震災直後から、現地入りをさせていただいてきましたが、日ごとに、人々や街が復興してきており、それを見る度に新しいさらなる感動に包まれます。確かに、かの日に受けた試練から人々は立ち上がろうとしています。しかし、「立ち上がりたい」「立ち上がらなければ」「立ち上がるべきだよな」「このままじゃダメだ」・・・とは思いつつも心や身体が動かない人々もおられます。そんな時には、やはり地元に住んでいる人々の存在がとても重要になってきます。一人ひとりに声をかけ合い、家から出ることの難しい人々には訪問し、お弁当を毎食ボランティアで届け・・・。今回は、そのような地域のリーダーたちと連携して計画を立て、「和太鼓 三宝会」の方と一緒に東北に向かいました。震災後、「和太鼓 三宝会」は4回目の東北公演です。三宝会の仲間達は、持ちネタをたくさんもっているので、訪問場所や雰囲気によって選曲を変え、うまくアレンジしているので、どこを訪問しても大変喜ばれました。また、アガペーCGNとしても「初期の大変なときから今でも継続して来てくれるのはあんたらだけや」「忘れんでね」と再会をあちこちで喜ばれ、小さくても継続に力がある・・・と痛感しました。今回は、各現地リーダーからの要請で様々な場所を訪問し、老若男女問わず楽しい時を共に過ごすことができ、住民同士が良き交わりの時となったようで良かったです。また、今回は、震災以来1年6ヶ月ぶりに先月再開した大槌の漁港の水揚げを見ることができたことも何とも言えない大きな感謝でした。
10月21日(日) 晴れ
12時45分 たくさんの方に祈られて送り出して頂きました。
宿までの535Kmの道中、何度も山を越えましたが、トイレ休憩の度に外の温度が下がっていきます。岩手県一関市の山越えの時には外気温が「7度」でした。しかも風があったのですごく寒かったです・・・。
門限前に岩手県大船渡市の宿に無事到着。
10月22日(月) 大槌町 晴れ
6時に起床し、7時に大船渡市の宿から、一路、大槌へ。朝食は車中。
釜石市を通行中いつも考えさせられる風景です。港がすぐ近くに見えるこの辺りには、津波の被害が大きく、今でも、建物の骨組みだけの建物や、壊れたままのビル等がたくさんあります。しかし、ここから数百メートルの工場は、煙突から白い煙をモクモクとたてて再稼働しています。それらが同居している複雑な景色の中に、痛みの中にある風景のりながらも、産業や生活が確実に回復してきている現実を見ます。
大槌町に予定より早めに到着できたので、まずは城山体育館の高台から町の様子を見ました。そこで見えた景色は、家の礎石を覆い尽すかのように伸び伸びと生えている雑草たち。中には、未だに墓石が壊れたままの物も複数ありました。さらに、巨大な船に大きなクレーン車で廃棄物を、次々と積み込んでいる様子がありました。ゴミの処理も復興に向けての大きな必要だと頭では分かっていたつもりでしたが、まだまだ残されている廃棄物の山と、蟻が餌を運ぶかのように一生懸命に船に乗せている様子を見ているうちに、『本当に大変なことが実際に起こったんだ・・・』と実感しました。
その後、ボランティアセンターでボランティア登録をしました。
9時前にA幼稚園に到着。まずは、長距離移動のために緩めていた和太鼓のひもを締める作業に取りかかりました。
そして、一段落ついたところで、三宝会のみなさんはさらなる準備にあたり、アガペーCGNの隊員は公演までの時間までに、どうしても今回足を運びたかった漁港へ向かいました。漁が1ヶ月前に復興したと知人から話を伺いましたが、意外に町の何人かの人たちに漁港の場所を聞いても知らない人が多かったです。しかし、「以前からの港と同じだと思うよ」というアドバイスで、以前の漁港近くに行くと、被害を受けたままの市場の横に、新しい漁港を発見!船もありました!漁から戻ってきた後の網の手入れをしておられる漁師さん達と話をすることができました。漁港では、天気によらず早朝4時に漁に向かい、毎朝7時頃に水揚げをし、8時過ぎには全て大槌町の魚屋さんやスーパーなどに売り払われているようです。私たちが訪問した9時過ぎでは、魚は容器に一匹もおらず、氷だけが残っていました。ちなみに、この漁港はFIDR(公益財団法人 国際開発救援財団 アガペーCGNの代表はFIDRの副理事長)の協力で再開されましたのでテントなどにFIDRのマークが見られました。漁が再開するまで、出稼ぎに行かれていた人や、網などの道具を準備していた人がいましたが、1年半ほどでようやく初揚げ。ようやく、大槌の漁業も動き出しています。
漁港市場の前で魚釣りをしている人もいました。趣味でよく釣りをしているようですが、今日も「朝の6時から結構釣れた」と喜んでおられる方がいました。市場の目の前の船着き場には、パッと見ただけでも、たくさんの魚が泳いでいるのが肉眼でも見えます。実は、大槌町での漁が再開したときに、すぐ、アガペーCGN宛てにたくさんの「巨大さんま」を郵送してくださった方がおられますが、本当に漁港が復興しつつあることを五感で体感でき、感激でした。
さて、公演10分前にA幼稚園に戻り、「和太鼓 三宝会」の仲間達と合流。A幼稚園では3度目の和太鼓公演になりますが、曲目を変えたり、雰囲気を変えたりしたので、見飽きた者は一人もおらず、子供も大人も大喜びでした。突然のプログラムとなりましたが、子供達の「どんぐりころころ」の歌に合わせて、先生方の発表も盛り上がりました。和太鼓体験コーナーでは、1回目より2回目、2回目より3回目と回を重ねるたびに上達してきています。それぞれに表現が違い「のどに響いた」「お腹がふるえた」など子供なりの感想を教えてくれました。公演終了後も、子供達はかっこいいお兄ちゃんたちと大はしゃぎ☆
お昼ご飯は、友人がお弁当屋さんを手伝っているので注文しましたが、 おせいじなしにおいしかったです。しかも、東京では考えられないほど安い!また、幼稚園の先生方か、三陸名産のお菓子を用意してくださり感動しました。
その後、山に向かいました。午後1時半~はB商店街で30分間の和太鼓公演です。B商店街に伺うことになった経緯は、初期の頃から親しく交わらせていただいている方から「この地域は、奥地に位置している小さな仮設住宅なので、イベントやボランティアの訪問がほとんど来ない。雨の場合は中止になるし、集まる人数は少ないとは思うが、それでも良かったら是非来て頂きたい。足が不自由な人も多いし、車もないし、イベントする人が近くまで来てくれないと見たくても見られない。」と声をかけて頂いたので、「是非演奏させてください☆」ということで実施になりました。幸い、天気に守られ、暖かい太陽に包まれての公演となりました。地元の声かけ役をしてくださった方の予想をはるかに超え、70人ほどの方が集まってくださいましたが、多くは近くの仮設住宅の高齢者の方や主婦の方でした。足の不自由な方も多かったですが、近所の方達に助けられて一緒に見に来て下さいました。中には「太鼓なんか初めて見た」という方も数人おられました。私たちだけでも、3回大槌を訪問していますし、他にも太鼓グループは複数団体が出入りしているのですが、ボランティアの訪問格差があるなあ・・・と実感しました。そういえば、震災後3ヶ月目にある山の奥の大きな避難所を訪問したときも、「あなた達が3団体目よ。山奥まで誰も来ないよ。ここにも来てほしいわ。」と言われたことをふっと思い出しました。公演の後、みなさんに太鼓を叩いて頂きました。初めて太鼓に触る方が多かったのですが、それぞれに楽しんでくださったようです。
15時~C仮設住宅で1時間の太鼓公演。D保育所も合同で参加してくれました。二度目の訪問ですが、三宝会のメンバーのニックネームも覚えてくれていました。公演後、相当アドレナリンが出たのか、「すっきりした!」「あんたら日本一や!」「また来てね!」と次々に握手を求めて来てくれました。子供達も大絶賛!子供達の反応に、大人達の喜び、楽しみは2倍3倍にふくれあがっています。「わっしょい、わっしょい。」「すご~い!」の大歓声の中、公演は続き、最後には太鼓体験コーナー。子供も大人も盛り上がりました。そして、みんなの反応も後押ししたようで、地区の代表の方から、「次回は○月に来てください」と次の依頼を受けました。
公演終了後、ある方が「やっぱり太鼓は良いですね。心に響きました。ところで、私たちもいろんな物が津波で流されて何もなくなったけど、この太鼓だけが残ったのです。でも、津波をかぶったので音が鳴らなくなりました。せめて、ひもを締めなおして頂けるとひょっとしたら前のようなきれいな音が鳴るかもしれないのですが、どうか締め直してもらえませんか?」と地区の代表の方と一緒にお話下さいました。三宝会のお兄さんが愛と祈りをいっぱい込めて丁寧かつスピーディーにひもを貼り替えると・・・なんと素敵な和太鼓の音がよみがえりました・・・!感謝!周りにいたみなさんも大喜びしてくださいました。「震災以来一度も叩く機会がなかったけど、また叩きます。うれしいです。本当にありがとうございます。~。」「お兄ちゃんからもらった太鼓生き返った☆今度は僕が叩くんだ☆」と大喜びでした。
その後、いつものE石油で給油した後、予定にはなかったのですが、急遽、ご希望により和太鼓公演!大変喜んでくださいました。涙をこらえながら「この周りでも数え切れないぐらいたくさんの人々が流れている。彼らの霊魂に届いたと思うよ。霊が慰められたと思うよ。僕はそれがうれしい。」と語ってくださいました。演奏中に何台かの車が止まって聞いてくださいました。
日は既に暮れたのですが、いつも挨拶回りしているE高齢者のグループホームと、F保育所訪問し、その後いつもお世話になっているGさんと夕食を共にしながら交わりのひととき。彼が、どれほど大槌町を無条件の愛で愛し続けているのかを改めて知ると共に、なぜそのようにできるのか原点の話や、今後のビジョン、課題など熱く分かち合ってくださいました。なるほど、人には歴史あり。苦難を超えた人だからにじみ出る優しさに今日もふれることができました。
20時過ぎに宿に着き、明日に備えました。
10月23日(火) 雨のちくもり
6時半に起床し、7時半出発。朝食は車中。
小雨の中、今日も漁港へ。海鳥が大量に市場周辺にいてビックリ!漁港の方にお話を伺うと、毎日朝の4時に船が出て、6時過ぎに船が戻って来て、7時~セリとのことでした。堤防は崩れたままです。
9時半にH高齢者施設に到着。10:30~の和太鼓1時間公演に向けて準備。職員の家族や、近くの保育所のお友達も含め、100名以上の方が集まってくれました。車椅子で会場に入るなり「す~さん☆私す~さん、知ってるよ。背の高い人、す~さんでしょ?」」と言いながら、手を振ってくださる年配の女性の方がおり、本人だけでなく、隊員全員が感動しました。確かに、三宝会のメンバーの一人は「す~さん」です。
大きなホールに入りきらずに、廊下で見学してくださる方もたくさんおられました。保育園の子供達も、施設の利用者さん達も、大喜びです。
公演後は、なんとこの日は「秋の味覚祭」の日でしたので、職員達による「100人分の大鍋での芋の子汁」や、「ぷりぷりのさんまの炭焼き」、「塩加減抜群のおいしい栗ご飯」、「とろけるようなおいし~い柿」をごちそうになりました。
13時にはIさん宅へ。昨日Gさんから「釣りたての天然の大槌の鮎をごちそうするから」ということで、声をかけて頂いていたので、約束通り訪問。これまたおいし~い天然の鮎でした☆子持ちで大きなおいし~い鮎でした。その後、わずかな時間でも良き時を共に過ごせました。仮設のおばあちゃん達が作っている商品をお持ちでしたので見せて頂きました。
13時10分にJ商店街に到着。アガペーCGNでイベントをするのは初めての場所です。初期の頃から関わりのある地元の方から「商店街の活気付けのために是非来てほしい」との依頼を受け、今回14時半~1時間公演を行いました。お店の方や、近所の方だけでなく、太鼓の音は遠くまで聞こえるようで数キロ離れた団地の方や、仮設住宅の方々が次々と駆けつけてくださいました。
公演終了後、着替えを終えて、片づけをしている最中に、「今太鼓の音が聞こえたので、来てみたのですが、もう終わりですか?」と質問。確かに数キロ離れた家まで聞こえていたようです。娘さんとお母さんがせっかく駆けつけてくださいましたので、J商店街では2回公演をしました。時計を見ると16時半でした。
その後、毎回のように訪問するK幼稚園、L幼稚園を訪問。とても喜んでくださいました。その後、お弁当屋さんに挨拶をし、夕食タイム。
20時過ぎに宿に着き、明日に備えました。
10月24日(水) 晴れ
アガペーCGNを代表して一人が、先月復興した漁港の水揚げを見るために4時に起床、4時半に宿を出発し、大槌町の漁港に向かいました。3日連続の漁港訪問です。それほど、本当に嬉しかったのです。5時半ごろ到着出来ました。すごく晴れているのに風が強いために寒かったです。船が戻ってくる間での間、たまたま漁師さんがお一人残っておられたので、いろいろとお話をさせて頂きました。
6時半から7時半の間に定置網漁に出て行った船が3隻戻ってきました。震災の影響で、漁港が地盤沈下し、網も、船もなくなり・・・1年半経ってからようやくの水揚げ☆対岸には水産加工場も少しずつ再開していました。
地元の方から苦労話や、嘆き、喜びをほんの少しでも共有させて頂いた者として感無量でした。特に、3隻目には、大量の大きな鮭がのっており、漁師さん達も歌を歌いながらリズミカルに魚を船から次々とおろしていました。最後に、漁師さんが「これケロ」と新鮮なイカを手渡ししてくださいました・・・何度もおっしゃるので「食べる」と、海水洗浄のためか塩加減も抜群で今まで食べたイカの中で一番おいしかったです!しかも、「え~さ、け~ってけろ(家に帰って食べて)」とイカをたくさん頂きました。それを見た方が「これもケロ(食え)」とたくさんの小アジと氷を下さいました。思ったよりたくさんの魚が船から市場に運ばれてきましたが、漁師さん達は「全然ダメだよ。漁が再開できたのは本当にありがたいけど、魚が少ない。全然だ。こんなんじゃなかったんだよ。もっとたくさんとれたのに・・・。でも、ほんとに皆さん方には感謝しています。また見に来てください。」とのことでした。
7時からセリが始まりました。「鮭」「ソッコ(大きくなるとぶり)」「マンボーの胃と腸」「イカ」「ヒラメ」「あじ」などの水揚げされたたくさんの魚が3回のセリであっという間に終わりました。
その後、いつものガソリンスタンドで給油して大船渡市の宿に戻り、他の隊員たちと合流し、9時30分には、次なる訪問場所に向かいました。
今日は岩手県大船渡市から宮城県岩沼市までの移動です。途中、陸前高田キリスト教会に立ち寄りましたが、予約なしだったために先生ご夫妻は御留守でした。教会の眼下には被害の大きかった地域が一面に広がっていますが、何もなくなってしまったかのような土地からきれいなコスモスが可憐に咲いていました。一件一件訪問して声をかけると、「また会えたね☆元気?私もようやく野菜を作る気になりました。元気になってきました。」とおっしゃる方もおられました。みなさんとの再会を喜ぶと共に、近所の方達の許可を得て、海に向かって鎮魂の思いを込めて、Mさんの駐車場で演奏させて頂きました。教会の周辺だけが少し小高くなっており、奥まっているために津波から守られたのですが、その分、以前とはうって変わって昼でも夜でも人も車も滅多に通らない寂しい地域になっているようです。10軒ほどの住宅がありますが、その時に家におられた方々がたぶん全員出てきて聞いてくださいました。
演奏中になんと、森田先生ご夫妻が戻って来てくださり、30分の演奏終了後一緒に食事をしました。朝の漁で頂いた小アジをお土産に渡し、みんなでイカを食べました。おいしかったです!
その後、気仙沼市のNさんを訪問。アガペーCGNはNさん宅の「泥だし」「洗浄」「工事」「大工仕事」をさせて頂きました。その後も、Nさんとは、継続的にお互いに声を掛け合っていますが、数ヶ月の訪問を大変喜んでくださいました。『いつも地域のために身を粉にして仕えてくださっているIさんのためにだけでも和太鼓を演奏したい』旨を伝えましたら、「是非近くの公園で演奏してください」とのことで、急遽野外公演となりました。近所の方も集まってくださり、道行く人たちも足を止めて聞いて下さいました。Nさんたちは大変喜んでくださいました。その後、お茶のひとときを持ち、近況を分かち合いました。確実に復興に向かっている姿、様々な地域からの支援を目の当たりにして感動しました。
一路、宮城県岩沼市へ。到着して公演の準備ができた頃にちょうど、芋煮会スタート。宮城風芋煮と山形風芋煮を大鍋で100人分作ってくださいました。今回は「朝取り市場お披露目会」ということで、震災で、田畑には海水が入り、そのままでは再び農家をすることが難しく、農産物を販売する市場も流されたこの地域に、昨年6月からWH教団がEM散布のボランティアを続け、地元の方々と一緒に市場を手作りで建築し、その市場のお披露目の日でした。農家の関係者や、ボランティアに携わった方もあちこちから駆けつけてくださり、100名ほどが集まりました。
今回はWH教団とのコラボということもあり、久しぶりの再会もあり、感謝でした。公演後、多くの人たちから「また来てね」と握手を求められ、「米を持て帰ってほしい」と30kgの米俵を頂くという場面もありました。
公演終了後、地域の公民館で宿泊させて頂きました。
10月25日(木) 晴れ
岩沼市のO仮設住宅で和太鼓の公演です。この地域の仮設を担当されている方々から「こんなに多くの人が集まったことはない。みなさん和太鼓好きなのですね。」と言われました。10時~1時間公演でしたが、9時に到着したときには既に楽しみに待ちかまえておられる年配の女性達に「楽しみにしていますよ」とお出迎えされてビックリしました。本番の15分前から呼び太鼓でアガペーCGNの隊員が音を出すと、次から次に人が出てくるではありませんか。ほとんどの方が、初めて太鼓の演奏を見るお方でしたが、拍手のポイントが良くお分かりで、「がんばれ~」と声援も飛び交っていました。アンコールも2回ありました。150人程の方が見に来てくださいました。
演奏後は、二重の大きな円になって、「宮城風芋煮」と「山形風芋煮」を食べながら分かち合いの時となりました。中には、昔の知り合いに出会い、「あなたどこに住んでるの?」「え~?!」「知らなかったわ!近くの仮設どうしだったのね。全く知らなかった。」「うれしい。一人になったと思っていたけど、近くにいたのね☆これからは寂しくないかも。今日は会えて良かった!」という会話もチラホラ聞かれ、驚きました。イベントなどがあると、お互いに積極的に外に出ようとする人が多いようです。約200人分の食事はあっという間になくなり、スタッフ達の分は一食も残りませんでした。感謝!
着替えをすませ、荷積みを終えようとしたときに、5歳ぐらいの子がお母さんと一緒に「え~間に合わなかった???楽しみにしてたけど、幼稚園の迎えにいてたら今になったんだけど・・・。」と、すごく悲しそうな顔でおっしゃるので、地域の世話係の人に確認をとってから、笑顔で「じゃ、やりましょう☆」と快く荷物を車から降ろして、2部公演を開始。「さっき外出していて見れなかったのよ」「あら、もう一回演奏してくれるのね☆」と、次々と人が出てくる人たちがおり、「さっきは芋煮の準備をしていたから見れなかったけど、こんなに近くで見れるなんてうれしい☆」と喜ぶスタッフがおり、それぞれに恵みの時であったようです。
昼食を食べ、350Kmの道のりを走行し、19時ごろに東京に到着。
そういえば、ある年配のご婦人が「私らはボランティアが来たら、元気がなくても元気な顔を見せています。そしたら、ボランティアの人は私らの顔を見て元気になる。そして、ボランティアの人の元気を私たちがもらう。お互いに元気を与え合っているのよ。」とおっしゃっていました。『貴重な生の声だなあ』と思いました。
お祈りありがとうございました!
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