2011年7月24日

第15次:7月17日(日)~7月21日(木) 大槌町 O地区とA地区の2カ所で炊き出し

7月17日(日)
14:40 教会出発
21:40 一関着

7月18日(月)
炊出し準備と、賛美を含む歌の練習   




7月19日(火)
O地区で炊き出し、ミニコンサート





O地区に到着。ゼリー、チキンあんかけ、パンを約200食分用意しました。2時間ほどかけて、入れ替わり立ち替わり人がやって来て喜んでお弁当を受けとってくださいました。多くの方は家に持ち帰っていかれたが、椅子に座って讃美を聞いて下さる方もおられました。一緒に食事をし、良い交わりをする事が出来ました。






今回、グレープフルーツの果物やトマト、そうめん、レトルト、缶詰、ふりかけ類とビタミン剤を世話役の方に託す事にし、一緒にO地区から仮設に移った低所得者層の方々を回りました。日中は留守が多く、残りはいつもご協力くださる世話役さんに託しました。そこの仮設住宅は、O地区から更に奥に入った所で、仮設村のような幾つかのまとまりが集まった地域で、800世帯ほどありました。へんぴな所で近くに店など何もないのですが、スーパーマーケットの車などの移動販売車が回ってくれていました。


14時頃O地区を出発し、高齢者のグループホームを訪ねました。グレープフルーツ、トマト、そうめんなどをお渡しした後、前もって伝えていたわけではなかったのですが、ヴァイオリンの演奏と讃美をさせて頂くことになりました。讃美と言っても一般の曲を中心に歌いました。ほんの20分程であったと思うがとても喜んで下さったようです。


その後、町役場前を通り、ローソンで休憩。釜石経由で遠野へ向かい、翌日の買い出しと、炊き出し準備。寝る時間を惜しんで、メンバーの一人一人が喜びの内に励んでくれていました。

7月20日(水)  A地区で炊き出し、ミニコンサート
朝から雨。少し風もありました。いつも通る峠は霧が出ており、スピードを落として山道を行きました。

11時過ぎにA地区に到着。小雨が降っており、テントを張る大きなスペースもあまりないところから、地区の物資倉庫にもなっているプレハブを借りる事になりました。プレハブの中に弁当、ゼリーと机を運び、代表のFさんが地区の人に声を掛けると、婦人たちが傘をさして出て来られました。日中はやはり留守の方もいるが、11時半位から配布を初め、12時半頃には100食以上が配布され、20食ほど残ったが、Fさんが夕方帰って来られる方々に配布して下さることになった。Fさんは地区会長で、どこの家がまだ取りに来ていないかよくわかっておられたようだ。A周辺の炊き出しはA避難所が中心で、今回炊き出しを行ったA地区は在宅が中心で、避難所から更に奥の場所になるので、目に見える被害も大きかったのに、震災後4か月以上にも関わらず炊出しは今回でやっと3回目だとおっしゃっていました。弁当を取りに来られた方々は本当に喜んでおられました。若干の方々が仮設住宅に移って行かれたが、尚なお130名ほどの方がおられるそうです。プレハブは支援物資の倉庫でもあり、夕方に地区の方々が物資をもらいにくるそうですが、そこにはバナナやパンやその他の若干の物資があるだけで、やはり在宅地域への物資配給は避難所に比べて極端に少ないようです。しかも、在宅避難者への配給は7月で打ち切られるとの事。




午後は、老人ホームをお訪ねしました。昨日と同じく物資を届け、演奏のことを聞いてみるとお願いしたいとの事で、2階の喫茶室に入居者の方々が集まってくださった。皆さん笑顔で耳を傾けて下さり、特に自分の知っている曲は喜んでいたようです。




その後、いつものA石油で給油。今回最年少のY君が給油してくれました。


高台になっている城山公園から大槌町の中心部の一つを眺めました・・・。目に見える復興が進んできたとはいえ、何度見ても心が痛みます。その後、ボランティアセンターに寄り、遠野の宿へ。

7月21日(木)
一関の拠点の掃除し、東京へ。夜に到着。

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