お茶タイムとラジオ体操付きでした。



その後、恵みにより、16時前に自転車から車にチェンジできました!約24時間で、18Kmの自転車での移動は、普段、車の移動ばかりだと全く気づかない多くの学びの時となりました。


その後、車で数軒訪問・・・17時ごろから雪がちらつきはじめ、最後の家を出る時には雪景色www。宿の大将は、『隊員が、電柱を含めて街灯も皆無に等しい町を(まさに真っ暗な中)、女一人で雪道を自転車で移動している』と思って、「大丈夫?雪降って来たよ?いまどこ?」と、心配して安否確認の電話までくれ、外は極寒なのに、一気に心が温まりました。


<12月28日(金)>

5時45分 港に向けて出発

昨日、港で「明日は6時に船が戻ってくるかな?」と聞いたので、待ち構えていましたが、今日もサバと鮭の大漁で、待てども待てども船は戻って来ず、一旦宿に戻り朝食。





現地チームの家族と合流し、8時過ぎに再び港へ行くと圧巻の水揚げでした!



町全体を見下ろせるいつもの高台に上り、祈りのひと時・・・。目に見える「かさ上げ」、「堤防」、「三鉄の線路」、「三鉄の駅」は徐々にできてきましたが、人はどんどん減って行っているようです・・・。



その後、地元の子どもたちの宿題ヘルプと、磯遊び。極寒の中でも、「魚」や「ツボ貝」「アメフラシ」を見つけて遊んでいました。お昼0時で気温は「-2℃」でした・・・。「帽子をかぶらないと頭が痛い」「手袋をしないと手が凍るかも」という経験を初めてしました。



その後、「お母さん」のところで昼食。



 町には大きな川が2本ありますが、両方とも堤防の工事。海は防波堤の工事・・・。



その後、Hばあさん宅訪問。東京の隊員たちと電話交信。 「家族とはこういうこと。息子が教えてくれた」と嬉しそうに、ぬいぐるみをぎゅうぎゅうに詰め込んだ小さな箱を見せて教えてくださいました。津波前の思い出だそうです・・・。「絆ノート(関所)」も新しくなり、「アガペーさんが来たら、題名を書いてもらうと思って数ヶ月待ったよ。“心”って書いて」と言われ、心を込めて書かせて頂きました。





<12月29日(土)>

 宿のチェックアウト。本当にお世話になりました。毎朝「皆で食べて」って、手作りケーキとかを毎日たくさん持たせてくれて、美味しく訪問先などで頂きました☆朝食も夕食もすごく美味しくて、未だに夕食を完食したことがありません♭しかも、地元のとれたての野菜とか魚とかホタテとか・・・美味しいものが沢山食卓に並びます☆




終日ほとんどI商店の手伝いでした。8Kgあった新荒巻の解体と三枚おろしに初チャレンジ。出刃包丁でのこぎりのように使ってゴキゴキとカットしていきました。店のおばちゃんたちから「明日か明後日は筋肉痛になるよ」と言われながら(笑)。同時進行で、もち米を蒸し、(機械がやるとはいえ)6升の餅つきもしました。『働き者の皆さんが少しでも休めるように』と、何でもさせて頂く覚悟で臨んだ7時間でした。気づいたら昼食込みで椅子に座ったのはのべ15分程でした・・・でも、皆さん同じ・・・。とても喜んで頂けました。







その後、数軒訪問。「食べて、納豆餅」と出された時には、正直どうしようかと一瞬焦りましたが、勇気を出して口にする と意外にすごく美味しかったです。


初めて郷土料理のしっぷく(すっぷく)も美味しかったです。


 どこに行っても「食べて 食べて・・・」と。まさに食べる復興支援・・・。あちこちの家で、「キリストさんはすごいね~今でも来るのはキリストさんぐらいだよ~。皆一度は来ても、何度も来る人は滅多にいない。ありがとうね。また、来てね。それまで元気で頑張るから。皆さんにもよろし く。」と声をかけられました。



 この報告だけを読むと『食べてばっかりじゃない?』と思われる方も多いと思われますが、実は、お一人お一人と隊員たちの「約束」なんです。避難所時代、仮設時代を経て、復興住宅、新しい家を元の土地(津波が来た場所)に再建したら、『必ずお茶しに来てね』『小さな家だったとして、必ずご招待するから一緒にご飯食べようね』『今は支援してもらってばっかりだけど、何年かしたらきっと今よりましになると思うから、その時には、家に遊びに来てね』と。そして、ここ数年は、ほとんど訪問者がおらず、家に引きこもっておられる方も、隊員達が来ると思って、掃除をしてみようかと思いたったり、干し柿をつくってみたり・・・『誰かが来てくれるのがうれしい。何カ月かかっても、また会える日を楽しみに生きて行くよ』『私に送られてきた干し柿を、いつ来るかわからないし(腐らないように)冷凍にしてとっといたよ』『津波はつらかったけど、津波があったからこそあんたらに出会えて良かった』・・・などの声を今回も聞かれました。現地チームと連携して今後も小さくても大きな愛をこめて寄り添っていけたらと思っています。


その後、数軒訪問。 あちこちの家で、「キリストさんはすごいね~今でも来るのはキリストさんぐらいだよ~。皆一度は来ても、何度も来る人は滅多にいない。ありがとうね。また、来てね。それまで元気で頑張るから。」と声をかけられました。


夕食は、滞在中に地元で頂いたイクラなどで本格チラシずしを現地チームの家族と一緒に頂きました。



21時少し前に夜行バスに乗り込みました。


震災で、被災地の人たちは多くの「別れ」を経験されてきました。「震災そのものの別れ」だけではなく、「避難所による別れ」、「仮設住宅による別れ」、「復興住宅による別れ」、「他市町村や他県に移住の別れ」など次々と「別れ」を繰り返されておられます。しかし、その一方で、「震災があったからこそ出会えた、『生涯の友』との出会いもあった」とほとんどの方が語られます。

今回も、イベントなどを通して、安否確認、地域の復興に気をかけている現地リーダーたちを励まし、地元の方々に『また来ましたよ』『忘れていませんよ』『少しは休憩してください☆』と顔を見せる小さな働きでしたが、あちこちで「アガペーさんが来た~☆」と、とても喜ばれました。現地チームとも連携して続けて良き種を蒔き、霊・心・体、地域の復興のために祈り続けていきたいです。

0 コメント:

コメントを投稿