今回は、仮設団地を訪問し、アコーディオン、フルート、オルガン、ハンドベルなどで仮設の皆さんと歌を歌い、お茶の交わりを持たせて頂きました。隊員は、14歳から69歳の幅広い年齢層で、男4人2女、内2名は今回初めての参加でした。
7月8日(月)
スタッフたちに見送られて、東京を出発。
大船渡市のまでの移動。
7月9日(火)
最初に訪問したA仮設団地では、約20名ほどの方が集って下さいましたが、年配の方々が多い中で、今回もその中に9ヶ月の赤ちゃんと若いご夫妻も参加して下さり感謝でした。その赤ちゃんは、その仮設で唯一の赤ちゃんだそうで、仮設の皆さんの人気者でした。仮設団地では子どもも少なく、赤ちゃんを見かけることはほとんどないそうです。仕事先が少ない中で、若い方が皆他の地域に出ていってしまい町内に少ないからです。いつも出てきて下さるBさんは、私たち一人一人に手作りの貝のストラップをプレゼントして下さいました。
会の流れとしては、最初に「たなばた」「アメイジング・グレイス」をハンドベルで演奏し、アコーディオン、フルート又はリコーダーで「鳥の歌」「アメイジング・グレイス」を演奏し、その後、手作りゼリーとお茶を囲んで交わりの時を持ち、その後はアコーディオンやオルガンに合わせて、「故郷」などを一緒に歌いました。今回はプロが行ったわけではありませんでしたが、皆さんと一緒に歌っているうちに、皆自然と打ち溶けて、無表情だった方も次第に拍手・・・握手で送って下さいました。会場の壁には今まで来られたボランティアの方々のサインが描かれており、私たちも記念にどうぞと壁に掛ける国旗にサインをさせてもらいましたが、拭いきれない深い悲しみを抱えつつも、多くの方々の励ましの中に、皆さんが立ち上がろうとされている気持ちが伝わってきました。
午後には、C仮設団地を訪ねました。ここも以前訪ねたことがありますが、時間になっても誰も来られず、どうしたものかと祈っておりましたら、こちらが時間を間違えており、本来の予定時間には14名の方々が集って下さいました。こちらの仮設の方々は、先程の仮設よりは年齢層が少し若く、歌もより元気に歌って下さいました。中には目の不自由な方もおられたのですが、仲の良い方々に支えられながら、元気に歌っておられました。このような集会に出て来られる方々は、友だちや仲良しのグループがいる方が多く、引きこもっている方々がこのような集会に出て来るのはなかなか難しいようです。会の流れは、午前と同じですが、用意したゼリーが午前中でなくなってしまったので、午後は市販のケーキを食べて頂きました。また、よく知り合った仲間同士ということもあり、音楽の授業のように楽しんで下さいました。集会の最後には、皆さんの祝福を覚えてお祈りをさせて頂きましたが、多くの方が手を合わせてアーメンと唱和して下さいました。最後に、ハンドベルを自分で鳴らしてみたい方を募った所、何人もの方が出て来られ、ご自分で鳴らして喜んで下さいました。ミュージックベルのボランティアは既に来られた事があるようですが、ハンドベルは初めての訪問だったようです。
帰りに、44次でお世話になったD旅館や、よくお訪ねするE高齢者グループ・ホームにお土産をお届けし、いつもお世話になっているEさんをお訪ねしたところ、作業が丁度終わった所でしたので、ケーキやお茶を届けました。
7月10日(水)
午前中にお訪ねしたF仮設団地は、ボランティアセンターの紹介で初めてお訪ねする仮設でした。世帯数は多くはなく、集会所も他の地域と比べるとひとまわり小さい談話室で行われました。午前10時からはラジオ体操が行われているようで、その後、隣接の仮設方も含めて12名の方々集って下さり、小さな部屋は一杯になりました。
昨日のようにハンドベルに始まり、アコーディオン、リコーダー、フルートの演奏。そして手作りのゼリーとお茶で交わりを持ちました。やはり夏ですから、ほとんどの方が冷たい飲み物を求められました。そして皆で歌いましたが、こちらの仮設も比較的に若い方々で元気に歌って下さいました。ある方は、「このような中で、しばらく思いっきり歌うことなどなかったが、今日はとても気持ちよかった」と話して下さいました。またある方は「大正琴をやっていたが、今は仲間もいなくなり、楽器をすることもなかったが、今日は楽しかった」と話して下さいました。最後に「ハンドベルを鳴らしたい方はどうそ」と声を掛けたのですが、ここでも多くの方々が、鐘を自分で鳴らして、その響きを楽しんで下さいました。またここの仮設は初めてのはずなのですが、ある方は今回のメンバーの一人を覚えておられて、「また会えてうれしかった。以前にあなたの笑顔で励まされたの」と語って下さったそうです。神様が私たちの小さな働きを用いて下さっていることを覚えて本当に感謝しました。また、隊員のGさんによる『お笑いパントマイム』も好評でした。簡単なものですがそれぞれの賜物が用いられて感謝でした。
午後には、比較的世帯数の多いH仮設団地をお訪ねしましたが、集会所に19名の方々が集って下さいました。これまでのように演奏と歌を歌っていきましたが、ここでは集会中に『ぐらっ』と地震が起こりました。早速テレビがつけられましたが、震度4という事で、津波の心配はないということでした。地震自体は、決して少なくないのですが、『ぐらっ』ときた時の皆さんの顔色は深刻で、いつも地震や津波におびえているようでした。仮設の中で一人の時に『ぐらっ』ときたらどんなに心細く思ったことでしょう。
そのような中でしたが、一緒に歌っている間に皆さん元気をとり戻し、どの集会でも隊員のIさんが岩手弁で「主我を愛す」を紹介しながら一緒に歌いましたが、ここではIさんがご主人を亡くされた試練の証も一言加えられました。試練の中にある方々にとっては、試練を通った話には敏感のようで、皆さんよく聞き入っておられました。NHKの「花は咲く」もよく歌いましたが、これはラジオ体操の時にいつも歌っているそうで、皆さん大きな声で歌って下さいました。ハンドベルをご自分で鳴らしてみる方もありましたが、厳しい顔で会の様子を見ていた集会所の職員のような男性の方が、ご自分から「ハンドベルを触ってもいいか」と言ってこられたのが印象的でした。
どこの仮設でもこのような集会に出て来られるのは、比較的元気な方々なのですが、それでも心の痛みは隠せません。若い方々は少なく、中々仕事がないとのことです。かつては瓦礫の撤去作業で収入があったのですが、今日ではそれもないからです。まとまった土地の少ない大槌町では、復興住宅の建設もあまり進まず、多くの方々が今しばらく仮設生活を余儀なくされるようです。景色そのものは荒涼とした街を雑草が覆い、かつての悲惨な様相を隠していますが、人々に触れれば触れる程、復興には程遠い被災地の姿に出会うことが出来るとことを思わされました。癒えない心の痛み、見えない将来の不安や恐れの中に、アルコール依存症や鬱病に悩んでいる方々も少なくないことを覚えます。釜石市の街角に「心の福幸」と復興をもじって書かれた垂れ幕が印象的でした。
集会の後は、Jさんを訪ね、43次や44次の支援隊が活動した畑地を訪ねました。1~2か月ちょっとしか経っていませんが、植えられた苗や球根は元気に育ち、少し収穫させて頂きました。草がぼうぼうで、開墾や手を入れたい所は数限りなくあり、この夏休みに
ボランティアの方をたくさん頼みたいと言っておられました。
被災地の復興はまだまだこれからですが、夏の暑さの中にも、植物たちが元気に育っているのを見ながら、神様はこの被災地でも確かに生きておられることを思わされました。
7月11日(木)
大船渡の宿 → 東京
今回それぞれが感じたこと、「これから何ができるのか?」などを、ざっくばらんにお互いに語り合いながら東京に無事戻ってきました。
続く暑さの中で、皆さんの心も体も守られますように祈りつつ・・・
0 コメント:
コメントを投稿