今回はアガペーCGN始まって以来初の「大槌町内を自転車で・・・喜びの再会☆」でした!東京から大槌町までは夜行バスを利用し、今回現地で購入した自転車を使用しての大槌町内の各所訪問でした。今まで現地のニーズは、日毎・週毎・月毎・年毎に変化してきており、それにできるだけ寄り添えるように不完全ではありましても、その時々の最善を尽くしてきたつもりですが、今回の企画は2年目からチラチラッと脳裏を横ぎっていた内容です・・・。そして、時が熟してようやく決行!
今回の隊員は既に何十回も大槌町を訪問していますので、「道(ナビは全く役に立ちません)」や「避難経路」はたぶんばっちりでしたが、万が一をいつも覚悟しつつ、常にフル装備で自転車での移動。大きなリュックや自転車のかごの中には、常に各所へのお土産、作業着、長靴、軍手、タオル、非常食・・・様々な物が入っており、大槌の皆様から「わぁ、すごい!ドラえもんみたい!何でも出てくるね。」と言って頂けました。
ただ、ひょっこり顔を見せるだけでみなさん「わあ~!久しぶり?元気?」「ちょっと待って、良い物あるから。私が作ったの。美味しいよ。食べて、食べて。」「大槌町に住めば?」と大喜び。しかも、「自転車で来ました」と知ったら、みなさん絶句・・・。「大槌町では遠方の学校に通う中学生・高校生か、車の免許をもっていない60歳以上のおばさまたちは、仕方なしに自転車に乗るが、他の人たちはみんな自動車だよ・・・」「町と町が離れすぎているから・・・」「坂も多すぎるし、工事中で砂利道の場所が多いし、トラックも多いし・・・」「震災前は中心部に住んでいる人はみんな自転車だったけど、そういえば、20~50歳代で自転車の人はほとんど見ないなあ・・・気づかなかったけど・・・」「高校卒業したら普通はみんな車の免許を取って車に乗る」とのこと・・・。地元の人たちと同じ視点で生活体験・・・という企画が・・・残念。しかし、理由を聞いて実際に自転車で回ってその意味が良くわかりました。自転車や徒歩で移動することで、初めて見えてきた風景、聞こえてきた音(ホトトギスや虫などのきれいな声)がありました。また、激しいアップダウンの坂道や砂利道、砂埃が多い町内を歩くしかない高齢者や体の不自由な方の大変さの一端を体験でき非常に良かったです!
5月18日(月)
21時35分池袋発の夜行バスで大槌へGO。バスには計10名程が乗車されており、釜石、大槌、山田で下車でした。座席は、前も後ろも右も左も貸し切りで、快適でした。自分で運転しなくても寝ている間に到着できるなんて最高に楽でした。
5月19日(火)
7時20分に大槌町「ローソン前」に到着。小雨の中、宿まで徒歩で移動。長靴をもっていましたが、小雨なので履き替えずに(なめていました)、折りたたみ傘と、レインコートの上だけ羽織って歩き出しましたが、完全な判断ミスでした。雨をしのぐ家も何もないので途中で履き替えることもできず・・・びちょびちょではなかったですが、靴も靴下もズボンも、『じと~っ』とぬれました。地盤沈下が原因で、あちこちに大きな水たまりがあり、排水がうまくいっていなかったのですが、車で移動している分には全く気づきませんでした。いきなり良い勉強になりました。
宿に着き、敬愛する「大槌のAお母さん」と再会を喜び合い、挨拶をしてから着替え、長靴に履き替えて完全装備でまずは朝食。いつもながらいきなり夕食のような朝食でした。ニンニクもありました。相変わらずAお母さん、すごい!
雨が降っていたので、近くのB幼稚園を訪問。子ども達と一緒に遊んだり、歌ったり、工作をしたり・・・毎回訪問するたびに一人一人の成長がすごいです!「せんせ~せんせ~」「見て~見て~」「あそぼ~」「せんせ~知ってる」・・・自分の話をドンドンしゃべり続ける子たち・・・可愛いかったです。本当は、1時間のつもりでいましたが、朝の会が始まり・・・終わり・・・流れで2時間半ほど一緒に過ごせました。一人の職員が入院されていて保育士不足・・・「課題」を持っている子がいたので・・・私の得意分野ですし、その子と一緒に1時間ほど遊びました☆その間に体重測定などがあり、職員の方々から「すごく助かりました・・・ありがとうございます。また、いつでも来て下さい」とのことでした。
12時半頃大槌町内で自転車を購入し、まずはCボランティアセンターに今回の活動報告に行きました。すっかりボランティアが減ってきた中、「今まで関わりをもってきた所が50か所ぐらいあるのですがその中の25か所ぐらいを訪問する予定です・・・具体的にいつどこに何時頃訪問するかは未定です。お邪魔にならないように顔を出すだけなのですが・・・風の吹くまま・・・」と正直に今回の趣旨を伝えましたが、「いつもありがとうございます。お気をつけて、自転車ですか?!ダンプカーが多いのでくれぐれもお気をつけてください」と大変喜ばれました☆
その後、いつものDさんと合流し、2時間ほど二つの畑の見回りとジャガイモの「芽つみ」、草ぬき、ワラビ、ウド取りをしました。前回第65次が杭を立てたものもしっかりと機能していました。キャベツ、大根、山芋・・・色々とありました。微力であっても必要に応えることができ、うれしかったです。熊はどこでも出る可能性がありますが、特に山は熊出没の可能性が多いので、熊の苦手な「熊対策のスプレー」と「蚊取り線香」で予防しました!鈴は、熊も慣れてきたようで、効果は低いようです。
ひょうたんの芽も出ました!
そして・・・すごく楽しみにしていた畑の横のE川で準備から片づけまで込み込みで30分間の釣り!まずは、川に入って石を動かして、餌になる「虫取り」から・・・つまりえさ代はゼロ円でした。魚は5秒~3分ほどでイワナやヤマメがかかります☆隊員は魚釣りの名人ではないです。ド素人ですがたぶん誰でも簡単に釣れます。道具も3人分は貸して頂けます。
その後、F仮設集会所で「お茶っこ」をし、G高齢者グループホームを訪問しました。Gでは、顔を見るなり何も言わなくても「サンタクロースの時に来てくれた人ですよね!」と覚えて下さっており、うれしかったです☆再会を喜び合いました。「変わったことと言えば、玄関の屋根にスズメの巣ができました」と嬉しそうに教えてくださいました。
その後、Hさん宅を訪問。喜んでくださいました☆途中で、懐かしい人たちにも再会することができました。自転車を見て「なぜ、そこまでしてでも来てくれるの!?大槌にマイ自転車か?大槌に住んだらどう?」と喜ばれました。みんなで「お茶っこ」の時に食べてもらうお菓子も各所に預けてきました☆
宿に戻り、釣った3匹の魚とワラビなどを渡し、料理して頂きました。実に美味しかったです。夕食はいつもながら豪勢でした。新鮮な魚は、予想通り信じられないぐらいに美味しかったですが、地元の野菜、特にトマトも最高でした。たぶん一人でまるごと2コほど食べたはずです。しじみのみそ汁もすごく美味しかったです。
夕食後、第65次のNHKに取材されたときの録画をAさんの息子さんと一緒に見ました。感動しました。
天気予報では火曜日と水曜日が丸々雨の予報でしたが、火曜日の午後から雨が上がり感謝でした。自転車の旅ですから天気は重要です。
5月21日(水)
5時半起床、6時に朝食、その後すぐに出発。朝からものすごい朝食です。
まずは、朝のI漁港などの港へ。最近の漁の具合、今後の話(人手不足、若者不足)等を聞いてきました。湯がきたてのコンブは、すごく美味しかったです。80度で湯通しすると3秒で、こげ茶色からきれいな緑色に変色するのが面白かったです。
個人経営ごとですが、簡単な加工品も販売されるようになってきています。
その後、J仮設談話室を訪問すると、ちょうどマッサージのボランティア(知り合い)がきており、10名ほどの仮設の方にお会いできました。2時間ほど様々な話を分かち合えました。皆さん、母の日のカーネーションを手に嬉しそうでした。
ある所の80代の方が「これ見て☆私の子どもが『笑っているお母さんの顔』って言って作ってくれた宝物よ」と嬉しそうに見せてくださいました。確かに素敵な宝ですね。牡蠣の佃煮もほっぺたが落ちそうなぐらい美味しかったです。
93歳の方が刺し子で作品作り!毎回励まされます!質問にもしっかり答えてくださりお元気です。読書と刺し子が趣味だそうです・・・。
朝、漁港近くの店で頂いた「やわらかいするめ」が、すごくおいしいです。お土産にもらったのですが、訪問した方々に見せたら、「口にしたのは震災以来だ!懐かしい!美味しい。買に行きたくても歩いていけない。どこに売っていたの?」と大変喜ばれました!次回は沢山購入してお土産として訪問先に配るのも良いなあと思いました。わらびは裏山でとれたもの。沢庵も自家製です。美味しかったです。
その後、K公民館を訪問。震災前の話、震災後から今日までの話、未来について、わずかな時間ではありましたが色々と分かち合えました。近くで花壇の手入れをしておられる友人との一コマ。「この辺は全部津波にかかったの。雨が降ると土が流れるけど、土の補充で近くの土を運んでいます・・・時々今でもガラスなどが入っているから注意が必要です」とのこと。確かに、運ばれてきた土の中に大きめのガラスが混ざっていました。被災地で生きることの一端を垣間見た瞬間でした。
その後、いつものLガソリンスタンドを訪問し、ご挨拶。いつものように飴ちゃんを下さいました。しかも、非売品のレアな「「お~ちゃん(大槌のキャラクター)飴」を!
昼食は、昨夜「岩手放送」で紹介されていた8畳の仮設店舗のM店で食べました。看板娘の「将来の介助犬」にも会えました!両親と愛犬を震災で流された大将が、特別な思いをもって介助犬を訓練されている話を直に伺って感動いたしました。
その後、O高齢者施設、P仮設、Q先生たち御一家の住むジョイフルハウス、R店などの訪問をしました。どこもここもひょっこり自転車で現れた私の姿に「すごいなあ。自転車か?ダンプカーに気をつけてね。事故多いから歩道を走ったほうが良いよ」と声をかけてくださいました。あちこちで「お茶っこ」です。
その後、奇跡的にQ先生たち御一家にもお会いでき、再会を楽しんでいると・・・携帯に地元の方からお呼び出し・・・その時にいた場所から山に向かって自転車で25分の過酷な上り坂の場所での1時間の釣りのお誘いでした。もちろん駆けつけました☆しかし、道中行けども行けども家もなく、車では5分の距離がとても長く感じました。歩く人も自転車の人も誰もいませんし、走っているのはたまに走る自家用車とダンプカーのみ・・・。
待ち合わせいている人々の姿が川向うに見えているのに、そこに行くためにはかなり先か元に戻って橋を渡るしかありません・・・車だとあっという間ですが、自転車の移動はさすがに少々疲れましたが、無事に合流でき、釣りは1時間で20匹以上ヤマメが釣れました☆嘘みたいな話ですが、本当に竿を入れたと思ったらすぐに釣れますし、実に楽しかったです。山から自転車で45分かけて宿に帰り、途中で友人にヤマメをおすそ分けし、すぐに宿で焼いてもらいました。予想通り最高に美味しかったです!熊に常に注意しながらの魚釣り。元レスキュー隊の友人たちと一緒に行きましたが少々ドキドキしました。釣れた時の手ごたえがすごかったです。やみつきになりそうです。アドレナリンが沢山出た気がします。
宿の朝食・夕食はもちろんですが・・・行く所行く所で「食べて、食べて」と、ウニ、スルメ、メカブ、昆布、牡蠣の佃煮、ワラビの炊いた物・・・太りそうです。でも、その気持ちがうれしかったです。
大きな登山用のリュックを背負って、黄色いパーカーを来て自転車に乗っていると色んな方から「ヨォ」「又、会えたね!」「若いね~」「この坂を立ちこぎで上れるなんてすごい」・・・など声をかけられました。1ヶ月も自転車こいであちこちウロウロしていたら相当有名人になりそうです。いつもは車で簡単に上っている道など数か所で自転車を降りておす場面もありましたが、押すだけでも息が切れました・・・少しは、歩いておられる方々の気持ちを体験できて良かったです。
5月22日(木)
4時15分起床、外はすっかり明るいです。4時35分出発、漁港へ。途中、現・役場前の嵩上げ工事の様子。
水揚げを見るために5時前にS漁港に到着。サワラ、スケソウダラ、カワハギ、タコ、ドンゴ、サバなどが2トン弱とれていました。秋の鮭のシーズンには30トンぐらいですが、この時期は厳しいようです。
コンブ、ホタテ、牡蠣の船も次々と戻ってきました。ワカメも沢山頂きました・・・。
定置網の皆さんの働く姿を見ていたら、複数の方から「見たことあるなあ。一緒にやるか?」と言われ、一緒に作業。大変喜ばれました。アガペーCGNの代表はFIDR(漁港や網や船を支援した団体)の関係者でもありますので、漁に何度か連れてもらったりしていますが、さらに一気に距離が近くなった気がしました。働きぶりが気に入られたようで「センスあるよ」「漁師になるか?」「明日もおいで」と誘われました☆
宿に帰る途中、旧・町役場(被災地中心部)の跡地を郊外学習として1泊2日で訪問していた秋田の中学生たちと遭遇できました。最近、修学旅行や観光ツアーが増えているようです。
2011年の震災当時、大槌町民の当時高校2年生だった方や、役所で働いていた婚約者が未だに行方不明の方たちから、生の話を聞く機会に恵まれました。「命の大切さ。命は一つ。」「あたりまえじゃない」「ありがとう、ごめんなさい、大好きだよ」「大切な人を本当に大切にしていますか?」「避難経路を知っていますか?実際に自分の目と足で訓練してみましたか?もし、その避難経路がダメになったらどこに逃げますか?」「津波は海で時速100Km、陸に上がったら時速60Kmで2トンのダンプカーがぶつかってくる勢いだったから、波にぶつかったら間違いなく死にます」「町長含め役場の3分の1の人たちが流れ、仮のリーダーが町をひっぱってきたという意味でも世界で有名になった町。30パーセントの高齢者・・・」「パニックになって津波に向って走って行った人もいました」「助けに戻ろうとして先輩に殴られました・・・行方不明の大切な人が『ただいま』って帰ってくるかもしれないと今でも思っている」「大槌町には地震から35分で津波が来た。家族や大切な人をイメージして、35分間に避難できるか?一人暮らしの95歳のおばあさんはコートを羽織って(500mほどを)ゆっくりゆっくり歩いて高台に避難しただけで生き延びた。通帳をとりに帰った人や、家族が気になって戻った人たちが犠牲になった・・・。家族を呼びに戻らずに、自分だけで逃げられますか?(津波てんでんこ)。正しい答えはありません」「遺体がない中の葬儀・・・何かなんだかよくわからない中、4年と少し経ちましたが、ようなくなんとな~く心が元気になってきた感じです」・・・いろんなお話を聞くことができました。
昼食の約束の時間まで時間が微妙にあいたので、一旦宿に戻って大掃除。途中で「大槌のお母さん」が帰ってこられたので、三角巾の折り方を教えて頂きました。
昼食は、Tで大槌町の伝統的な一般的な家庭料理を地元の方々と一緒に☆
仮設の方々の手芸品などを販売しているU店舗見学。毎回パワーアップしています。
V高齢者ディアサービスを訪問。ちょうど帰る所でしたが、普段の様子を拝見できてすごく今後の参考になりました。
道中、ここ数か月間は工事のために相当細くて大変な迂回路を使用しなければ目的地に到着できなかったのですが、自転車だとスイスイ最短距離・最短時間で移動できました。
W保育所を訪問。ここも保育士不足です。町内で公立の唯一の保育所(幼稚園)ですが、今年は、0~3歳児までは、前代未聞の他の保育所に委託・・・。職員が揃ったら年度途中でも0~3歳児の保育も再会したいとのことでした。そして、ひょんな話から保育相談、教育相談に発展・・・隊員の今までの経験が役に立ちビックリしました。「会ったらじゃんけん」「お医者さんごっこ」「おりがみ」・・・子ども達とも一緒に楽しい時間を過ごすことができました。
X学童を訪問。覚えて下さっており「また太鼓とか是非来てください」と伝言を預かってきました。子ども達も色々なことがある中でも、元気そうでした。
町で見かけると、手を振ってくれたり、「せんせ~」「アガペーさんだ~」と声をかけてくれたり・・・忘れずに覚えてもらっていることがうれしかったです。愛し愛され、良き愛の循環が通っているのを改めて体感できました。
宿の草抜きを90分ほどして、夕食を食べて、夜行バスへ・・・。
宿のお母さんは、おにぎりやおかずを沢山持たせてくれて、「お腹が減ったら食べて」とのこと・・・感動しました。また、見送りに来て下さった方も複数いて感激でした。
5月22日(金)
朝6時20分に池袋駅前に到着。車掌さんがカーテンを開けて最初に見た光景は、ビルビルビル・・・。一気にカルチャーショックになりかけました・・・。つい10時間前までは大自然の中にいたのですが・・・。
今回で「ふらっ」と大槌に遊びに行けることが判明しました。自分で運転しなくても10時間寝ていたら現地に到着できるなんて幸せでした。運転手さんは2人いますし、安全運転だし、快適でした。リクライニングは120度ぐらいしか倒れないので、4回ほど目が覚めましたが、目を閉じているとすぐに寝られました。「救援隊」の訓練としても非常に良いです。何よりも、電気は消えるし、寝るしかない状況に追い込まれるのが、非常に貴重で新鮮でした。また、3日以上休みがとれたら夜行高速バスに乗り込みたいです☆とても良い経験、かけがえのない時を過ごさせていただきました!皆様のお祈りを感謝いたします。
今回、改めて感じたのは、「在宅」「仮設」「復興住宅」の方たちの見えない大きな分厚い複雑な壁でした・・・。地域によっては、何とかならないかと心痛め、奮闘しておられる方々も複数おられましたが、理解してもらえず・・・色々とあるようでした。
また、本当に、愛に突き動かされた動機であるならば、顔を出すだけで、「お茶っこ」するだけで、買い物するだけで、歌うだけで、釣りをするだけで・・・喜ばれるようです。是非、みなさまもご一緒に☆
東京に到着して片づけをしていたら・・・ある漁師さんから巨大牡蠣が送られてきました。
すごく美味しかったです!感謝!
続く第67次にバトンを渡します。
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