2018年8月13日

第86次:2018年8月5日(日)~9日(木) 岩手県大槌町


今回は、大槌の現地チーム(ジョイフルハウスのご家族4名)と現地で合流し、各所訪問のミッションでした。皆さんのお祈りと共にあちこちに愛と喜びの配達をさせて頂きました。実際に現地に行けないときも、電話やメールで各地と連絡をとりあっていますが、やはり、「百聞は一見に如かず」です。

滞在中の天気予報は、台風のため、ことごとく「雨」のはずでしたが、「傘いらず」の快適な気候に恵まれ感謝の連続でした。最終日以外は15~20度ほどで熱中症厳重警戒、熱帯夜の東京と比べると寒いぐらいでした。    

<8月5日(日)>

池袋から夜行バスに乗り込む。連日の疲れもありましたが、とにかく「今の最善」で準備。

<8月6日(月)>
  
7時過ぎに大槌ローソン前に到着。現地チームが迎えに来て下さり、無事合流。そして、宿に向かう途中に、(朝早いまさにこの時間でないと、他の時間だと仕事が忙しくて会えないお方がおられる)A商店を訪問。「あら~、久しぶり。皆元気か?・・・」とすごく喜んで下さいました。その方は、東京にいる「ヨンタさん(サンタクロースの友人。アガペーCGNの代表)」や他の隊員達と電話で話すこともでき、ニコニコ顔でした。

その後、宿で近況を伺い、祈り合い、互いに「チューニング」& 各所の滞在中の訪問アポ。
 
早速、子ども隊員と一緒に最近できた「おしゃっち(大槌町立文化交流センター&図書館)」を見に行きました。3階は図書館で、2階は会議室とコンサートホールと震災関係掲示など、1階には「震災後7年+αの歩み」と、「震災前の街並み」等が掲示されていました。2階の<忘れない、伝える、備える>コーナーには、流された人たちの声をまとめた展示があり、全国でも珍しいとのことでした。「任務を全うした」「海に行った」「大丈夫と思った」「逃げ遅れた」「戻った」「迎えに行った」と、具体的な流された人たちの理由が説明されていました。今まで、複数の人たちからから聞いてきたことが視聴覚教材として形となったもので、初めて訪問された方でも当時の様子を少しは知ることができる場だと思いました。








地元の「歌っこの会」に顔を出し、その後数軒訪問。

B石油のプレハブ事務所を訪問。(復興計画の色々で、数年前から配達で軽油と灯油のみの販売)「もう、誰も来ないから飴(アメ)も買ってないんだ。何もなくてごめんね~。皆さんによろしく。」とのことでした。私たちの訪問をいつも楽しみにして下さっているお一人です。・・・。

昼食を食べた後、Cセンターを訪問。子ども達と楽しい時を過ごさせて頂きました。隊員の顔を見て「どっかで見たことあるなあ・・・」「あっ、アガペーだ!」「いつも黄色い服着てる人だ(今回暑すぎると思い黄色い服をもって行きませんでした。。。)」「俺知ってる」「私も知ってる」と一瞬大騒ぎ。

この日はたまたま九州からカクテル(子どもにはノンアルコール)を作るチームが来られていました。普段は別々の全く違うお店で働いている人たちが、年に一度だけ東北ツアーに来られているそうです。岩手、宮城、福島で毎年数日ずつ(1地域)奉仕されているとのこと。彼らの今年の岩手県での訪問先は大槌町で、「初めての訪問」とのことでした。各地で次々と震災が起こる中、ボランティアはほぼ誰も来ないような中、初めての訪問にも関わらず、心がつながり、地元の人からも大歓迎されていました。彼らは、大槌町あげての「ありフェス」(ありがとうフェスタ)と、Bセンター(14~16時)と、Cショップ前広場(17~22時半)で多くの人たちの憩いの場を提供されていました。色んな支援の方法、息の長い支援、「忘れていませんよ」の方法があるもんだと改めて思わされました。




その後、Dさん宅を訪問。彼女は、第一声は「西日本の復興はどうですか。『自分たちも大変だったから、皆さんもさぞ大変だろうな』と思ってテレビを見たら涙が出てきます」とのことでした。・・・。「こうやって訪問してくれるのが本当にありがたいです。がんばっぺし。皆さんにもよろしくお伝えください」とのことでした。

ヨーヨー釣り!ポップコーン!子ども達はこういうの大好きですね。



ちなみに今日だけでも何回も「おおちゃんバス」に遭遇!何時にどこを運行しているのか知らないし、一日に数本しか走ってないのに、毎回かなりの確率で発見でき、うれしい!


Eさん宅を訪問。

「数年前までは、夜になると、一人坂を上っては『出会いノート』を読み返しては、涙していたけど、今では、その坂も上れなくなりました。それが老いるということです。これも受け入れなければいけません。兄弟親戚も津波で流され、私が何で生き延びたのか・・・それは分かりませんが、皆さんに愛され、私も愛し、命の交流で今があることは分かります。」

「だんだん見えなくなって、雑巾づくりもできないでいましたが、この前、白内障の手術が無事終わり、すっかりよく見えるようになり、『自分の家にこんなにホコリがあったのか』とビックリしました(笑)。雑巾づくりも再開しました。一針一針復興への思いと皆さんへの感謝と健康祈願を込めて一日に一枚ずつでも作っていこうと思ってます」とのことでした。東京の「ヨンタさん」や他の隊員ともテレビ電話で楽しそうにお話されていました。「こうやって思ってくれる人がいることは本当に感謝です。家だと思っていつでも来て下さい」とのことでした。皆で泣いたり笑ったり有意義な数時間でした。「やっと笑えるようになりました。第二の人生のスタートです。」とのことでした。


その後、訪問後、町内の海に「縄文土器発掘」に行くつもりが、台風の影響で高波・・・。「引き潮」の時間なんだけどなあ・・・。いつもならば、海が陸になって発掘現場まで歩いて行けるのに、波がザブ~ン、ザブ~ンと・・・♭雨は降ってなくても、台風の影響はあるんだなと思いつつ、あきらめて宿に戻りました。


宿に戻り、こども隊員の夏休みの宿題タイムのお手伝い&夕食の準備。

夕食は地元のマス料理&かつおのたたきです。新鮮なので、とっても美味しいです!



夕食後も色々と話に花が咲きました。

<8月7日(火)> 

6時起床。定置網で何がとれてるのか見に港へ。なんと「大きな亀」が獲れていました・・・。実は、以前から亀が定置網にかかっており、(亀の生態を某有名大学が研究するため)一時的に捕獲。(その内、海に返されます)


他にも、ソッコ(ブリの子)、さば、いわし、カレイ、イカなどが獲れていました。




町を見渡せるいつもの高台から町を見下ろしていると、隊員でさえも、この7年余りの様子が走馬灯のようによみがえってきました。この日は、朝の7時過ぎにもかかわらず、お墓参りの人たちが沢山おられました。震災以降、お墓をまだ再建できてない方々もおられます。


「お母さん」たちに会いにF商店へ。朝から晩御飯。「食べて食べて」と言われ、一通り少しずつ頂く。安定のおいしさ☆絶品でした。滅多に会えない「兄さん」たちにも再会でき感動しました。


宿に戻って朝食後、縄文土器発掘に海へ、リベンジしましたが、残念・・・またしても、陸になるはずの部分に高波が「ザブ~ン、ザブ~ン」・・・。ちなみに、この土器は、専門家に見てもらって「本物」です!次回こそは、地元の人たちと発掘したいです☆


その後数軒訪問しました。道中、「急告 地震が発生したら高台に避難せよ」などの石碑があちこちに設置されていました・・・。記録し、記憶する。記憶し、記録する。守りきれなかった命へのくやしさが伝わってきます・・・。




その後、町から委託されている「健康マージャン(飲まない、吸わない、賭(か)けない)」を見学に行ってきました。役所関係の方も来られていました。「見守り」の手段の一つです。指導員は、震災後からずっと関わってきているリーダーの方で、1年程前から「是非見に来てほしい」と言われていましたが、タイミングが合わず、ようやくの訪問実現となりました。その後は、地元の方たちと昼食。


その後、3軒訪問。「今日は『はっとう』を食べる日だ。食べて、食べて」と言われるままに、美味しくいただきました。


G旅館の女将と大将も訪問。女将特製の手作りクルミパンをもたせてくださいました。色々な困難の中、一生懸命に生きておられる人たちです。

近所の子たちと金魚すくい

各所訪問

夕食は地元の人たちと。「カレイのえんがわ」が最高に美味しかったです!




<8月8日(水)>

5時半起きで海へ。養殖の手伝いを13時前まで「ばあや」たちと一緒にできました。実に色々な作業がありますが、この日の午前中は、「発送」と、「牡蠣」や「ホタテ」の手伝いでした。おやつはもちろん「魚(イワシの煮つけ)」。絶品で、なんともぜいたくな味でした。この日も、降水確率が常に100%でしたが、曇りのち晴天でした!8時ぐらいまでは、ボア付きフリースの上にヤッケを着ていましたが、フリースはもはや不要となりました。


その後数軒訪問。

海経由で、更に数軒訪問。





夕食を食べ、震災後に再建された温泉に入って、地元の人たちに見送られる中、夜行バスに乗り込みました。

帰る前に「アガペー農園」でとれたじゃがいもと玉ねぎをもたせてくださいました。感謝。

今回は、滞在中ずっと雨の予報で、皆さん、他の予定を入れておられ、畑仕事ができませんでしたが、畑チームの皆様、お元気そうで良かったです。ちなみに、先週の地元のお祭りや、定期的な子ども食堂にもアガペー農園の野菜が提供されているようで感謝です。


<8月9日(木)>

台風に向かって東京に戻る天気予報でしたが、安定したバスの走行で、無事帰宅。

今回再会できた人たちは、皆さんご家族や友人が複数(2ケタ以上)流されており、この紙面に書けない心の痛みや、試練を今なお持ちつつも、前を向いて「自分たちも皆さんに助けられた。今度は、『うじら』がなにかお返しをしたい」と今与えられたところで精一杯生きておられる姿に感動しました。ほとんどの人たちが、西日本のことを心配されていました。実際に、ボランティアに行くことが出来なくても、お祈りや募金・・・いろんな形で、それぞれにできる支援をされていました。それぞれにまだ心も復興途中ですが、互いに思い合うことで、良き愛の循環ができているようです。すでに、西日本豪雨災害で泥だしが必要とされています。東日本や九州で支援を受けたあちこちの人たちが、岡山などに「恩返し」として複数チームが派遣されています。

もし、泥だしをする体力がなくても、時間がなくても、「見る(観光)復興支援」「食べる復興支援」「祈る復興支援」「募金」・・・様々な形の復興支援があるので、それぞれに合った方法で無理なく喜んで寄り添えると良いですね☆

真の霊・心・体・各地の復興を祈りつつ、続く第87次のチームに「愛と絆のバトン」を渡します。

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