2011年9月30日

第19次:9月11日(日)~15日(木) 岩手県大槌町、福島県郡山市

9月11日(日)

毎月11日の「東日本大震災3・11復興支援超教派一致祈祷会」に参加しました。その後、今回のミッションのミーティングと積み込み。

9月12日(月) 東京→岩手県一関市

朝6時過ぎに、ハイエース(車)に荷物をパンパンに詰め込んでの出発です。今回は、アメリカから船で届けられた子供服と、子供靴の物資配布です。靴だけは、先週3日間かかって各保育所、幼稚園ごとに仕分けしました。


お昼過ぎに一関の拠点に到着。昼食後さっそく、各園ごとに人数分の服を分けました。ある有名メーカーからの提供です。簡単な作業のようで0~6歳児の服を7つの園に仕分けするのに3時間以上かかりました・・・。





夜の22時半頃には就寝できました。

9月13日(火) 岩手県一関市→大槌町

時間を有効に使うために朝の3時半に起床、お祈りの後、4時半に出発しました(笑)。


遠野市の道の駅で素敵な看板を見つけました。「生きる希望をありがとう」の文字の一つずつをよく見ると、細かい字でメッセージが書かれていました。遠野市の綾織中学校の生徒と職員46名が力をあわせて作ったものです。励まされました!!!

努力の甲斐もあり、朝の8時頃には大槌町に到着できました。大槌町を訪れるたびに復興が進むのを目の当たりにできます。ずいぶん、がれきも片づけられてきました。

さて、靴と服の配布ですが、どこに行ってもみんな大喜びでした。さっそく履(は)いている子もいました☆特に女の子は洋服を見て「かわいい~☆」「おそろいだね☆」と大はしゃぎでした。




今では、きれいに見えるこの園も、震災当時には1メートル以上の高さの津波が園内に入ってきてここまで使用できるようになったこと自体が感動の連続です。また、建物が流されたためにプレハブの園での活動をされていたり、建物の一部が残っていても園として使用するのには難しいために、他の施設を借りていたり・・・それぞれにご苦労されていました。







今話題の「お~ちゃん人形」です。大槌町の「お~ちゃん」☆実にかわいいです。ボランティアセンターやいくつかのお店で販売されています。仮設で生活されている方々が手作りでつくられているので一つ一つ大きさも顔の表情も形も違います。ひもの部分には「第7仮設 ○○子」「がんばっぺし!!復興岩手大槌 ○○第2仮設 ○子」という風に製作者の名前が書かれています。


大槌町の絵を描き続けてこられた方にお会いしました。実物の絵はすべて流されましたが、作品の一部でコピーした物が残ったので、みんながあつまる「広場」に展示されています。毎回、訪れるたびに、『今は流されてしまった大槌町の町の様子を目にして本当に素敵な場所だったんだなあ~今まで以上に素敵な町にさらに復興してほしいなあ~』と願いがわいてきます。今回は、その絵を描かれたOさんに初めてお会いしました☆とても魅力的な方でした。

その後、何軒か知人を訪問して、宿泊先の遠野市にむかいました。この日は朝の3時半から励んでいるにも関わらず、なんと遠野市の宿に到着したのは22時頃でした(笑)。多くの感動の出会いがありました。

9月14日(水)


遠野市から大槌町に向かう朝7時、山道を走行していると、初めて大槌町の野生の鹿2頭に遭遇。あまりにかわいいので、車を安全な所に止めて7分ほど観察していました(笑)。



大槌町内の4つの小学校と、1つの中学校の仮設のプレハブ校舎です。9月半ばに引っ越しです。大槌町内の小中学校はほとんどの学校が津波の大きな被害のために使用できなくなりました。今後は、しばらくこのプレハブでの学びになるようです。今までは、他の学校の一角を借りていたり、他の町まで行ってある施設のほんの一部を学校として使用していたり、1つの学校が分散して他の学校に場所を借りていたり・・・それぞれに不自由さの中で過ごされてきました。今後も、また違ったいろんな不自由はあるでしょうが、一面で期待もあるようです☆一歩ずつ復興に向けて進んでいます!!!

朝10時~ 仮設への引っ越しの手伝い
この地域は95世帯ほどありましたが、全て津波の被害を受けました。しかし、多くの人たちの協力もあり、約25世帯は「やはり自分の家が良い」と戻って生活をされていました。ところが、行政より「残念ながらこの地域の建物は耐震性が弱いのですべて解体地域になります・・・。」との指示が出ました。解体までの期日はあと一日。明日には業者が入ってきてどんどん解体されていきます・・・。ある、80代の身寄りのないおばあさんのお手伝いをさせていただきました。彼女の一番の願いは、リクライニング式の自分が使用していたベッドを運んでほしいということでした。家の玄関をつぶして、大きなベッドを運びました。今回はハイエースに乗っていたので、巨大ベッドも運ぶことができ、喜ばれました。




仮設に到着したら、なんとなんと部屋の狭さにびっくりしました・・・。みんな「これは入らないよ・・・♭」というので、おばあちゃんはがっかりして「無駄なことをしてしまった。みんなに迷惑かけただけだね。悪かったね。このベッドどうしようか。捨てようか。でも、ベッドでないと私は腰が悪いから困るし・・・。」と。おばあちゃんを交えて作戦会議☆ある20代の青年が「ここは、ばっちゃんの家だ。だからばっちゃんが決めればいいよ。僕たちはそれを手伝うだけだから。ばっちゃんのしたいように言ってみて☆」という姿に私は感動しました。その配慮に心が熱くなりました。結局、ダメもとで、解体して仮設の中に入れる方向で話がまとまりました。「ばっちゃん、解体しても部屋の中に入らない時にはあきらめてね。でも、僕らやってみるよ。ばっちゃん大丈夫だよ。できるよ☆」との青年の声かけとともに作業は進められました。ばっちゃんは、心配そうにずっと様子を見ていました。ある部分はのこぎりで切る必要もありました。



いよいよ部屋に入れる瞬間・・・。「やった~!ばっちゃん入ったね!よかった!やっぱりばっちゃんの言うとおりだ!できた!ばっちゃん、初めからわかってたんだね。僕らが間違ってた。ごめんね。よかったね!」・・・地元青年の声かけに涙が出てきました。解体したベッドを、組み立て引っ越し完了。「また、時々顔を見に来ますね☆」と挨拶して、次のミッションにむかいました。



その後、他の仮設に住む数名の訪問にむかいました。道中、「大槌町仮設診療所」「歯科診療所」「薬局」を発見しました。もちろん十分な設備とは言えませんが、震災当初のことからみれば確かに復興が進んでいます。しかも、外部の人たちによる一方的なサポートではなく、地元の人たちが立ち上がって働いておられました。



そして、今回、一番びっくりしたのがA石油(ガソリンスタンド)。ここは、震災後大槌町で一番早く営業を再開してくれたところで、私たちも相当お世話になってきました。毎回必ずここでガソリンを満タンにします。特に初期のころには、どこに行ってもガソリンがない中で、本当に助かりました。しかも、足こぎ式の「災害用の給油方法」だったために、珍しさもあり、人気をよんでいました。しかし、今回、びっくりしました・・・なんと「電気」で給油できるようになっていました。もちろん「電気」そのものはまだ来ておらず、来る見通しもないために、「発電機」で「電気」をつくっての操作です・・・。本当にびっくりしました!!!今まで寒い日も暑い日もご苦労様でした!!!給油の合間を見て、「濾過通路?」の「泥だし」をしておられたので、30分だけお手伝いさせていただきました。「泥だし」と言っても、狭い場所に、瓦や、ありえない大きな石や、がれきなどが突き刺さっており、男でもすぐに汗だくになるほどの作業でした。ご苦労様です!!!





あるお宅に訪問したときに、「友人から天然のアユをもらった」とのことで、おすそ分けに与りました。通常のアユの2~3倍の大きさで、見たこともないサイズでした。卵の多さも半端じゃなく、あごまでギッシリでした。私の父も田舎でアユつりをしていましたが、あんなに立派なアユは見たことがなかったです。味も抜群。大槌町のアユは最高です!

その後、いくつかの訪問をして夜遅くに一関の拠点に到着。

9月15日(木) 岩手県一関市→福島県郡山市→東京

朝7時に一関を出発し、福島県郡山市にむかいました。




アガペーCGN福島支部の物資倉庫に寄り、次回東北にもっていく物資をハイエースにパンパンに積み込んで東京に戻りました。福島の働き人たちとも良い時を過ごせて感謝でした。  

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