2013年2月26日

第40次:2013年1月21日(月)~24日(木) 岩手県(大槌町)



新しい年が始まりました。震災後、約2年が経とうとしていますが、地元のニーズによって支援内容は変化しても、実際に現地に身を置くボランティアの数が激減する中、「祈り続けること」「共に時間を過ごすこと」など、継続した関わりがますます必要とされています。

地元の方々から、「震災後、正月も心が晴れない。ボランティアの皆さんが来てくれると、つかの間でも気が晴れるが、一人になると心にぽっかり空いた穴がまだふさがってないみたいで心が痛いです。僕らも頑張っていますが、地元のコミュニティーのためにもイベントで少しでも明るくしてください。盛り上げてください。」との要請を多数受け、今回の救援隊の活動は、Aさんをお招きして、マジック・ショーをして頂き、手品の後は、皆さんとコーヒータイムをご一緒するという計画を立てました。コーヒーは、いつも教会で使用している好評の銘柄を用意しました。40人分のコーヒーが一度に準備できるコーヒーメーカーも持っていきました。また、この時期に合わせるかのようにして、4輪駆動の8人乗りのバンが与えられたことは大変感謝なことでした。雪深い地方で使用されていたバンでしたから、東北でも安心して運転できました。

Aさんは、2011年のクリスマスの時期の救援活動に加わってくださっており、今回は2回目の参加で、いつも被災地のことを心に留めていて下さっており、快くお引き受けくださいました。今回は、上記メンバーに加えて3羽の鳩たちも同行してくれることになりました。


1月21日(月) 東京  → 岩手県大槌町の宿舎


午前9時半に峯野先生たちにお祈りしていただき、淀橋教会を出発しました。

高速道路の積雪状況を、途中のSAで調べながら北上。気仙沼から海岸沿いに走り、大槌町の宿舎に着いたのは、夜7時をまわっていました。車中では、楽しい良い交わりが持たれました。

宿舎に向かう前に、いつもお世話になるBさん宅にご挨拶。今回も、Bさんのご紹介で宿泊させて頂けました。すでに暗くなっているにもかかわらず、車で先導し、宿舎まで案内してくださいました。

ちなみに、鳩は、明日からの仕事のため、お客様の上でフンをしてはいけないという理由から絶食。長時間の旅であったにも拘わらず、「クゥ」ともいわずに大人しくしていました。


1月22日(火) 大槌町


朝6時、小学唱歌「我は海の子」が町内に流れ、目が覚めました。優しくかつ力強いメロディー、海で生きてきた町の方々のことを思うと、この曲が一日の始まりに最もふさわしく思えました。窓を開けると、一面雪。向こうの川原がかすんで見えました。

この日はまず、C仮設団地を訪問しました。保育園の子供さんたちが手品を見られるようにとの配慮から、朝9時半開始を目指して到着。ご挨拶も早々に準備に入ります。ちょうど準備が整った頃、集会所隣の保育園舎から、かわいいお客様たちが着席。仮設団地からも、20名ほどの方々がお集まりくださいました。まずは、子どもたちのよく知っている童謡からスタート。

そして、いよいよマジック・ショーの始まり。軽快な音楽に乗ってスカーフがステッキに変わったり、ハンカチから鳩が出てきたり、皆さんびっくり! やがて、Aさんがロープのマジックを通して「絆」ということについてお話し下さいました。絆を固く結んでいく大切さ、そしてそうやって結ばれた絆は広がっていくと。ひとつしか結び目がなかったロープに、「1、2の3」で、3つの結び目ができていました。手品を見ているうちに、始めは顔を伏せていた男の子に笑顔が見えたことが嬉しいことでした。みなさん、子供たちも大人たちも、非常に喜んでくださいました。



マジックが終わると、子供たちは園舎に戻り、大人たちは「お茶っこ」の時間となりました。ストーブを囲んでコーヒーとお菓子のひと時です。Aさんが特別に、絆のマジックの種明かしをしてくださいました。すると一人の方が「な~んだ~!」と。皆で大笑いしました。

90歳を越えられたDさんは、奥様と共に仮設団地に入っていらっしゃいます。刺し子の布巾を何枚も作っておられ、見事な大漁の図柄の布巾を見せてくださいました。他の方々も、手芸や工作をよくなさっているようで、コーヒーの紙コップ(保温用の模様の入った物)を逆さに置き、スカートに見立てて「お人形を作れないか?」などと、次の作品に向けてイメージをふくらましておられる方もおられました。

午後は、E高齢者グループホームに伺いました。ちょうどおやつの時間でした。

Aさんの手品の準備ができるまで、ここでも皆さんと歌を歌いました。朝の町内放送を思い出し「我は海の子」を提案しましたら、皆さん大きな声で元気よく歌ってくださいました。ここでは、黄色いスカーフがバナナに、青い紙が帽子に変わりました。Aさんが笑顔で渡してくださるバナナや帽子に、素敵な笑顔が返されました。


夕方、スーパーで翌日の朝食の買い物をしていると、見覚えのある女の子に出会いました。午前中、C仮設団地で会った保育園の女の子でした。妹も同じ保育園。一番上のお姉ちゃんは小学生で、一番下の妹は、まだお母さんの背中におんぶされています。お母さんが「今ちょうど、手品のことを聞いていたんですよ。楽しかったって」と話してくれました。共働きのご家庭でしょう、お母さんは幼い子供たちの手を引きながら、手早く買い物をして帰っていきました。このような若い家族が、これからの大槌町を支えていくのだと、心強い思いがしました。


1月23日(水) 大槌町

前日の雪も止んで、良いお天気に恵まれました。

アガペーCGNの訪問を毎回楽しみに待ってくれているF幼稚園が、今日の最初の訪問地です。50人以上の園児たちが、ホールに集まりました。「みんな、手品を見たことある?」と聞くと、「ある~!!」という元気のよい返事が返ってきました。「誰が見せてくれたの?」と質問すると、「Gさ~ん!!」と口をそろえて教えてくれました。F幼稚園バスの運転手をしておられるGさんは、手品が趣味で、度々、子供たちにもその腕前を披露しておられました。しかし、津波で大切な手品の道具を流されてしまったのです・・・。その年のクリスマス、アガペーCGNと共にAさんが幼稚園を訪問し、その時に、AさんがEさんに手品をするためのロープを譲って下さっていました。今回は、Gさんが、「そのロープ」を使って、まず、子供たちに「絆」のマジックを見せてくださいました。絆のマジックの背景に、「本当の絆」が結ばれ、強い感動を覚えました。


そして、いよいよAさんの手品が始まりました。子供たちは食い入るように見ていました。鳩は、天井の高いホールが嬉しかったのか、スカーフから飛び出すと2階のギャラリーに飛んでいき、楽しいハプニングでした。ハンカチがステッキに変わり、中が空洞だったはずの卵から黄味が出てきました。どこに隠れていたのか、Aさんの口の中から果てしなくリボンが引き出されました。子どもたちはその度に「わ~っ」と歓声を上げていました。



最後に、みんなで写真を撮ったあと、Aさんが鳩に触らせてくれました。子どもたちは、ある子は恐る恐る、ある子は嬉しそうに鳩の頭を撫でたり、羽に触ったりして、教室に帰っていきました。

その後しばらく、園長先生とお交わりの時が与えられました。痛みを通っても希望を失わず、子どもたちの心を育て、子どもたちを通して、ひとつひとつの家庭に温かいまなざしを向けておられるお姿が印象的でした。

午後は、H仮設集会所を訪問しました。すでにボランティアセンターの方によってチラシで案内がなされていました。


H仮設集会所は初めて訪問する場所で、カーナビに表示が出なかったため、途中のコンビニでお店の方に道を聞きました。「う~ん、ちょっと遠いですよ」と言われた時、隣から男性が「どこさ行くんだ?」と声をかけてくださいました。「Fの仮設集会所まで…」と言うと、「それだったら俺について来い」と案内をかって出てくださいました。本当にありがたかったです。その方が案内してくださらなければ、すんなりとは行き着くことはできませんでした。実に感謝でした。

さて、ここでは30名近くの方々が集まってくださいました。Aさんも、保育園や幼稚園の時と違い、大人の人たちに向けてのメッセージを込めて、マジックを披露してくださいました。たとえば、「あるご夫婦は何十年と一緒に生活する。あるご夫婦は時間的には短いかもしれない。でも、良い関係を結んでいくとき、その価値は皆同じように重いのだと。数本の長さが違うはずのロープが、ここで皆同じ長さになりました。」と。


この集会所では、毎日仮設住宅から皆さんが集まって、思い思いに時間を過ごしていました。あるお母さんは赤ちゃんを遊ばせます。ある女性は熱心にミサンガを編んでいました。色や編み方、力の入れ具合で出来上がるものはどれも違います。最近、欲しいという人からたくさんの注文が入ったとのことでした。刺し子をしている女性もおられました。ここでもしばらくご一緒にお茶を頂いて、名残惜しくお暇してきました。


1月24日(木) 大槌町 → 東京

この日は朝から雪がちらついていました。近くのコンビニで朝食を摂り、大槌町を出発。岩手県釜石市から遠野市に入るころには青空が広がっていました。東北自動車道を走って、さまざまな思いを胸に、無事、夜7時過ぎに淀橋教会に帰り着きました。


今回、胸を衝かれたことがありました。大型スーパーに、「三回忌のお返しはこちらに」という看板が出ていたのです。コーナーが出来、看板が出るほど、「三回忌」を営むご家庭が多いのだと改めて思わされました。

2年目の3月11日を迎えようとしている今、被災地では心を病む方々が多くなっていると聞いていました。その土地で寝起きし、襲ってきた海を見、昔とは違う風景の中で生活し続けることはどれだけ大変なこと、苦しいことでしょう。ある方は、「建っていた建物がなくなり、土手が流されて、この場所から見えるはずのなかった海が見えるのが恐ろしい」とおっしゃいました。今でも、そそり立った波が、川を伝って迫ってくる光景を思い出すのだそうです。ある方は、「せっかく助けることができたお年寄りが地震の数日後に亡くなってしまった」と、昨日のことのように、涙ながらに話しておられました。

悲しみや恐れは、心の不安定だけでなく、動悸や高血圧など、体の症状となって現れることも多いようでした。何人かの方が、今でも救急車で運ばれている話をしてくださいました。

将来への不安も、経済的なことも、人間関係などに現れているとのことでした。ある方は、「地震が起きるまで娘さん一家と暮らしていたが、地震後は仮設住宅で別々に暮らしている。新しく家を建てる計画があるが、もう老夫婦二人だけの生活に慣れてしまっているので、また娘さんたちと同居となると、うまくやっていけるか不安だ」と、小声で話されました。

多くの方々のお祈りに支えられた4日間でした。心から感謝いたします。何かをして差し上げたいと思って行ったのですが、また、多くのことを教えられました。


ちなみに、絶食をしていた鳩たちは、H仮設集会所で「仕事」のすべてが終わるとすぐ、豆をもらうことができました。わたしたちがお茶を頂いている横で、鳩たちが豆をついばむ音が聞こえていました。

お祈りありがとうございました!

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