2014年4月29日

第56次:2014年4月23日(水)~25日(金) 岩手県大槌町


今回は、「H地区の最後の桜祭り」の音楽ゲストとして男1人女3人で大槌に向かいました。
津波で浸水した旧H小学校の校庭に咲き誇る樹齢100年以上と言われている5本のソメイヨシノ。なんと、震災で木の高さの3分の2が潮水をかぶったにも関わらず、たくましく、美しく、毎年桜の花を咲かせ、人々に勇気と希望と安らぎを与え、地元の方々に親しまれてきた桜の木との最後の花見会でした。盛土工事(復興計画)のため、今年で伐採される予定になってしまったのです。

前回、第55次で訪問したときに、この「桜祭り」の音楽ゲストの話を頂いたのですが、肝心のゲストを探すのに数日・・・。幸い、ゴスペル演歌歌手のMさんと、ピアノも引き語りもできるKさんとご一緒に参加できました。突然の「現地からの依頼」ということもあり、チラシなどを作成する時間は全くありませんでした・・・。



4月23日(水)晴れ

朝7時45分。「Mさんでいらっしゃいますか?初めまして・・・」からのスタート。
朝8時過ぎにスタッフのみなさんに見送られて東京を出発。急に決まった話ですし、ゲストの方や地元の方との日程調整する時間もないまま出発・・・車中で自己紹介と密度の濃い打ち合わせ。移動中には、明日、明後日の他の訪問予約を入れました・・・。

遠野から久しぶりの笛吹峠(山)越えをするならば2時間の時間短縮ができ、予想外に16時過ぎに大槌町に到着できることが判明☆「遠野の道の駅」付近でA仮設の代表の方に、「今回、急に頼まれて明日の桜祭りゲストの演歌歌手を連れてきたのですが、良かったら2~3曲Bさんのために歌っても良いですか?ご迷惑かけたくないので、難しいなら次回でも良いのですが。・・・。16時過ぎに到着予定です」と声をかけると、「良いよ。何時でも待ってるよ☆来てね。ゆっくりで良いから☆」とおっしゃって下さったので、Bさんに会いに行くと・・・。16時7分に到着したのですが、なんと30人以上の老若男女が、寒い中待ちかまえて下さっていました!!!子ども達、エプロン姿の方、作業着の方、歌が始まると慌てて出てこられる方、いろんな方がおられました・・・支援員の方が一軒一軒担当の仮設を回って伝えて下さったようでした・・・感謝!一緒に「北国の春」と「川の流れのように」を大熱唱!!!みなさん喜んで下さいました。いろんな方々から「アガペーさん、いつもありがとうね☆また、待ってますよ。」と声をかけて頂き、暖かいものを感じました。




その後、Bさんと1時間ほどお茶っこをして色んな話ができました☆

そして、次は第55次で、「また大槌に来る時には必ず顔を見せましね」と約束したC高齢者の入所施設を訪問。外灯が極めて少ないので、暗い中の移動で看板を見落とし25分のロスをしました・・・「光」のありがたさを感じました☆

スーパーでお総菜などの夕食を買い、予定通り夜20時前に今回の宿へ。今回は、初めて「ジョイフルハウス」に宿泊させて頂きました。1時間半ほど良き交わりをもつことができ、共に祈り合えたことは非常に感謝でした。

4月24日(木)晴れ

5時半起床。朝7時に港へ。ワカメの作業をされていました。見学していたらたくさんのワカメをもらったので、いつも美味しい食事を提供して下さるC商店にもっていくと大変喜ばれました☆




他にもホタテの養殖の方もおられました。



定置網の方々は、5月からの漁再開に向けて大きな網の修理をされていました。  



個人の船による漁の網にも、たくさんの魚が☆

毎回、早起きをして漁を見るために港に行きますが、みなさん黙々と働いております。『働くとはこういう心と態度なんだなあ』と改めて痛感。すごいスピードでしかも、正確に仕事をされていました。疲れているはずなのに、『疲れた~』なんて言ってる方は一人もおらず、「仕事があるのは感謝です」とのこと。ただ、ワカメ漁の方たちは「ボランティアに来てください~☆」って3~4月は毎回のようにおっしゃっています。


9時~Dの仮設団地で25人程の方々のラジオ体操に合流の予定でしたが、CDデッキが故障しているようで、CDが空回り・・・音楽が始まったと思ったらすぐに「カクカクカクカク・・・」。参加者の皆さんに聞いてみると、「いつもなんですよ。毎日3回はこういうの続くの・・・そのうち鳴るから気長に待ってれば良いよ。大丈夫。(笑)」と言われ待つこと5分以上・・・。皆さん、くじけて帰られる方は誰一人おられませんでした。「忍耐」と「愛」と「ゆとり」のある皆さんでした。


その後、「演歌」と「お茶っこ」と「交わり」の楽しいひと時。約20人と1時間半ほど時間を共有でき、皆さんの方から「桜の下で写真とりましょ☆」とお誘い頂きパチリ☆短い時間でしたが、実に色々な話ができました。

そうそう、92歳のおじいさん(お兄さん?)、現役で自転車にのって急斜面をおりておられました・・・。すごいのを見ました☆





その後、E高齢者施設にて11時半~30分間のコンサート。100人以上の方が、MさんとKさんの演歌や唱歌やアメージングレースに耳傾けて下さり、写真を撮られていた職員の方から「広報に載せて良いですか?」と質問を受けました。今頃、広報に載っていることでしょう。演奏後には、一瞬であっても毎回お一人おひとりにご挨拶に回らせて頂きますが、大変ご満足頂けたようで、良かったです。「よぉ!日本一」という掛け声や手拍子などもみなさんの方から自然に☆


その後、いつものC商店で美味しい昼食を購入し、中で食べさせて頂きました。かきのみそ汁と、ハヤシライスもサービスして出してくださいました☆

そして、町の一部ではありますが、120度ほど見渡せる高台に上り、祈りのひと時。桜がまさに満開でした。この3年間毎回訪問している場所です。復興は確かに進んでいますが、あまりにも大きな必要のために、『進んでいるようで進んでいない。進んでいないようで進んでいる。進んでいるようでも、優先順位は・・・。・・・。』とそれぞれに葛藤があるようです。この高台に立つと、葛藤、叫び、嘆き、悲しみ、希望・・・等、人々の様々な思いが伝わってくる気がします。そんな中でも、創造主なる神様に身を委ねている桜は今年も変わらず花を咲かせていました。主にある希望、神の愛を感じました。


その後、F高齢者施設で14時~30分間30人ほどの方が、演歌などを一緒に大合唱☆ここは、今回宿泊させて下さっている方が週に数回働いておられる施設なのでどうしても訪問したかったので、念願叶って良かったです。何度も訪問されて頂いている場所ですが、初めてお会いするご利用者さんばかりだったので???と思っていたら、「曜日によって違う方が順番に来られている」とのことでした。


次に、G高齢者施設で演歌を共に熱唱。3年前から何度も何度も訪問してきていますが、表情が訪問の度に穏やかに明るくなってきておられます。


「3年前は、震災後に入所された方も多く、落ち着かなかったのが、最近ようやく震災前ぐらいに落ち着かれるようになったかな~。」「仮設にはボランティアの方たちはイベント行くが、ここには来ない。他の場所でイベントがあっても体制的にも人数的にも行く手段がない。来て下さると本当に助かる。」とのこと。みなさん、しっかりと大きな口をあけて、マイクを持っている村上さんに負けないぐらい大きな声を出して歌って下さっていました☆

さて、いよいよH地区での花見会場に向かいました。津波で浸水した旧H小学校の校庭に咲き誇る樹齢100年以上と言われている5本のソメイヨシノ。なんと、震災で木の高さの3分の2が潮水をかぶったにも関わらず、たくましく、美しく、毎年桜の花を咲かせ、人々に勇気と希望と安らぎを与え、地元の方々に親しまれてきた桜の木との最後の花見会でした。盛土工事(復興計画)のため、今年で伐採される予定になってしまったのです。この旧H小学校に、アガペーCGNとして2011年4月1週目~訪問させて頂きました・・・今でもその情景を覚えています。その時にも「桜がきれいだなあ~☆」と心から感じ、皆、その桜に癒されていました。松などは、その後、全てダメになりましたが、桜だけは、その後も変わらず花を咲かせ、この日もダイナミックに咲いていました。本当は、昨年が「この地域の最後の桜祭り」でしたが、復興計画が遅れ、今年も花見を楽しめるようになったのです。ちなみに、昨年にこの桜の木から接ぎ木し、50本の苗木が別の場所で順調に育っており、かさ上げ工事が終わったあと、この地区に植えられるとのこと。

それぞれに、桜の思いを自ら話してくださいました。「何にもなくなってしまったあの時、桜は咲いたんです。潮水をかぶったにも関わらず・・・。励まされました。絶望の僕らにとって、希望の象徴でした。その桜が切り倒されるのは心が痛いです。このままそっくり移植するには、5千万円が必要なわけで、優先順位がね・・・無理だよ。仕方ない。」「私(約50歳ほど)はね、小学校の時に桜の花の後の実を首飾りにして遊んだのをよく覚えているわ。懐かしいな~。もう一年、来年も見たいなあ。」「私(約45歳)はね、小学生の時にもしたけど、今年も桜の花を押し花にしよう☆」「僕(70代)は、よくこの桜の木で遊んだよ」「桜の木は私たちのことをずっと見守ってくれていました。無くなるのは寂しいですが、最後にきれいな花を咲かせてくれてありがとうと伝えたいです」「最後だと思うと、いつも以上にきれいに見える」・・・。

「震災まではこの地域に元々住んでいたが、今は離れた場所で暮らしておられる方たち」、「震災後この地域に住むようになった方たち」、「震災前も震災後もずっとこの地域に住んでおられる方たち」・・・実に様々な方が集まって来られました。震災当時、全校児童35名ほどの村でしたが、昼の部も夜の部もメンバーは入れ替わりそれぞれ100名以上集まっていました。つまり、この桜に思い入れのある実に多くの方々が顔を出されたのではないでしょか。NHKや民放や新聞各社も取材に入っていました。地元の伝統芸能の虎舞もかけつけてくださいました。

そのような中、事前の数日前の電話の打ち合わせでは、夜の部で30分間だけの「演歌中心の楽ゲスト」と言うことでしたが、急遽、「準備出来次第で良いから、16時~昼の部でも30分間歌ってほしい」との依頼☆「喜んで☆」。








4月25日(金)晴れ

5時半起き。6時 掃除、祈り、軽食。7時10分出発。

8時、I高齢者施設を訪問。早い時間ですが、職員さんと数日前に打ち合わせしての早朝訪問。

大槌各地の「花見」の話をしながら演歌を一緒に2曲歌ったあとは、お一人おひとりとのトークタイム。ある方は、いつまでも手を放そうとはせず「放したくない。ずっと握っていたい。(涙)。ずっとここにおいときたい☆」と涙ながらに何度もおっしゃってくださいました・・・。ボランティアが激減する中、顔を見せるだけでも、本当に喜ばれます☆職員さんたちも楽しみにお待ちしてくださっており感謝!確か平均年齢は80数歳だったはず。みなさんしっかりされていてお元気でした☆


その後、約束通り昨日の約束通りD仮設団地の代表の方にCDデッキを提供させて頂きました。毎日ラジオ体操をしておられる方々は大変喜んでくださいました。

また、「昨日はありがとうございました。楽しい時を☆」と言って下さったのは、75歳の現役漁師さん☆震災後、「船も網も港もがなくなったから・・・」「もう年寄りだから」という理由で漁師をやめる方、他の地域に働きに行くようになられた方が続出した中でも・・・今日もホタテの養殖の準備をされていました。「ずっと昔から今もこれからもずっと漁師を続けるよ」「75歳でもまだまだできるんだ。『75歳でもみんなに頑張るってるよ』って伝えてね」っておっしゃられていました。


その後、いつものJガソリンスダンドで給油☆旧・役所前には観光バスが3台・・・。パネルをもってバスガイドの方が案内されていました。・・・。100人近くおられました。



そして、K幼稚園に、本当に挨拶だけのつもりで訪問したら、「もったいない。歌ってよ!!!」って言われ、「春が来た」と「チューリップ」・・・を一緒に歌わせて頂きました。拍手喝采・・・。お礼に子ども達は「100%勇気」の曲に合わせて踊ってくれました!五歳児はもちろんバッチリでしたが、三歳児もすごく上手でビックリしました☆「また来てね☆」と元気いっぱい☆先生たちからは「外からプロの人が来てくれると、子どもたちの顔つき、目つき、集中力が全然違うんです。すごいですね☆」とのこと。


最後に、C商店で一日の栄養補給☆おいしい手作りの「おふくろの味」・・・☆激ウマ!!!この日は、お弁当の配達が多く、忙しそうでしたが「上がって食べて行って☆」・・・。お言葉に甘えておふくろの味を堪能。無添加。野菜たっぷり。激ウマ!安い!隊員みんなの「もう一つの故郷」になったようです。お母さん、また帰りますから、しばらく待ってくださいね☆

 ※写真の他にも、お味噌汁やフルーツなどが出てきました☆



東京までの道中、この3年2カ月の様子が走馬灯のように思い起こされました。

小さな小さな働きですが、これからも続けて顔を出させて頂きます☆また来月お会いしましょう☆

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