2015年4月18日

第65次:2015年4月6日(月)~9日(木) 岩手県大槌町

今回は、初参加の2人を含む男3名、女3名で初期の頃から継続してずっとお世話になっている方々と連携して、「農作業と「お掃除」に行って参りました☆



4月6日(月)

朝8時過ぎに皆様に見送られて出発しました。東京は快晴でしたが、北上するにつれだんだんと雲が増え、パラパラと小雨が降ってきました。パーキングエリアで昼食をとり、順調に東北入りしました。

午後4時前には陸前高田キリスト教会のM先生を久しぶりに訪ねました。突然の訪問にも関わらず、先生はニコニコ笑顔で教会の周りを案内してくださり、近況を聞かせてくださいました。他の被災地同様、陸前高田市でも現在、地盤引き上げの工事が進められています。たくさんの重機が入り、道路以外の土地に土が高く盛られていました。以前は高台に立つ教会からも見えていた海が、もう半分も見えなくなっていました。それでもまだ予定の半分の高さほどしかないそうです。工事が全て終わる頃には、きっと海は全く見えなくなるのでしょう。長年海に親しみ、暮らしてきた方々を思うと、なんとも言えない気持ちになります。教会のすぐ近くに桜の木が立っていました。震災後、東北では何万本もの桜の木が津波到達ラインに沿って植えられたそうです。その桜の木が、ピンク色の花を咲かせ始めていました。当時を思い起こさせる、しかし希望も感じさせてくれる、そんな桜の花です。その木の向かいに、津波によって崩壊したままの姿で建つ一軒の家がありました。家主のおばあちゃんが最近亡くなられ、結局手を付けられずにそのままにされているそうです。少し離れたところには立派な復興住宅がそびえ立っていましたが、高い家賃のために入居者不足なのだそうです。そんな中、震災前は年に数回しか教会に来なかったある女性の方が、その復興住宅に移り住んだ後、今は毎週の礼拝に来られているのだと、嬉しそうに話してくださいました。震災は多くの変化をもたらしましたが、目に見える表面的な復興もさることながら、人の心の復興も、少しずつでも進められているようです。











途中、奥様先生がお仕事から戻られ、共にしばらく外で笑いの絶えないお交わりの時を持ちました。最後にお祈りをしていただき、一路目的地の大槌町へと出発しました。英語交じりのジョークで豪快に笑う奥様先生と、横で静かに笑みをたたえておられるM先生。ご夫妻が開拓された教会を前に神様が今後どのようなミラクルをこの地に起こされるのか楽しみでなりませんでした。

午後7時頃、無事に地元の宿へ到着しました。実はその日から、そこに『特集を撮りたい』とテレビの取材が入っていました。取材チームは、私たちの滞在に合わせ日曜日に帰る予定を木曜日まで延ばすことにしたそうです。というわけで、私たちも撮影に協力することになりました。さっそく「お母さん」との再会を喜ぶところからカメラが回り始めました。車を降りてくる私たちを迎え入れた「お母さん」の第一声は「おかえり!」でした。それは涙が出るほど嬉しい言葉でした。ボランティアを何百人も受け入れているにも関わらず、一人一人を大切にしてくださる「母の愛」☆再会の喜びを分かち合い、さっそく合言葉である「食べろ、食べろ!」が始まりました。食卓に並ぶ美味しいご飯に舌鼓を打ち、近況を報告し合い、話に花が咲き盛り上がる様子をカメラがずっと撮影していました。あまり遅くならないよう話をきりあげ、順番にお風呂に入り、就寝。初日の行程が守られたことを感謝しながら、予報では翌日は雨でしたので天候が守られるよう祈りつつ、眠りにつきました……。



4月7日(火)

5時半に起床し、お祈りのひと時☆その後、お手伝いをしようと台所に行くと、すでにテレビの取材の方々がスタンバイしていました。品数たくさんの朝ごはんをお腹いっぱいいただき、8時過ぎよりさっそく作業開始です。女性陣は「弁当詰め」のお手伝い。男子陣は「店の掃除」です。自動ドアや窓ガラスを綺麗にふきあげ、チラシ等を張っていたセロハンテープの痕も綺麗にはがしました。







ひと段落ついた10時頃、畑へ移動しました。今回のメインの作業です!地元の方たちとの共同作業☆感謝なことに、天候も回復し、雨も少しパラついただけで守られました。さて、作業ですが、思っていたよりも時期的に早くアガペー隊が来てしまったそうで、当初は「ジャガイモの植えつけを手伝って欲しい」とのことでしたが、実際には違う作業をしました。ジャガイモの植えつけはもう少し温かくなってからだそうです。女子はチューリップ畑の雑草を丁寧に取り除く作業をしました。男子は先ず、畑の周りに張られている動物除けネットの修復し、次にジャガイモ植えつけの下準備をしました。初めて扱う重たい耕耘機で畑の土を一生懸命に耕しました。気温は低かったのですが、あっという間に男子は汗だくに。小石に邪魔されながらも、だんだんと耕耘機の扱いも慣れてきたようで、午後には無事に畑全体を耕し終え、仕上げにスコップで畝を作ることができました。







お昼ご飯は「お母さん」からのお弁当を頂きました。「自分たちで自由にあるもの詰めて持って行っていいよ。」と言ってくださったので、言葉を真に受けて私たちは、お弁当箱にご飯と何種類ものおかずをたっぷり詰めました。そして、皆で畑のそばでお交わりの時をもちながらいただきました。

Aさんは元消防士なので、農業は全くの初心者だそうです。それでも野菜作りについて図書館で一生懸命勉強をされているそうです。ノートにまとめたたくさんのメモを見せてくださいましたが。図までも綺麗に書き写されていました。きっとこれから更にたくさんの美味しい野菜が収穫できるでしょう、楽しみです。





作業を終え、宿に帰る前に近くのショッピングセンターでスケッチブックやカラーペンを購入しました。実は、お母さんYさんへのプレゼントを作ろうと前の晩に思い立ったのでした。たくさんのボランティアが寄ったり泊まったりする宿の壁には、貼りきれないほどたくさんの写真や手紙等が貼られています。一人一人との出会い・絆を大切にされ、メッセージや写真を大切にされているお母さんですが、壁の面積には限りがあります。また貼った物が落ちたり汚れたりということもありました。そこで大きなスケッチブックを用意し、それに誰でもY商店を訪れる人は、メッセージを書いたり写真を貼ったりしたらいいのではないかと思ったからです。最後の日にサプライズで渡すことにし、その晩からアイディアを出し合い仕上げて行きました。

さて、宿に戻ると帰って来るボランティア隊をまた迎えるシーンを撮影するため、テレビスタッフが私たちのことを待っていました。カメラを向けられるのは、なかなか経験がないため少し緊張してしまいますが、「私たちではなくお母さんが主役だから、自然にふるまおう」とお互い声をかけつつ、できるだけカメラを意識しないように笑顔でいるようにしました。ときどきマイクを向けられ、話を聞かれたりもしました。「なぜ震災から4年も経っているのにボランティアを続けているのですか?」「大槌町がどのように復興してもらいたいですか?」などなど。。。

「おかえり!疲れたでしょ、ご飯食べろ!」といお母さんの声に迎えられ、さっそく早めの夕食を頂きました。朝もお昼もたくさん食べたにも関わらず、体を動かしたからでしょうか、もうお腹ペコペコでした。皆で食卓のテーブルを囲みながら一日の報告をしたり、お母さんの歩まれてきた人生のお話を聞いたりしました。また震災時の大槌町のことも改めてお話くださいました。





取材チームの方々にも「夕飯食べろ、食べろ!」とお母さんは勧め、そして私たちは皆で以前に放送された「大槌のお母ちゃん」というBさんについての特集番組のビデオ鑑賞をしました。大槌町に来るボランティアの方々を温かく受け入れ、無償で宿泊場所や食事を提供しているBさん「お母さん」を取材したものでした。番組の中である方がBさんのことを「自分を顧みず、他人に尽くす、とんでもない人」と表現されていたのが印象的でした。正にその通りだと思います。自分のことは後回しで、まず地域の人々、そしてボランティアの人々に仕えるY姿に感動を覚えました。毎日大変忙しい中動き回っているYさんですが、「一番の癒しの時はお父ちゃん(ご主人)の介護をされている時、二人揃って一人前なのさ。」と笑顔で仰ってました。そこにある大きな夫婦愛が垣間見えました。

寝る前に、アガペー隊内でも分かち合いの時を持ちました。隊員が感じたことをいくつか記したいと思います。「間接的に被災地の話を聞くのと、実際に行って見聞きするのは全然違った。今まで被災地のために祈っているつもりだったが、具体的にどう祈ればいいのかわからなかった。今ならもっとわかる。」「お母さんは宗教とか関係なく、『命』を本当に尊んでいて、使命を持って生きている。弱さを恥じとせず、弱いときこそ強いんだと、、、あるべき生き方をされている。全ての人をありのまま受け入れている。」心も身体も満たされて眠りに就きました。


4月8日(水)

この日も6時半よりお祈りの時をもち、7時半には朝ごはんを頂きました。この日はテレビの取材はなく、またお弁当の準備も従業員の方々がいらしたのでお手伝いはなく、早目に畑仕事の準備を整え出発し、「希望の灯り」を見に高台へ寄りました。そこからは大槌町全体を見渡すことができ、地盤引き上げの盛土工事が進められているのがよく見えました。



この日の農作業は前日作業した畑から15キロ離れた金澤地区の畑で行いました。ここの山の斜面に畑があり、ここも耕耘機で耕したいとのことでした。運んできた耕耘機を軽トラックから下ろし作業開始です。感謝のことにこの日は太陽も顔をのぞかせ、気持ちの良い天気でした。男子はまず畑の周りのネットを修復しました。大きな重たいカナヅチでしっかり太い杭を打ち込みました。そして前日と同じように、一人が耕耘機を動かし、その他の人は鍬(くわ)等を使いながら小石を取り除いたり、雑草を取り除いたりしました。この日は女子も耕耘機にチャレンジしました。畑が斜面に沿っているのでバランスをとる事が難しく、また石があると機械が跳ねたりするので最初は苦戦しているようでした。










農作業が進められるなか、Aさんと男子一人がお昼の準備に先に出発しました。港近くの鮮魚店でイカや貝を購入してくださり、Aさんの所属するNPOの事務所前でバーベキューを用意してくれました。

この日の作業としては、畑全部を耕し終えることはできませんでしたが、「後は私たちでするから」とのことでした。山を降り、遅いお昼ご飯に美味しい海鮮バーベキューが待っていました!見たこともないくらい立派なホタテを始め、イカやサンマなどをたくさんいただきました。味付けは醤油だけでしたが、美味しく贅沢なひと時でした。またお母さんが用意してくださった大きなおにぎりやお菓子も一緒にいただきました。お母さんは「こんなんで喜んでくれるとは思わなかった」「また秋に来たら美味しいもの食わせてあげるから」と、ニコニコ嬉しそうに仰ってくださいました。農作業もさることながら、お母さんを始め皆さんは交流の時間を大切にしておられることが分かりました。風が吹く肌寒い中でしたが、本当に温かいひと時でした。





また来る約束をし、大槌町を少しドライブしました。まずはガソリンをいつものC石油で入れてご挨拶をし、いつものD仮設住宅へ参りました。突然の訪問でしたが、何名かの方々に再会できました☆その後、工事中の横を車で通り抜け「ひょっこりひょうたん島」へ向かいました。島へは車は乗り入れられないので、近くの空き地に泊めました。港のすぐ近くには東京大学の海洋研究センターがありました。1階と2階は津波の被害を受けボロボロでしたが、3階は無事だったのか被害が少なかったのか、電気もついていました。1階2階は修復せず、3階で普通に仕事をしている光景がなんだかとても印象深かったです。また港すぐ近くに建つ防壁が傾いたり崩れたりしていて、手すりなどもぐちゃぐちゃになっているのを見て、改めて津波の力強さに驚きました。ひょうたん島も、鳥居はなくなり階段や神社はボロボロでしたが、あの大津波にも負けずしっかりと残っていることに感心しました。








その後ボランティアセンターへ行き、活動報告をしました。

宿に戻り、少し早目に美味しい夕食を頂き、お母さんを囲みいろいろお話を伺いました。テレビで放映されたC商店を見て、何名かの方々が従業員に志願をしてくるそうですが、その中でお母さんはただ優しく受け入れるだけでなく、来る人それぞれの必要に応じて対応されることを知りました。休まなければならない人には「頑張らなくていいよ」と声をかけ、悩んでいる人には聞き役に徹し、お腹を空かせたている時には美味しいご飯を作り、「お母さんと呼んでいいですか?」と聞かれた時にはニコニコ頷く。でもその人が自分の足で立たなければダメになる、思ったときには厳しく接し、いろいろ教え、そして時には「自立するまでここには出入り禁止!」と愛をもって追い出すそうです。そしてその人が胸を張って笑顔で戻って来る日まで、信じて待っているのです。震災がなければテレビにも出ない小さな田舎のお店のおばちゃんが、灯台の光のように安心して立ち寄れる港となり、多くの方々の励ましとなっていることを改めて実感しました。みのもんたからのサインをもらったとニコニコするBさんの笑顔に身体の芯まで温かくなりました。

部屋に戻り次の日お母さんにプレゼントするためのスケッチブックを用意しました。ノートの表紙には大きく「よりみちノート」と書き、シールや折り紙を張って飾り、C商店に来る誰もが自由に写真を貼ったり書き込めるようにしました。そして最初にアガペーCGNがBさんへの感謝の気持ちを書き込みました。




4月9日(木)

最終日、いつものように6時半にお祈りの時を持ちました。さすがに疲れが溜まってきたようで、それぞれ起き出すのに少し時間がかかっているようでした。早めに朝ごはんを頂こうと外に出ると、滞在中の中で一番の快晴で気持ちの良い朝でした。朝食後、2チームに分かれて二カ所の建物の掃除にとりかかりました。掃除が終わる頃に、テレビの取材班が到着しました。最後に別れのシーンを撮影したいとのことでした。カメラが回っている中、皆でお母さんへの感謝の気持ちを込め前日に完成した「よりみちノート」をプレゼントし、そして祝福の祈りを込め「God bless you」を歌い、C商店を後にしました。





帰る前に近くのショッピングセンター2階にある「ぐるっと大槌」に寄りました。ここには仮設住宅に入っている方々の様々な作品がおいてあります。車の中で食べるためのクッキーを何袋か買い、またそれぞれがお土産を買って、大槌町を出発しました。


順調に南下し、途中サービスエリアなどで休憩をとったり食事をとったりしつつ、無事に7時前には教会へ着くことができました。

今回のボランティアを通して、分かったことは、震災から4年経ったからこそ、当時の辛い過去を話すことができる人が出てきていること、そしてそのような方々の多くは「自分がこうすれば家族が助かったのに。。。」など自分を責める思いや後悔の念に駆られている人がいるということでした。動く農作業以上に、ゆっくりと静かに話を伺う時間を多くいただいたからこそ知り得た現状でもあります。限られた時間のボランティア活動ですが、決してお邪魔ではなく歓迎されていることも感謝でした。多くの方々に4年経った今の被災地を体験していただきたいです。また滞在中、雨の予報がことごとく外れ、背後の祈りを強く感じた旅でした。本当にありがとうございました。

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