岩手県では、この時期には珍しく前日に雪が降ったとの事で風がとても冷たく、桜の花も蕾(つぼみ)のままの大槌町。 翌日は晴れて昨日の寒さが嘘の様な暖かさになり、この時とばかり あちらこちらの桜が一斉に開き、お昼頃には満開になりました。高台の城山公園からは青い空、青い海、満開の桜、何と素晴らしい景色!しかし、町には家も店も土台だけの広い寂しい平地があり、また、復興の動きでもありますが、ダンプカーの走る音や工事の音が激しく聞こえており、様々な思いと切なる祈りが心をよぎりました。
今回は、3ヶ所の集会場を訪問し、「賛美フラとダンスの講習」「懐かしい唱歌をみんなで歌おう」「ゲーム」「絵本の朗読」「ティータイム」でお交りをさせて頂きました。岩手弁で「主我を愛す」を歌いながら皆さんとフラダンスを踊っているうちに自然とあちこちから笑い声が飛び交っていました。
ティータイムには、皆さんからの話題の多くは、これから建てられる住宅の申し込みについてでした。「今の仮設住宅に移る際には、前住所の村の固まりごとの移住ではなく、全くの抽選だったために、8割ほどは全く知らない人たちばかりとの生活・・・つらい時期を共に励まし支え合い一緒にここまで過ごしてきたのに・・・せっかく仲良しになれた皆さんと別れるのはつらい・・・」、「子ども達の学校や幼稚園が統合され、周りが静かになって寂しい」とおっしゃる方が多かったです。
わずかな時ではありましたが、再会をあちこちで喜び合うことができ、各所で喜んで頂くことができました。
4月22(月) 東京 → 陸前高田市 → 大槌町
肌寒い午前9時15分、峯野先生や教会員たちのお祈りをいただいて出発した42次援助隊は、順調に北上。途上午後5時頃に陸前高田キリスト教会の森田先生を訪問し、これからの奉仕のためにお祈りを捧げていただきました。陸前高田は瓦礫が種類別に整理され、プレハブの商店や美容室、事務所などが建ち、重機があちらこちらに見られ、復興への活気が感じられました。
午後6時すぎ、宿泊所に到着。管理人の方は仕事へ行っておられて留守でしたが、宿泊の用意は整っていました。夕食後に打ち合わせをし、フラダンスと唱歌の練習。ストーブとホッカイロで暖を取り、デボーションの後に休みました。宿泊所は旧小学校後でしたが、その校庭にも仮設住宅が数軒ありました。
4月23日(火) 大槌町
午前7時、早天祈祷会でしっかり聖言を心に留め、一日の奉仕が祝されるよう祈りました。朝食の後、掃除を済ませてリハーサルをして9時35分に出発。まずは、毎回のように訪問するAグループ・ホームで集会。車椅子の方々がほとんどでしたが、援助隊の到着を心待ちにしていらっしゃいました。援助隊員のことを覚えていてくださり、共に再会を喜び合いました。子ども讃美歌の代表作「主われを愛す」をフラダンスで演出。2番目は、その歌を岩手弁で歌いましたら、皆さんにっこり微笑んで、一緒に口ずさんでくださいました。唱歌も懐かしそうに、しっかり歌ってくださいました。その後の風船ゲームは夢中になって楽しんでくださいました。職員の方々も、皆さんの運動神経の速さに目を見張っていました。最後の絵話「にじいろのさかな」は皆さんの心に深い感動を残しました。「また必ず来てね。今度はもっとゆっくりしてよ。」次回は、「次回は昼食をご用意いたしますので、是非ご一緒に。」と声をかけて送り出してくださいました。
その後、満開の桜に歓声を挙げながら、城山を見学。町を一望しながら、「このどこかに心安らぐアガペーハウスを」と切に祈ったことでした。
1時30分、B仮設団地で集会。皆さんはもうすっかり顔なじみで、再会をとても喜んでくださいました。フラダンスも数人の方々が一緒に踊って下さり、交わりの時には手作りのわかめのお惣菜を持ってきてくださった方々もいらっしゃいました。心いっぱい楽しんで、次回の訪問を約束して皆さんは帰って行かれました。その後、代表者が3月11日の津波の様子を収録した貴重なDVDを見せてくださいました。「仮設に住む皆さんには、まだ見せていません。わたしも見たくはないのですが、次に地震と津波が襲う時に備えてもらうためにお見せするのです。」「東京にも南海トラフ地震の予測が言われています。今こそ本気で準備して欲しい!私達の様な悲しい経験をして欲しくない」と真剣に語る彼は、すでに東京都内の高校に招かれて、このDVDを上映し、「忘れてはならない」との思いを込めて講演をなさったそうです。お別れする前に、「被災者の方々の昼の顔と夜の顔は違うのです。援助隊の皆さんが続けて来て、顔を見せてくれるのがわたしにも力になるし、仮設住宅の皆さんにとっても楽しみなのです。」とおっしゃいました。小さな奉仕ではありますが、継続することの力を心にしっかり留めました。
4月24日(水) 大槌町
午前11時、毎回のように再会を楽しみにしてくださっているKさんたちを訪問。愛する町と愛する人々のために身を粉にして多方面において活躍しておられる彼らは、震災後いくつかの「居場所(人々が安心して集まれる場所)」をつくって来られましたが、さらに、地元の方が地元で利益をあげられる様にとNPO法人も立て上げられました。
今回も新しくなったプレハブの事務所でお茶をいただきながら、町の復興の状況や仮設住宅に住む方々の手作りの品物を説明してくださいました。
その後、Kさん達は、畑に連れて行ってくださいました。少し離れた所にある山間の場所で畑を耕し、「被災者の方々がそこで作物の種を蒔き、収穫し、ボランティアに来てくださる方にも食べてもらいたい」「心を和ませてくれるお花畑も準備している」とのことでした。「仕事も無く毎日お酒で紛らわせるだけの人や、心を病んでしまっておられる方の励みになる様に」と土地を借り、皆で協力して耕しておられる畑には、ジャガイモの芽が少し出ていました。畑の周りに梅、桃、柿、栗の木もあり、梅 桃、桜は一緒に花を咲かせ、畑仕事をしている方々を応援している様でした。畑の側の森には椎茸のホダ木もありました。その方達は「来てくれるだけでいいから、また来て下さいよ」と、お別れを惜しんで下さいました。次回から援助隊も少しの時間であっても共に奉仕させていただこうと思いました。
午後1時、C仮設住宅で集会をいたしました。こちらでは、参加者のほとんどの方々がフラダンスを一緒に踊ってくださいました。以前にもダンスをなさった方が2名おられて、お交わりの時に話が途絶えませんでした。震災が起こった時の様子もお話しくださり、しっかり前に向かって進まなければとの思いが伝わってきました。交わりの後で、長年まぐろ船の船長さんだったDさんが、津波に向かって船を進めて助かったことをお話しくださり、黄金時代のマグロ漁のDVDを見せてくださいました。町の漁港が更に活気づくことを夢見ておられました。この仮設住宅に隣接して、復興住宅の建設が間もなく始まり、この8月には被災者の方々の一部が移っていかれるとのことでした。この嬉しい情報の反面、震災から生き残った友人たちの中で自殺した方々が相次いだとの悲しい報告を聞き、心が痛みました。「だから、援助隊の皆さんが来てくれるだけで、やり続ける力が湧くのです。」と、お別れの際に隊員におっしゃった言葉は、援助隊員にとって使命を再確認するものでした。
4月25日(木) 大船渡市の宿 → 東京
7時30分に早天祈祷会、朝食の後で分かち合いの時を持ち、9時40分に宿舎を出発。
帰り道も最後まで守られ、全員無事に東京に到着しました。
復興事業が始まり希望を持たれる方も随分と増えてきましたが、その一方で、心の整理がつかず不安で一杯の方々も大勢おられます。・・・。今こそ、「アガペー・ハウスをこの大槌町に」欲しいと思わされました。「地元の方がいつでも来られて、心の休養ができる場所!全ての事を受け入れ愛で包んで下さる主の元に、主が手を広げて待っていて下さる場所アガペー・ハウス!私たちには何の力もありませんが、主は何でも出来る!思いを超えたはるかな事がおできになる!主にどうかどうか今ここにお願いします」と、帰路中祈りました。
人々の霊心体に真の平安、喜びがあるように祈りつつ・・・
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