2011年4月30日

第5次(宮城チーム):4月25日(月)~28日(木) 仙台市、多賀城市、七ヶ浜町、石巻市、東松島市

宮城チームと岩手チームに分かれて2チームが同時に派遣されました。

<25日(月)>
物資配布

<26日(火)>
石巻の専修大学内にあるボランティアセンターに登録。

女子は、避難所にもなっている塩釜ガス体育館で、大量の衣類などの物資の仕分けに当たりました。各地から送られてきた衣類を、男女別、サイズ別に分けて箱詰めしました。今までは塩釜の職員だけでしていたそうで大変でしたが、今回は一気に作業が進んだと大変喜ばれました。避難民の方々も体育館におられ、時折り配給の物資を選んでおられました。年老いた方々が圧倒的に多く話しかけて下さる方もあり感謝でした。仕分けされた物資は、避難所や近隣の地域に送られ必要を覚える方々に配られるとの事です。


男子は石巻市の被災者の家屋の片付けをしました。センターではボランティアの運搬に車が必要で、8人乗りのワンボックス車は喜ばれ、5人の外部方々が加わって出かけました。その内女性が3名で、それぞれ一人で神奈川や石川県から来ており、仙台に泊まったりして、片道3時間かけて石巻まで来ているとの事。男性一人は年配者で埼玉からで、一人は若く地元石巻の人でした。殆どはボランティア活動は初めてとの事。

午前中はHさん宅の片づけ奉仕で、タンスやサイドボードなどを外の集積所に運び出しました。それ程重いとは思わなかったが、Hさんたちには被災の疲れのためか何かとても重く感じられていたようで、軽々運び出した時は驚いておられました。そして仏壇を他の部屋に移しました。30分ほどの作業でしたが、大変喜んで下さいました。

午後はSさん宅のやはり片づけという事でしたが、実際は移転先への家具の運搬で、トラックを期待していたようでした。年配のお母様と50代位の息子さんの二人暮らしのようで、息子さんはリウマチで足を引きずって歩いておられた。一応会社の人が連休を利用して手伝ってくれる予定であったが、早く大家さんに家を引き渡す必要もありボランティアをお願いした模様。しかし最初はボランティアの事を知らず、濡れた畳の運び出しなど、1時間2万円で業者にお願いしていたとの事で、非常に喜んで下さりました。集積所に出す物を出した後、仏壇、サイドボード2つ、タンス2つなどを数回に分けて車で運びました。最後のサイドボードは少し大きく車に中々収まらず、車を痛めてもいけないので運ばないで大丈夫ですとも言われましたが、何とか入った時には皆に大歓声☆ボレンティアの時間は午後4時までと決められていたが、時間内に終えることが出来ました。

多賀城駅前で自衛隊が野営のお風呂サービスをしており、入浴させて頂きました。沖縄の部隊が奉仕をしており、地域の人に喜ばれていました。

<27日(水)>
天気が守られそうなので、ボランティアに出かけました。ボランティアは雨だと中止になる事が多くなります。七ヶ浜のボランティアセンターに登録。

男性は力仕事、女性はフリー・マーケットをやる事になりました。男性は午前中、10人乗りワゴン車にのって七ヶ浜の北側地区のIさん宅の壊れた塀の撤去で、ハンマーでブロックを壊し、一輪車で瓦礫捨て場まで運ぶ作業をしました。ブロックは意外に壊れやすく、軽作業ではないが、家具運びなどに比べて気を使わずに済み、やりやすい仕事でした。ここは外海ではなく内海に面しているので、浸水はしたが、家は比較的無事な家が多かった模様。しかし、現在は泥も取ったあとで、かつての玄関前には未だに車が横たわっており、壁を壊していたという。横の方にモーターボートが乗り上げられたままでした。現在はこの辺りはライフラインは開通し、ガスはプロパンなので使用可、電話も最近開通したという。震災時は皆、高台の避難所に避難したが、現在は日中、家に帰り片づけたり、生活のために働きに出たりする人が多いという。漁業の町だが、海苔業なども含め、大きな打撃を受けています。またこの辺は非常に高齢者が多く、子供が少ないらしく、高齢者の場合、ボランティアを頼むのも難しい模様。作業していると見ていた隣の家の人が来て「少し自分の家のブロックも撤去してもらえないか」とおっしゃるので、少しだけそちらもやったが、「町役場から幾らかお金が出ているのか?」と質問されました。やはり普通業者は多額のお金がかかるので、ただでしてもらえるボランティアというのは、中々馴染みがないのかもしれない。




お昼までに仕事は終わり、待ち合わせ場所に行くと、消防団の人たちが炊き出しをしていた。ここでは2回目だという。ボランティアセンターでも喜多方ラーメンの炊き出しがされており、ボランティアはそれを頂けることになった。また東北では知られているという女性の歌手の人が皆さんを励ましたいと歌を歌ってくれました。プロというだけあって素晴らしかった。またその人が瓦礫の中からピアノを見つけ、それを使って催しをしたいと申し出られたそうで、職員の方々は目頭を押さえながら感謝しておられました。その様子を宮城放送が録画していました。

午後は、同じ地区のIさん宅で、平地になった所で同じように大きなブロックや石を砕いて運び、ガラスやプラスチックなどゴミを拾っていく作業をしました。夜には自衛隊野営風呂にお世話になりました。

<28日(木)>
第6次の炊出しのリサーチと物資配布地をリサーチしに、まず東松島市を訪ねました。全壊、半壊住宅が多く、残っている宅地を訪ねると、ライフラインは回復し、炊出しなどはよく行われているとのことです。その後、南浜町から渡波地区をリサーチ。渡波3丁目の半壊地区にスーパーの駐車場を見つけ、炊出しは来てはいるようだが、良い場所なので炊出しの了解を頂きました。しかしそこは満潮時には冠水する・・・。そこから牡鹿半島に渡り、大原浜地区の大原小横の地区会館を訪ねましたところ物資はあるが灯油は欲しいということで灯油をお分けしました。
そして隣の地区では物資がないかもしれないと聞き、お訪ねすると、「米や、食料品など物資が欲しい」ということで、大変喜ばれました。その後、鮎川を訪ね、女川町を視察。そいて再度、渡波地区の宇田川町辺りを訪ねるが、満潮も近づいているのかかなり冠水していました。空いている空き地を見つけ、そこで物資配布を行いましたが、この地区はあまり物資も来ておらず、炊出しもないという。すぐに行列が出来、短時間で物資はなくなりました。

牡鹿半島での物資配布

渡波地区

大原浜地区

満潮時刻の朝晩には水かさが50cmになっていました。帰る時間にも水が・・・。


0 コメント:

コメントを投稿