2013年12月17日

第50次:2013年11月11日(月)~14日(木) 岩手県大槌町


今回は、事前に万が一のためにとスタッドレスタイヤに交換したことが幸いでした。まだ冬に入らない11月ですが、雪道を走る事になり、結果的に非常に助かりました。この度のボランティアでは、5人で二カ所の宿泊所の大掃除と畑仕事のお手伝い、そしてたくさんの交わりの時を持たせて頂きました。


11月11日(月)

スタッフの方々の温かい笑顔と祈りに見送られ、午前10時過ぎに東京を出発。出発日の東京は寒い朝でしたが、北上する毎に寒さも増して参りました。幸い、岩手県に入るまでは天候に恵まれ、渋滞や事故にあうこともなく、ただいつものペースよりもゆっくりと高速道路を走り抜けました。午後4時過ぎから、次第に辺りは暗くなり始め、同時に雨が降ってきました。そして、雨は雪へと変わって行きました。タイヤを冬タイヤに交換していた事が神様の導きであったことを皆で感謝いたしました。


-7℃の雪の世界!


釜石の道路が通れないということで、東和で高速道路を降り遠野市で夕食をとりました。その時点で気温は既に5℃でした。到着が遅れる旨を今回お世話になるY商店に電話をすると「夕食用意してあるよー、食べたの?」と言われ、笑い飛ばされてしまいました。まだ6時を過ぎたばかりだというのに、辺りの暗さと寒さで目的地までどのくらいかかるのか計算が出来ませんでした。峠の道にさしかかると-7℃と表示されていました。どのくらい寒いのか車を降りて肌で体感してみました。期待していたよりも寒くなかったです。普段ならたくさんの車と行き交う道ですが、一時間以上走っても対向車は5台くらいでした。午後8時半過ぎに無事に大槌町に到着しました。今回の宿泊所はY商店の二階ではなく、元Y商店でした。今までは、入れ替わり立ち代わり、復興工事のために来られた作業現場のおじちゃんがたくさん宿泊していた場所でしたが、最近ではすっかり少なくなったのだそうです。そして、私たちが宿泊していた週は私たちの他には誰もいませんでした。無事に着いた感謝を皆でささげ、部屋に積まれているたくさんの布団をそれぞれ敷き、寒さ対策をして眠りにつきました。




11月12日(火)

翌朝、起きてみると空気が澄んでおり爽やかでした。朝の祈りを終え、身支度を整えて、朝ごはんを頂きにY商店へ向かいました。昨晩頂けなかったお料理がテーブルいっぱいに並んでいました。先月からYさんの息子さんが東京から戻ってきてお店のお手伝いをされていました。縁の下の力持ちとしてお母さんのYさんを助けておられる姿は麗しかったです。

元Y商店街
現Y商店街

7時半の朝ごはんの後は、いよいよ活動開始です。今回依頼を受けている仕事の一つは、『大掃除』でした。Y商店の持ち家である隣の家と私たちが宿泊している元Y商店の掃除を頼まれました。古い木造の家でしたが、震災の際に、一階部分に水がかなりの高さまで入ったようでリフォームがされており、新築の家のようでした。しかし、二階部分は、かなり古く、窓のサンには土と埃がたまっていましたので、掃除のし甲斐がありました。それぞれが分担された場所を一生懸命に綺麗にしました。さながらお掃除のプロのようです。カーテンを洗うと家中に洗剤の良い香りが漂いました。10時になると息子さんがお茶とお菓子を差し入れて下さいました。

震災時に火事になった森
掃除した家

掃除をしながら思ったことは、「家も人が住まないとただ廃墟と化していくのだな」ということです。家具も食器もベッドもあるのに、人が住んでいないというだけで家中が、ただ埃くさく温かみが全くありません。私たちはお掃除を始めるために、外は寒かったのですが窓を開け、空気の入れ替えをし、まず家全体の埃を除去して行きました。その間にカーテンの洗濯もしました。洗濯の良い香りがすると、あっという間に家に生気がみなぎってきました。まるで家も喜んでいるかのようです。一足早い「年末大掃除隊」が出動したようでした。窓を開けてお掃除をしたので、常に動いていないと足元から冷えてしまいます。しかし、私たちは必死になっておしゃべりもせずに、ただ黙々とお掃除をしていました。その姿に、Yさんが電気ヒーターを持って来られ、「休み休みしながらでいいよ。」と声をかけて下さいました。私たちとしては、活動時間が限られているため一分一秒でももったいないという気持ちでした。12時きっかりに用意して下さったお昼ご飯を頂き、午後は次のミッション地であるKさんの畑へと向かいました。





午後1時半にKさんの畑に行きました。前回の開墾の畑仕事がハードでしたので、今回もある程度の覚悟を決めて参りました。すると、その日の作業は“花桃の支えの杭を立てる”という事のみでした!畑仕事というよりは、大工仕事でした。しかし、侮ってはいけないのは日が沈む速さです。前回と違うのは、午後4時を過ぎると外が暗くなり始めるということでした。説明とレクチャーを受けた後に、男子が杭を立て釘を打ち、女子が花桃と杭をひもで結んで行きました。あれよあれよという間に仕事が進み、杭が足りなくなるほどでした。

畑の鹿の足跡!





杭を立て、花桃の支えを作る作業は「支え合って生きる人間」を表わしているかのようでした。確かに人は一人では生きて行けません。しかし、助けが必要でも声をあげることが出来ない多くの方々がまだまだここ東北にはいらっしゃるのかもしれません。大工作業をしながら一人一人が祈りつつ、丁寧に作業を進めていきました。ふと周りを見渡すと、看板がところどころに立っています。今まで作業をした団体の名前が書かれています。アガペーCGNだけがこの畑で作業しているのはなく、他の各地からのボランティアの手を通してこの畑が開墾され、実りが与えられているのだと改めて思いました。各地のボランティアと支え合いながら、お互い助け合う一端を担わせて頂いているのだと感謝の気持ちでいっぱいになりました。この山の麓の開墾された畑が近い将来、「大きな希望の畑」となることでしょう。




杭を立て終わるとKさんよりここ何週間かにわたって起きたボランティアの無礼な態度の話を伺いました。県外から「ボランティアをさせてください」との依頼を受けたそうですが、話が二転三転し、受け入れは難しいと断ったにも関わらず、強引にお昼ご飯前に徒歩で来られ、結局はほとんど作業はしないまま、Kさんは車で町の中心部までの送り迎えを何往復もしなければならなかったという話でした。私たちは帰りの車の中でも話し合い、いろいろ考えさせられました。一体誰のための何の目的のボランティアなのか。被災地の方々がボランティアの受け入れのために、わざわざ気を使い、時間を使い、送り迎えまでお願いされるとは。そして、同時にアガペーCGNの働きが本当にKさんや関係者の方々にとって喜ばしいことなのかと思いました。結局は、何かをしてもらう以上に、「心と心が通い合う関係性が重要である」という結論に行き着きました。だからこそ、「続けて顔を見せて欲しい」とおっしゃるのでしょう。

宿に戻る前に、明日のお昼ご飯の買い物を済ませた後に、吉里吉里地区の仮設住宅を訪問しました。刺繍糸を届けましたが、ご本人とは会えませんでしたので、お手紙を書いて管理の方にお託ししました。後日、お礼の手紙がメンバーの一人に届き、非常に喜んでおられ、丁寧なお礼の言葉と共に、必要なところに刺繍糸を配ったという報告を受けました。お顔は拝見できませんでしたが、小さな交流が続いているしるしを見たことに感謝しました。

宿に戻ると夕食までに時間がありましたので、私たちは午前中のお掃除の続きをしました。特に二階部分のリフォームされていない窓と窓枠を中心に綺麗に泥と汚れを落としていきました。窓が綺麗になると壁の汚れが気になり、壁をごしごしとこすると白い壁が出て来るではありませんか。私たちは、「ご飯ですよー」と声をかけられるまで、寒さも気にせず、雑巾を片手にひたすら掃除に専念しました。







ものすごい勢いで掃除をしましたので、出された夕食の多さにひるむことなく、箸が進みました。お酒を飲まないことを知っているYさんは、夕食後に温かいミルクを出してくれました。「そのミルクを甘くして飲むのよ。」と言われた通りに、Yさんの手作りブルーベリージャムを入れて飲むと、疲れが飛んでいきました。次はYさんのお話を伺う時間になりました。Yさんがおっしゃるには、「震災の関連死」が増えているのだそうです。Yさんの知り合いに、震災の時に家族を助けずに自分だけ生き延びてしまった罪責感の上に、親戚からも咎められて、いたたまれずに死を選んだというお話を伺いました。そのような方々が周りに何名もいるのだそうです。お話を伺い、相づちすら打てず、ただ言葉を失いました。せっかく生かされた命ですが、生き残った辛さと悲しさ、罪責感の故に死を選ばなければならない方々がこの町にもいるのかと思うと、そのような方々に届いて行かなければと思わされたことです。Yさんのように明るく前向きな方々は、誰をも責めずに、自分の置かれた場所で花を咲かせる術を知っておられます。しかし、そうではない方々も多く存在することを忘れてはいけません。夜のお祈りでは、一日の感謝と共に、今日伺った方々のことを覚えてみんなで心を合わせて祈りました。






11月13日(水)

朝目覚めると、外の寒さが肌をさすような痛さでした。外に駐車した車のフロントガラスが凍ってしまって前が全く見えません。「すりガラス」のようです。朝のお祈り後、愛情たっぷりの朝食を頂き、Yさん親子に送り出されて出発しました。その頃には、フロントガラスの氷も溶けていました。



少し時間があったので、前回掃除をした川を見学に行きました。夏ほどは草は生えていませんでしたが、その後誰も手入れしていない様子が伺えました。加えて、川へ通じる入り口が金網で封鎖されており、許可なしには立ち入り禁止になっていました。以前のように容易に出入り出来なくなっていたのが残念でした。しかし、一つグッドニュースを聞いていました。川へ通じる道は封鎖されましたが、実はYさんの新しい家(よりみち)がオープンすることになったというのです。新しい家はログハウスで、川とY商店を結ぶ道の途中にあり、完成間近でした。震災後にある方が、Yさんに「ログハウスの材料を一式プレゼントしたい」と申し出て下さったのだそうです。Yさんは、そのログハウスは与えられた物なので、決して自分のためにではなく、多くの方々に使ってもらいたいと思われました。




そして、そのログハウスに「よりみち」と名付けられました。Yさん曰く、「よ」は「寄り添い合い、話し合うところ」、「り」は「理想てきな場所、理解し合う場所」、「み」は「みんなが集う場所、みんなでサークルできる所」「ち」は「誓いの場(またここで会う約束)、地域密着の場」だそうです。Yさんらしい発想です。11月22(金)11:00に開所式をされたようです。お世話になったので開所式にあわせてお花を送り、すごく喜ばれました。



その後、私たちはKさんの畑に向かいました。すでにKさんのお友達のYさんが到着して私たちを笑顔で迎えて下さいました。大分、太陽も照っていましたが、桶の水はまだ凍ったままでした。Kさんを待っている間に、今日の作業内容をYさんに聞くと、「今日はトラクターなど新しい機械が入る」とのこと。新しい機械を共同で使用するという他の幾人かの方々も作業に参加して下さいました。そして、Kさんが到着すると、男子はすぐにテントを建てる作業に入りました。女子2人はお昼ご飯の準備です。「せんべい汁」を作って欲しいとのことで、レシピをKさんから伺いました。しかし、カセットコンロの火が弱く、なかなか水がお湯になりません。やっと「せんべい汁」が完成したときにはお昼時間になっていました。





テントが完成すると、男性チームは畑の周りの柵と網の補修をしていました。お昼近くになると、新しい耕運機と別の機械が到着しました。男性チームは、取扱いの説明を熱心に聞いていました。Kさんはこれさえあれば、畑の仕事が進むと大喜びでした。個人では購入は難しいけど、共同で使用するために町が援助してくれるのだそうです。お昼ご飯はテントの下で「青空ランチ」でした。Aさんが川で釣った魚を真空パックにして持参して下さいました。「せんべい汁」は青森の伝統料理ですが、お鍋用にうすいせんべいをKさんがお友だちの方から頂いたそうです。そのせんべいが、東北の美味しく甘い醤油とお肉と根野菜とよく合うのです。焼きたての魚の焦げ付き具合も完璧でした。みんなで「おいしい、おいしい」と舌鼓を打ちながら大きなお鍋の「せんべい汁」がみるみるうちに私たちのお腹に移動して行きました。




午後は女性チームは、お昼ご飯の片づけをした後に車で訪問に出かけました。いつもお会いしている方々にご挨拶と、前回のチームが撮った写真を届けて参りました。Sさんが笑顔で迎えてくださいました。そして私たちは、一組のお年を召したカップルと、若いお母さんと赤ちゃんに写真とお土産を届けに参りました。すると、黄色のアガペーCGNのジャケットを見た別のもう一人のおばあちゃんが「アガペーさんの写真を前に撮ったから持ってけ!」と大切そうに封筒を持ってきて下さいました。見ると、和太鼓の方々が写っていました。和太鼓のチームが一番のお気に入りのようです。「また来てけれー!楽しみにしているから」と言われました。仮設住宅の方々の日常にポンと登場する私たちですが、毎回伺う中に、ある種の信頼関係が生まれていることは確かです。いつか許されるならば、もっとたくさんのお話を伺いたいと思わされました。

畑に戻ると、テントが飛ばないようにずた袋に畑の土を入れた手作りの重りをかけているところでした。皆さん、てきぱきと楽しそうに用意していました。そのテントはその週末に来る団体のボランティアさんの休憩場となるということでした。今回の畑作業はあっけなく終了してしまいました。畑では、「働いた」というよりも、「半日を一緒に過ごした」と言った方が適切かもしれません。


Y商店に戻ると、昨日のお掃除の続きです。二階にはたくさんの窓があり、その分だけ時間がかかりました。掃除している最中に網戸が落ちてしまったり、一度外した網戸がはまらなかったり、窓が開かなかったりとハプニングもありましたが、とうとう一軒の家がピカピカになったのでした。最後に洗濯して綺麗になったカーテンを取り付けて終了しました。この家は次の週にくる団体が宿泊の予定だそうです。力になれて嬉しかったです。



Y商店に戻るとすでに美味しい夕食が用意されていました。私たちがお祈りして食べ始めると、お祈りが終わったのを見計らって、Yさんの息子さんも同じテーブルで夕食を召しあがります。さすがに三日目になると会話も弾んできました。ご両親想いのすてきな息子さんの支えが、Yさんの力になっているのだと思います。Yさんが「最近ボランティアが少なくなってしまって、寂しくてねー。あなたたちが来る前まで寝込んでいたけど、泊まりに来てくれたことですっかり元気になったよ。話を聞いてくれてありがとう。」泊まって、話を聞くことが、こんなに喜ばれるなんて思ってもいませんでした。たくさん掃除をしたり、お手伝いをすること以上に、「共にいる、生きる」ことが大切なんだよと言われた気がしました。そんなお母さんのために、息子さんは東京での仕事を辞めて故郷の町にお母さんと生きる決心をしたのだと思います。この日の夕食後は、手作りの濃いホットぶどうジュースを頂きました。ワインからアルコールを抜いた感じという表現がぴったりです。この夜もYさん親子と共に団らんのひと時を頂きました。ひたすらYさんのお話を聞きました。Yさんにとっては、お金儲けの商売ではなく、人と人とが触れ合う場、交流する場がY商店なようです。その証拠に、震災の時はお店のものを多くの方々に配って歩いたそうです。クリスチャン顔負けのYさんにいつも感動させられます。Yさんが喜ぶ顔が見たいがゆえに私たちも頑張れるのです。Yさんが帰り際に「ストーブの灯油は足りてる?」と聞かれ、「はい、大丈夫です」とその時は答えましたが、その時は後でどんなに寒い思いをするか誰も知る術無しでした。



宿に戻ると、一日の感謝の祈りと分ち合いをし、女性二人は二階の掃除機かけをしました。明日の掃除が少しでもスムーズに進むためです。さてひと段落したというところで、「カチッ」と音がしました。な、なんとストーブの灯油が切れた音でした。この寒さの中で誰が一晩耐えられるでしょうか。もう笑うしかありませんでした。笑っても仕方ないので私たちは順番に明日、Yさん親子に渡すお礼のカードを書きました。寒い中でしたが、不思議に心はぽかぽかし一晩守られて感謝でした。



11月14日(木)

あっという間に四日目を迎えました。東京に帰る日ですが、その前に大切なミッションがあります。今回の私たちの宿舎である、Yさんの元家のお掃除です。朝のデボーションをして、朝食へ向かいました。朝食を終えて、Yさん親子に感謝のカードと感謝献金を渡そうとしましたが、お金が入っていると察したのか受け取ろうとされません。「お手紙を書いたので後で読んで下さいね。」と説得して、「後でまた挨拶に参ります。」とお伝えして、宿に戻りました。

さて、宿の大掃除開始です!男子が二階の雑巾かけと棚拭きとお風呂場と玄関、そしてトイレの掃除を担当し、女子が台所を含む一階の残り部分全体を担当しました。時間が限られている中、私たちは働き蜂のように素早くちょこまかと動き回りました。少しでも出発が遅れると帰京の時間が遅れます。一分一秒の争いでした。Yさんは、お一人でお店と、車椅子のご主人のお世話と他の二軒の家の管理は容易ではないはずです。たくさんの布団や毛布も大量にありますから、布団を干したり、シーツを洗濯するのも一日では終わらないと思います。そんなYさんの助けになるように、気が付くところは全て綺麗にしてまわりました。特に二階部分は手作りの大きな木のベッドが上下にありますので、30人以上が一度に宿泊できそうです。元お店部分の一階のスペースには、各地から送られてきた布団が圧縮されて積まれておりました。ここまでくると、宿泊の管理のボランティアが専任で必要かもしれません。




O幼稚園にも最後の挨拶に参りました。中学生たちが幼稚園児を訪問し、一緒に遊んであげており、ちょうど中学生が帰る時間でした。同じ町の子どもたちがこのように交流している姿は麗しいものです。彼らがこの町の将来を担っていくことでしょうから。


そして、徒歩でY商店に行きました。こちらにも最後の挨拶をするためです。行くと、Yさんは段ボールに私たち5人分のお昼のお弁当と飲み物を用意していて下さり、愛情がいっぱい詰まったお弁当を感謝して頂きました。従業員の方々も一緒に記念撮影をしてY商店を後にしました。A石油でガソリンを満タンにし、大槌町をぐるっとひと巡りして、一路東京へ向かいました。鮭が川にいるということを聞いたのでその川も見て来ました。確かに鮭がたくさんいました。年を追う毎に、たくさんの鮭が大槌に戻ってくることはみんなの願いだと思います。


時間はすでに12時をまわっていました!のんびりしている暇はありませんでした。運転手以外は車中でのランチタイムとなりました。頂いた段ボールを開いてびっくり!中には、お弁当や手紙などが入っていました。申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、Yさんの温かい気持ちを感謝して受け取ることとしました。外は寒かったですが、おにぎり弁当はまだ温かく私たちの心までほんわかにしてくれました。出発の時間が遅くなったので、気持ちは焦り気味でしたが、順調に車は流れており、午後八時には無事に教会に到着致しました。

震災がなければ出会わなかった人々との四日間の触れ合いは、一人一人の心に確かに何かを刻んだはずです。送り出してくださった皆様のお祈りと支援に心から感謝いたします。


※第51次は12月9日(月)~12日(木)、岩手県大槌町内の仮設住宅や施設でクリスマスコンサートを行わせて頂きました。素晴らしい出会いもありました。詳しくは後日このブログにてアップします。しばらくお待ちください。

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