今回は初期の頃から今なお交代で大槌に向かっているベテラン運転手3人が隊員として派遣されました。道なき道を行く、道が毎月のように変わっており、ナビがあてにならない・・・状況の中、運転手は貴重です。今までに多くの隊員が現地入りしましたが、この組み合わせは初めてです。百聞は一見にしかず!現場を見ながら貴重な情報交換の時となりました。
震災直後から大槌町だけでも50ヶ所以上を継続的に訪問していますが、今回も身を粉にして地域に仕えておられる各リーダーたちと連携し「こんにちは訪問」(忘れていませんプロジェクト)で行ってきました。どこに行っても顔を見るだけで喜ばれました。
常に祈りつつ、ほとんどが風の吹くままでしたが、ドンビシャのタイミングで各所を訪問させて頂きました。3秒遅くても3分早くても会えなかった「お母さん」「お姉さん」たち・・・まさかの「桜の木々のお別れ会」・・・。それにしても素晴らしい景観と人々に逆に癒されてきました☆震災直後からの風景がかぶりつつ、『よくここまで復興できたなあ』と思う一方で、『復興はまだまだだなあ』とも感じつつ、まさに祈り続けてのミッションでした。
8月16日(日) 晴れ
13時に東京出発。道中、平和と喜びの器?ウルトラマンに会いに安達太良SAで休憩。渋滞も多少ありましたが、スムーズに移動でき感謝でした。
夕食は一関の巨大スーパーで、半額シールのついた寿司などを予算内で購入。お寿司の「ネタ」が信じられない程、ぶ厚く、食べ応えがありました☆
その後、陸前高田キリスト教会の森田先生ご夫妻との再会☆相変わらずお元気でした。「震災後、各団体、多くのボランティアが来てくれたけど、今年は今週のボランティアが初めてです」「今後ももちろんここで働きを続けます」「今日も、仕事で東京に引っ越した家族が『ただいま』って帰ってきたよ。実家みたいに思ってくれているんだよ。もう東京に帰ったけどうれしかったよ。」の話に胸が詰まる思いでした。必要が多いのに働き人が少ない・・・。今回は顔を見に行っただけですが、それでも喜ばれました。
大船渡の宿で宿泊。
8月17日(月) 曇り 時々 雨(夜)
祈って6時に大船渡の宿を出発。道中、大船渡、釜石は沿岸部にかなりの「盛土」が積まれていました。朝日が海に反射する光景が絶景! 7時に大槌の漁港に到着。この日の定置網は3トンの漁獲高でした。イナダ、サバ、ソーダカツオなどが獲れていました。
いつも顔を出す個人の漁師さんの牡蠣の作業も少しですがお手伝いさせて頂きました。見ている分には簡単そうに見えたのですが、実際にやってみるとかなりの重労働でした。中腰の姿勢でネットに牡蠣を入れる作業は、数分で「椅子をお借りできますか・・・」なんとも情けないですが、同時に『皆さますごい!』と尊敬致しました。無言で黙々と根気よく働いておられました。ほんの少ししか手伝ってないのに、牡蠣やウニをその場でお腹に頂きました☆しかも、お土産に沢山のムール貝と牡蠣まで持たせてくださいました・・・。
とれたての牡蠣(かき)
一口で牡蠣をゴックン!甘い!
ウニも激ウマです!
その後、「ジョイフルハウス」の新しいファミリー(ミジェル先生、黒川先生)宅を訪問。子ども達も興味津々に挨拶に来てくれました。
そして、11時半に震災直後からお世話になっている地元の愛の器Aさんと合流。まずは、牡蠣とムール貝のおすそ分け☆そして、久慈までドライブ。道中、宮古の港のすぐ近くでAさんが、昼食をごちそうしてくださいました・・・「今までは助けてもらってばっかりだった。今はお礼ができるぐらいまで復興してきたからご馳走させてください。あの時、私が言ってたでしょ☆『今(震災直後~数ヶ月)は皆さんに助けてもらわなければなりません。でも、いつか漁ができるようになったらご馳走させてください。美味しい魚獲れるんですよ。』って約束したでしょ。」とのこと。感謝してご馳走になりました。美味しかったです☆
130kmの道中、町の様子や復興の様子、皆さんの近況などをお聞きすることができました。東京までの帰路、隊員の一人は、「今回Aさんと初めてゆっくりと時を過ごせたのがすごく良かった」と言っていました。
景勝地や「田老の破壊されたX字型堤防」にも立ち寄りました。Aさんの説明によると、「今までの多くの堤防はL字型につくられており、海からの波には耐えられるように設計されていたが、今回の津波は堤防を越えて町に入り、潮が再び海に戻る時に堤防が壊れたそうです。確かに、ほとんどの堤防が海側に傾いていました。過去の津波の高さを参考にして、それよりも高い堤防をつくったのに、まさかその堤防を軽々超えるとは・・・。今設計中の堤防は、L字でもX字でもなく、3方向の圧力(津波)に耐えられる丈夫な設計になるようです。
かなり有名な「田老のX型堤防(海抜10m、全長2433m)」 津波は堤防を超え、破壊
田野畑村の「思惟大橋」も通過・・・谷底まで120m、全長315mでした!下をのぞくとかなり怖いです。
久慈の「あまちゃん」の舞台になったロケ地にも立ち寄りました☆遊ぶのも、働くのも・・・何をするのも真剣の隊員たちです。
夕食を済ませ、夜21時過ぎに山田町のC宿に到着。初めて使用する宿でしたが自炊もできるし、快適でした。
順番でお風呂に入るので、結局22時半に就寝。
今日は降水確率が70%、明日は80%、明後日は晴れの予定でしたが、今日は夜から雨が降りだし、夜中がピークでした。
8月18日(火) 晴れ
隊員の一人は水揚げを見るために宿を4時半に出発し、5時に大槌の漁港に到着し、定置網船を待ちました。4時の時点では、雨はすっかりあがっていましたが、山田町でがけ崩れ・・・片側交互通行となっており、一瞬ヒヤリとしました。作業員の方々が早朝から一生懸命に手作業で泥をかき分けて下さっていました。
定置網船が帰ってくるまでに、個人の船がドンドン帰ってきました。
結局6時頃に定置網船が戻ってきました。いつ見ても感動する瞬間です。
顔見知りのDさんは、つかつかって近づいて来られたと思ったら「食べるか?」を方言でボソッと言いながら、突如、ソッコ(ブリの子)を目の前に突き付けられ、一瞬圧倒されました・・・さすが漁師さん。「3匹」と渡されそうになりましたが、一匹でも重たく、とても3匹は持てないし、申し訳ないので感謝して一匹だけ頂きました。しかし、隊員は、海のない所で育ちましたし、魚丸ごと渡されてもさばけません・・・。そこで、震災後からずっと関わりのある早起きのEさんに連絡して刺身にして頂きました☆もちろん半分はEさん宅におすそ分け☆Eさんは、地元のなすびやトマトやきゅうり、醤油、わさび、白いご飯・・・を次々箱に入れて「はい、食べて☆」と笑顔で・・・。Eお母さん強し!
7時過ぎに宿に到着し、頂いた地元の野菜をさっと調理し、2時間前に海から揚げた新鮮魚と、昨日の残りのムール貝のすまし汁と、愛情たっぷりの白ごはんで朝食のひと時!夕食みたいな朝食になってしまいました。信じられないぐらいに最高に美味しかったです!破格の恵みでした。
改めてお祈りして全隊員は8時半に宿を出発。きれいな海を見ながら山田町から大槌町に移動。
朝の崖崩れの場所はきれいになっていましたが、警察の方と作業員10数名が、なぜか道端に・・・少し進むとパトカーも待機。後で地元の方に聞くと、「がけ崩れは一ヶ所おきたら、その周辺でまたすぐにおきる可能性がある。ずっと梅雨のような天気が続き、地盤がだいぶゆるんでいる。またいつどこで土砂崩れになってもおかしくないから、警備のために立ってくれていたんだと思うよ」とのこと。なるほど!
普段はこんなにきれいな海です。
そして、F高齢者施設を訪問。受付にご挨拶に行こうとしたら窓口であるGさんに一番に会え、再会を喜び合いました。彼女は「出張が続いており、今日の朝だけ居るんです。すごいタイミングで会えましたね」とのことでした。代表御夫婦たちにも偶然お会いすることができ、鳥肌が立ちました。今回は、あらかじめ、「月曜日から水曜日の間にご挨拶にだけ伺いますが、いつになるかはわかりません」と電話で事前にご挨拶していましたが、どこもここも次から次に最善のタイミングに訪問でき、こわいぐらいでした。皆さんのお祈りのおかげです。
移動中、愛しの「お~ちゃんバス」の洗車場面にも立ち会えました。可愛がられているのを感じました。
そして、9時55分にH仮設団地に到着すると、多くの人たちが広場に集まっていました。本当に風のふくまま移動していましたが、なんと「10時から桜の木のお別れ会がある」とのこと。全く何も知らずに訪問したのですが、会いたかった人たちにもほぼ会えました。以前、旧I小学校校庭の最後の桜祭りにアガペーCGNが特別ゲストとして参加させて頂きましたが、今回も、初期から関わってきたH仮設団地の桜の木のお別れ会に立ち会えて感謝でした。みなさん「わざわざ桜のお別れ会のために来てくれたの?ありがとう」と多くの方が声をかけてくださいました。2本を残して、他は道路を作るために伐採されます・・・それぞれに色んな思いはありますが、『復興のためには仕方がない。桜の木にはかわいそうだけど・・・』と複雑な顔・・・。94歳のお母さんも炎天下の中、背筋をピンとのばして、まっすぐに前を直視し、毅然と式典に出ておられました。100歳を超える桜の木たち・・・。ありがとう・・・。1ヶ月以内に伐採は終わるようなので、10月以降は見られないと思うと、隊員たちでも寂しい気持ちはします。潮水をかぶったにも関わらず震災直後から花を咲かせた桜たちです。お別れ会の後、お茶っこに誘われ、良い時を過ごさせて頂きました。
その後、I小学校跡に向かうと・・・以前はあったはずの桜の木が一本もなくなっていました・・・。まだまだ震災の被害は続いています。
壊れた堤防を見ながら、Jガソリンスタンドへ。大槌町の堤防は、過去の経験から3~7mでしたが、2011年3月11日の津波は22mの高さを超えました。海底からの津波だったため城山体育館から「海の底を見た」と証言される方々が複数おられます。大槌町でも津波は余裕で堤防を越え、自由無人に動く津波によって簡単に堤防は壊れ、非常に大きな被害をもたらしました。今後は14.5mの堤防が作られる予定です。
ボランティアセンターで活動報告。初期の頃からずっとお世話になっている超多忙な担当者にも奇跡的に会えました。感謝!
その後、K高齢者施設へ。愛する「妹」にも会えました。
その後、仮設学校、学童、L保育所、子どもセンター、M仮設団地、わのっこハウス、N高齢者施設などを訪問し、かけがえのない時を過ごさせて頂きました。
17時には地元のOさんと合流し、きゅうりとみょうがの収穫と、草抜きを1時間半程しました。この畑は地元の方たちとアガペーCGNがゼロから開拓した畑です。
夕食の食材に地元のスーパーで今朝水揚げされたであろうイカと刺身や、お惣菜(P母さんから)や、朝頂いた野菜や貝を宿でササッと料理して美味しくいただきました☆どれもこれも最高に美味しかったのですが、特に宿の魚焼きで料理したイカ焼きが絶品でした!
大自然の中で人々との温かな交流☆宿も快適です。
8月19日(水) 晴れ
隊員の一人は、漁の船にのるために1時半起き、2時出発、2時20分に港に到着・・・。いつもながら誰もいない、ほぼ真っ暗な港は迫力満点です。2時30分頃から漁師さんたちが来られ各種チェック。2時50分には出航し、20分ほど離れたところまで移動。30分ほど定置網の引き揚げ作業。
代表の方や漁師さんたちに言われて手伝うことに・・・一緒に網をひきました・・・重い・・・潮が速く、もっているだけで精一杯の時も3回ほどありました。
イカを刺身にするのも「何でも経験。やってみて」と言われてイカきりに生まれて初めての挑戦、そして一緒に食事まで・・・色々と貴重な経験をさせて頂きました。
その後、宿に戻り、3人そろって祈って8時に出発。
まずは、いつもの城山体育館の高台へ向かいました。町の景色が毎月来るたびに変わっています。今は盛土とトラックと工事の風景が多くみられます。
9時にジョイフルハウスのミジェル先生と黒川先生を再び訪問し、良き交わりをさせて頂きました。この交わりがお互いにとってとても必要な時でした。
私達は、10時過ぎには、もともとQ幼稚園を訪問する予定でしたが、ミジェル先生たちも合流し、得意な「指笛」をプレゼントに、引越しのご挨拶となりました。先週の木曜日に引っ越して来られたばかりで「どこも訪問で来てないんです。あちこち行きたいのですが、場所も分かりませんし、関係もできてないので・・・」とのことでしたので、お役に立てて良かったです。ミジェル先生たちはあっという間に人気者。ペルー出身なので、スペイン語教室「こんちには」「ありがとう」「ばいばい」や、動物の鳴き声(鳥、犬など)、指笛・・・子ども達も先生も大喜びで、お礼に子ども達はダンスをしてくれました。
その後、お盆の来客が多くて体調を崩し気味のために会えなかった「P母さん」・・・どうしても直接会いたくて、もう一度訪問すると、「だいぶ元気になったから、ちょっと車で訪問してくるって今さっき出て行ったところ。裏にまわって」と言われ、慌てて裏に回ろうと走ったら、ちょうど車で交差点を渡ろうとしていたお母さん。会えた!!!共に再会を喜び合い、お父さんとも挨拶できました☆訪問が、3秒遅くても、3分早くても会えなかったP母さん・・・いつまでも元気でいてほしいなあと思い、いつもにも増して祈りました・・・。
そして、地域のために身を粉にして仕えておられるRさんたちを訪問。ご多忙のRさんたちですが、これまた昨日に続き奇跡的にお会いできました。
朝ごはんの残りをお弁当にしたので、スーパーでは最小限の買い物にして、昼食。
大槌を出る前に、最後にお見送りに来て下さった方もいていつもながら感動☆13時半に、新山高原経由で花巻の宿へ向かいました。大槌町のローソンや城山体育館から新山高原を見ると白い物が10個ほど見られますが、実際に新山高原に行くと40基以上の超巨大な風車がそびえ立っており、絶景です。以前は朝や夕方に通行したからか、鹿を18頭ほどと、兎などを目撃しましたが、今回は暑い真昼だったためか、動物を発見できませんでした。
遠野の道の駅で恒例のジェラートタイム。1時間に1回ぐらいしか見られない電車も見ることができました。震災の教訓を生かす過去の視覚展示も多くありました。
明るいうちに花巻温泉のエコノミーな宿に到着。隊員たちは、19時45分~夕食。やっぱり温泉は良いですね! 花巻温泉で疲れをとり、ぐっすり寝ました。
8月20日(木) くもり 時々 雨(運転中だけ)
7時に祈って花巻の宿を出発。朝食は、近くの立派なホテルの中で焼き立ての手作りパンを購入。
11時半から7月11日の第53回「東日本大震災3・11復興支援超教派一致祈祷会」の現地レポートであった福島県の郡山コスモス通りキリスト教会の金子千嘉世先生を訪問。1時間程、「ジム室」や「放射能の測定器」や「緊急時に備えて実際に準備している物」を見せて頂きました。災害はいつどこでおきるかわかりません。『日頃から先生のように準備していないとダメだなあ』と反省。
ジム室ができた経緯は・・・福島の多くの子ども達は外で遊べなくなったので、筋力が落ち、ブランコをこげなくなった子ども達が多いそうです。筋トレを始めてからは、抵抗力がつき、風邪やインフルエンザからも守られているようです。脱帽!金子先生、その発想が素晴らしい!先生は、やはりジャージ姿でした☆素敵でした!
その後、平日は本格コーヒーなどで憩いの場を提供されているS先生を訪問。色々な情報交換ができました。
そして、「FUKUSHIMAいのちの水」を訪問。最近連絡がないし、細々と活動をされているかと思いきや・・・ものすごい事されていました!久々の訪問でしたが、皆覚えて下さっており大変喜ばれました。放射能の話、ビジョン、「サンタクロース」プロジェクト・・・どれもこれも寝耳に水でしたが、感動的な働きでした。
特に、放射能を測定器で一緒に測りました。空中線量は数メートル歩くだけでコロコロ変わります・・・。しかも、雨水の流れる戸井付近の草は、地面から1mの所の測定値と比べて、毎回2マイクロシーベルト前後数値があがるそうです・・・。百聞は一見にしかず。そのような話は聞いたことはありましたが、目の前で見たらギョッとしました・・・。郡山南インターから降りて10分なので、是非今後毎回訪問して頂きたい場所です。
19時、東京に到着。
今回は、ニーズ調査を兼ねた「こんにちは訪問」(忘れていませんプロジェクト)でしたが、新しい出会いの祝福や、具体的な祈りの課題も見えてきて本当に感謝な時となりました。
まだまだ復興支援が必要です。多くの祈りが必要です。みなさんのお祈りを心から感謝致します。
今回の陸前高田からの声に応えて、「英断と速効性」により、早速ですが8月24日(月)~31日(月)まで往復夜行バス利用でアガペーCGN第69次を派遣いたします!
祈り、訪問、手紙・・・小さくてもそれぞれができる愛の種をまかせて頂きましょう!
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