2011年5月22日

第7次:5月15日(日)~19日(木) 陸前高田市、大槌町で炊き出し

今回は屋外での炊き出しがあったのにもかかわらず、天気予報は2~3日連続で70%雨でした。ところが、なんと全日程が晴天になりました。奇跡的な天気で御名を崇めました!

16日(月)陸前高田キリスト教会で炊き出し。近所の人々を招いてランチと交わりの時。周りは一面がれきの山ですが、この教会の隣(手前)で津波は止まったので、教会に目に見える被害は何もないです。この教会の周辺に10数件の家が取り残されています。テーブルにナフキンを敷き、コンビーフのトマト煮とぜんざいを用意。5歳の男の子、近隣の主婦、介護職の夜勤に備えている青年など8名の方々と森田牧師夫妻と、交わりつつ食事をしました。食事後、美容師のTさんが皆さんのカットをさせてもらったが、大変喜ばれました。陸前高田教会には最近毎回のように訪れており、地区の方々と良き交わりがなされているので、打ち解けた良い交わりが持てました。「水」だけは依然、回復しておらず、日に3回給水車が回って来ます。電気は、10日ほど前に、やっと回復。その日に新たに二人に方の遺体が近くで見つかっています。




夜のうちに次の日の仕込みです☆毎回250食で2種類☆結構な体力仕事です(笑)



一関市から大槌町の移動は5時間ほどで遠いですが、大自然が疲れを癒してくれます。牛牧場まであります・・・!






17日(火)5時30分起床で11時に大槌町到着。壊滅した市街地よりほんの少し内陸に入った、A公園に到着。海から10Kほど離れている場所です。同じ公園の中でTさんのカットサービスも行いました。すぐ何人かの列が出来ました。天候も守られ晴天☆外見は特に被災していない普通の住宅地だが、ここは被災して家を流された人たちが、空家を探して住み込んだり、被災した方々が知人・親族をたよって同居されていたりで、直接被災されている人々が大勢おられます。そのためどの家も結構、8人など大家族で住んでいる家が多く、皆さんお鍋を持参して「8人家族なので8人分ください」などと、持ち帰っておられた。広告ができないので、一軒一軒3時間半かけて訪ねたり、車で拡声器を用いて案内したり(担当の方より、「案内が行き届かないと、後でクレームが出るので、出来るだけ案内は地域に行き渡るように」と言われていた)ので、地域の方々が次々に出て来られ、コンビーフの野菜たっぷりトマト煮が250食、ぜんざい300食が配られました。このような地域の方々は、やはり心がずっと緊張しているので、心を和ませる機会を求めているとおっしゃっておられました。また必要な物資があっても、避難所にも取りに行けないそうです。あるお母さんは、子供たちのためのマスクが欲しい、シャンプーが欲しいと言っておられました。Tさんは休みなしでカットを続け30人程のカットをしてくれました。待っている方々とも交わることが出来、被災の様子を聴いたり、一緒に歌を歌ったりしました。一般の歌も歌いましたが、「君は愛されるため生まれた」を歌った時は涙ぐむ方も多かったです。中には、「妹を亡くして、遺体がやっと見つかったが一カ月以上もDNA鑑定の結果を待っている」と涙ながらにむせびながら話してくださる方もいました。参加者の一人アメリカ人のBさんは言葉の壁がありましたが、子供たちとはすっかりうちとけて、人気者になってよく遊んでいました。





18日(水)ボランティアセンターで紹介して頂いた、避難所になっているC小学校(この付近に120人が避難所生活)に到着。大槌町の市街地からかなり内陸(20Kmほど)に入った緑に囲まれた小学校。調理室があいていたので、調理室が使える事になり水道も使えて、良い環境で準備する事が出来ました。ほとんどの人たちが働きに出掛けたり、家が残っている方々は片付けに出掛けたり、スクールバスで1時間離れた学校に行っていたり・・・と、避難所に残っている方は少なかったのですが、それでも40人程は避難所にいらっしゃりました。C小学校で野菜トマト煮とぜんざいを作り、避難所に残っている方々に食べて頂き、帰って来る方々の分を残してきました。この避難所には自衛隊も駐屯しているので、自衛隊の方々にも食べて頂き本当に喜ばれました。前日同様、野菜トマト煮、ぜんざいを250食を(・・・カット)作りました。





Tさんは、最初避難所でカットサービスをする予定でしたが、既に3人の美容師が、カットや毛染めのボランティアに入っており、車で10分ほどのある施設でカット奉仕をする事になりましたが、そこの専属美容師が津波で流されたためにみなさん3月からカットをしていないということでとても喜ばれました。


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