2013年5月31日

第43次:2013年5月13日(月)~16日(木) 岩手県(大槌町)


今回も最初から最後まで守られ、祈りに支えられ、恵みの溢れる充実した活動になりました。今回は、青年たち5人で大槌町の畑作業、川掃除、そしてEM配布などの作業に従事させて頂きました。

5月13日(月)

スタッフたちの温かい笑顔と祈りに見送られ、午前9時頃に出発しました。幸いなことにその日は天候に恵まれ、渋滞や事故に巻き込まれることもなく、一路順調に北上しました。今回初めて被災地へ行く者も含め皆少し緊張気味でしたが、まだ桜の咲いている東北の美しい自然にだんだん気持ちもほぐされていくようでした。途中休憩をとりつつ、午後7時頃に無事に大槌町に到着しました。




まず足を運んだのは、大槌町に来たら必ず立ち寄るガソリンスタンドです。そこでは、ガソリンを満タンにして頂くだけでなく、恒例のあめっこ(飴玉)と、人懐っこい笑顔で私たちを迎えて下さいます。この晩の宿泊場所は、震災前から廃校になっていた旧小学校教員宿舎でした。この宿舎を管理されているAさんは、大槌町に来て2年、自らボランティア活動をしながら、今では大槌町に就職をされ、宿舎の管理という責任も持っていらっしゃる方です。宿泊者の方々との交流を毎回楽しみにしているそうです。この日の宿泊団体は、私たちだけでしたがAさんによると、その宿舎がボランティア同士の交流の場、情報交換の場となって欲しいとのことでした。限られた時間でしたが、私達もAさんとしばしお交わりの時を持つことができました。Aさんの大槌町への熱い想い、現在のボランティアの状況、そして現地とボランティア団体の間に立つ者としての課題や展望などを話してくださいました。私たち「アガペーCGN」もしっかり現地の方々と連携を保ちながら今後も歩んでいきたいな、と思わされました。





次の日から天気が崩れるとの予報でしたので、天候が守られるように皆で祈ったあと、眠りにつきました。


5月14日(火)


朝起きてみると「雨が降る」との天気予報は見事に外れ、気持ちの良い晴天となっていました。朝食後、さっそく今回畑作業のお手伝いをするBさんの事務所をお尋ねしました。Bさんとは、震災直後から毎回のように親しく交わらせて頂き、共に、小回りの利く地域に根ざした活動を勧めさせて頂いている、地元の大切な仲間の一人です。4月からBさんが、「畑を手伝って欲しい」との声を何度もあげておられたので、今回の「農作業ボランティア」が実現しました。Bさんは、『震災後、畑作業ができなくなった方々に土地の一部を開放し、みんなで作業できる畑を作りたい、お花畑を作りたい』と願っています。そのお手伝いとして今回私たちが依頼された作業内容は、「荒地を耕し畑にする準備」でした。案内された土地は、何年も放置されていた土地のため、大小様々な石ころが土に混在していました。また、雑草は高く伸びており、根が深く絡(から)まり、太く張っていたため、農作業に慣れていない私達にとっては、なかなかハードな作業でした。普段使っていない筋肉を存分に働かせ、汗を流しながら土と格闘しました。差し入れの栄養ドリンクにも助けられたように思います。







お昼ご飯はBさんご夫妻が用意して下さり、お釜やお鍋やお茶碗等をご自宅から事務所まで運んで下さいました。一緒に畑仕事をしたBさんの2人のお友達も一緒にお昼ご飯を頂きました。何種類もの山菜料理の恵みにあずかり、舌鼓を打ちました。大槌町は山も川も海もあり、まさに自然の恵みの宝庫です。食事をいただきながら、Bさんのお話しに耳を傾けました。大槌町復興への熱い想い、現在直面している課題、そして未来への希望などをBさんご自身の話を交えながら話してくださいました。


午後もひたすら土地を耕す作業を続けました。除去しても除去しても出てくる石ころや雑草の根っこを見ながら、神様の目から見たら人間の心もそのようなものなのだ、と深く思わされました。一日中、鍬(すき)や鋤(くわ)を手にして作業した結果、雑草の生い茂る荒れ地の一角に小さな畑が誕生しました。どんなに雑草や石ころがあっても、土は良いのでしょうか、ミミズやその他の昆虫も少なくありませんでした。私たちが耕した畑の横には、既にトマトやカボチャが植えられている畑がありました。BさんとBさんのお友達が作ったのだそうです。私たちが土を耕している間、Bさんたちは「山から降りてくる動物を防ぐ」ため、その畑のまわりを網で囲っていました。




この日の畑作業は16時に終了し、私たちは前回の「第42次アガペーCGN」より託されたししゅう糸を届けに、吉里吉里地区の仮設住宅の一人の女性を訪ねました。その女性は被災後、手を動かしていないと心が不安になり落ち着かなくなっているそうです。そのため仮設に入ってからししゅうを始め、それ以来ずっと刺し子をしながら気を紛らわせているのだそうです。私たちがししゅう糸をお渡しすると、想像以上に喜んで下さり、「渡したい物があるから、明日また来て欲しい」とおっしゃいました。私たちは「では3時頃に伺います」と約束をして、この日は仮設を後にしました。

その日の宿泊所は、C商店の二階でした。C商店の店長であるCさんは震災以来、地域の方々の「希望の星」として輝いていらっしゃり、テレビにも何度もその様子が放映されています。毎回この商店で昼食などを購入させて頂いておりますが、宿泊やボランティアでお世話になるのは今回で3回目です。前回は、C商店の依頼で近くの川を掃除しました。今回、今までとは違うことが一つありました。それは脳梗塞を患った後ずっと施設に預けていらっしゃったご主人を、3月にCさんが自宅に引き取られたということでした。車椅子のご主人がいらっしゃるにも関わらず、Cさんは笑顔で私たちの宿泊を受け入れて下さいました。このような地元の方々に私たちは助けられ、励ましを受けています。そのCさんのパワーの源はご主人の存在だそうです。

Cさんの美味しい手作りのご飯を頂いて、疲れ切った身体は再び元気を取り戻しました。次の日も午後から雨の予報でしたが、背後で祈って下さっている方々の祈りの援護を受けて、天候が守られるようにと祈り、眠りにつきました。


5月15日(水)


 朝はあっと言う間もなくやってきました。しかし、疲れた体を休めるには十分な時間でした。また、『朝夕の寒暖の差が激しい東北で体調を崩さないように』とそれぞれがいつも以上に気を付けました。たくさん並べられた朝食にびっくりしましたが、朝のデボーションでは魂の栄養を、そして身体には出された朝食を頂いて、今日の任務へと出発しました。嬉しいことに、少し曇り気味ではありましたが、この日も雨のない働き日和となりました。





Bさんは私たちが畑を手伝うことがよほど嬉しいと見えて、終始ニコニコ笑顔で一緒に働いて下さいました。この日は昨日耕した畑のもう一つ手前の場所を新たに開拓することでした。全身筋肉痛の私たちは昨日のように上から鍬を振り下ろすことは長続きしないと考えました。最小限の労力で如何に多くの畑を耕せるかに私たちの思いは、集中しました。また午後には別の予定が入っていたため、要領よく分担して作業を進めました。結果的には午前中だけで昨日と同じくらいの大きさの畑を耕していました。畝(うね)を作り、みんなで並んでグラジオラスの球根を植え、オクラの種を蒔きました。Bさんは「この畑はアガペーガーデンだ!」と喜んでおられました。そして、花や実がなるまでにまた来て欲しいとおっしゃっていました。






お昼ご飯は、Bさんが以前に手伝っていたお弁当屋さんでお弁当を注文して、Bさんの事務所で頂きました。Bさんの若い頃のお話を伺い、当時の写真を見せて頂きました。





楽しい交わりと食事後、私たちは14時に大槌町内の小学校のプールにEMを届けるお仕事を頂いていました。Bさんとお友達は御自分の畑にもEMが欲しいとのことでしたので、一緒にその小学校まで来てくださいました。14時に、WH教団の岩沼のセンターよりEMが軽トラックに運ばれて、小学校に到着しました。東京から持参したたくさんの白いポリタンクにEMを取り分けると、そこら中がEMの匂いでいっぱいになりました。小学校の担当の先生と副校長先生がご挨拶に来て下さり、屋上のプールまでEMが入ったポリバケツをみんなで運びました。EMの匂いと共にキリストの香りも一緒に届きますようにと祈りつつ、プールの水へEMを撒きました。思えば、去年の今頃、その小学校のプールにEMを届けた時と同じ風景が周りに広がっていました。去年のその後のプール掃除は、EMのおかげですごくやり易かったそうです。また来年も依頼が来るなら飛んでいきたいと思わされました。




帰ろうとする私たちを副校長先生が引き止め、職員室の横で交わりの時をもたせてくださいました。3.11のお話しを聞きながら、大槌町の教育委員会が出版した子供たちの被災後の作文集を各メンバーに一冊ずつ頂きました。当時の大変さが先生のお話を伺っても、作文集を読んでも身にしみました。3.11後、生徒の間でその時の話や津波の話題をすることがいつのまにかタブーになっていたそうです。しかし2年経ち、いつまでもそのようではいけないのでは、という思いから特別授業で「もうその時のことを話してもいいんだよ」と子供たちに伝えたとのことでした。子供たちの心にも大きな影響を与えた地震と津波ですが、また今年も楽しくプールの授業を通して子供たちの心が喜びで満ちますように、と祈ったことです。

その後、前日に「また来ます」と約束をした吉里吉里地区の仮設住宅の女性を訪ねました。その女性は私たちが前日届けたししゅう糸でミサンガを二つ作り、プレゼントして下さいました。この女性が出来る精一杯の感謝の気持ちが伝わってきて私たちも喜びでいっぱいでした。「大槌町に来ることがあったら、また会いに来てほしい」、そう名残惜しそうに私たちを見送ってくださいました。真の平和がこの方の心にも届くように祈りたいです。

先に戻っていたBさん達と再び畑で合流し、最後の後片付けをしました。見渡す限りの緑の中に、耕された土が茶色く輝いていました。わずかな時間の中での限りある作業でしたが、Bさんやお友達の方々が本当に喜んでくださり、私たちもまた心が温かくなりました。その畑に今後、花が咲き、豊かに実りが与えられ、大槌町の方々の心も温かく晴れ渡る日が一日も早く来ることを願います。実際は、EMを畑に撒く作業もお手伝いしたかったのですが、残念ながら次の予定が迫っていたのでそれをBさんに託し、畑を後にしました。その足で、私たちはボランティアセンターに向かい、今回の活動の報告書を書きました。以前は、たくさんの職員が仕事をしていたボランティアセンターでしたが、今では二人の職員が事務仕事をしているだけでした。


夕方近くになっていましたが、今度はCさんの依頼である川掃除をするためにC商店へ戻りました。この川は以前も「第38次アガペーCGN」が掃除しましたが、時間が足りなくなり掻き出した泥の最後の後始末が出来ずにいました。そのため脇に放置された泥から雑草が生えたり、再び川に泥が流れ落ちたりしていました。暗くなり始めていましたが、スコップや鎌(かま)を手に、時間との戦いの中で一生懸命泥を運び、雑草を刈りました。最初は手で雑草や泥を運んでいましたが、らちがあかず、近所の小さな工場から手押し一輪車を一台お借りしてきました。それからは仕事がスムーズに運びました。仕事の内容は単純ですが、それぞれがその人に合った作業を短時間でこなすことが出来たことは感謝でした。残念ながら時間の関係で完全に作業を終えることはできませんでしたが、それでもCさんは大変喜んでくださいました。辺りがすっかり暗くなっていましたが、私たちの心は晴れ晴れとしていました。




幸いなことに、私たちがC商店に戻った途端に雷が鳴り響き始め、雨がザーザーと降ってきました。この日も雨の予報でしたが、最後の作業が終わるまで天候を支えてくださった神様と、そして背後でお祈りしてくださった方々に感謝です。


5月16日(木)

美味しい朝食後、お世話になったC商店のCさん御夫妻とお別れの時となりました。車中で食べるためのお菓子をお店で購入したのですが、車に乗り込むと同時に、Cさんが人数分のアイスと大槌町土産のお菓子を手渡して下さいました。Cさんとお交わりをしていつも感じることは、Cさんはまさにアガペーの愛を表して下さっている方だということです。C商店を出発し、最後にいつも立ち寄るD仮設住宅に顔を出し、ご挨拶に伺いました。代表者のEさんを始め、顔なじみの方々が喜んで迎えてくださいました。「アガペーさんの和太鼓演奏を楽しみにしているよ」と心待ちにしている様子でした。別れを惜しみつつ、大槌町を後にしました。


不思議なことに昨晩の雷雨はウソのように過ぎ去り、この日もまた気持ちの良い晴天となりました。不慣れな雨の中での運転を心配していたドライバー達にとって、帰り道の天候が守られたことは本当に感謝なことでした。思いっきり自然と触れ合い、大地と格闘したため全員全身筋肉痛でしたが、それに勝る恵みをそれぞれ受けました。

私たちが耕し植えた種がいずれ花を咲かせるでしょう。同時に、大槌町に蒔かれている福音の種が霊的な花を咲かせ、何倍もの実を結ぶ日が来ることを祈っています。アガペーCGNの働きが今後も続いていく中で、更なる神様のご計画の実現を楽しみにしています。




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