物資の積み込み作業と、人力でのガソリン給油

灯油、米、水、お菓子、カイロ、防寒着、タオルなどの物資を積み込んでいる様子です(左)。被災地ではガソリンスタンドは津波で流されていましたが、地下にあるガソリンタンクは無事で、人力でガソリンを支給しました(右)。

被災地の小学校でのコンサート

岩手県のA小学校でのコンサートの様子です。1年生が特にノリノリでした。演奏に合わせて、全身でトトロの「さんぽ」などを歌ってくれました。

泥だし作業

海から2Kmぐらいの場所にあった事務所も、1.5m床上浸水の被害に遭っていました。次の日に海水は引きましたが、3cmの泥がたまっており、そのこびりついた泥を掃除している様子です。

岩手県での炊き出し

岩手県大槌町で行った炊き出しの下ごしらえをしている様子です。250人分の食事を用意することは相当な力仕事でした(左)。右の写真は、岩手県陸前高田市での地域の人々との昼食会(炊き出し)です。

被災した家の修理と、一軒一軒回っての物資支給

地震でかみ合わせが悪くなり開閉できなくなってしまったAさん宅の扉を、修理している様子です(左)。被災地の一軒一軒に声をかけて、物資を届けました(右)。

2012年5月26日

第32次:5月16日(水)~19日(土) 岩手県大槌町


今回は4日間でした。1日目と4日目はおもに移動日。2日目は、大槌町内に拠点を置いて大槌社協からの仕事を請け負っているカトリックの支援団体のベースに宿泊させていただき、「社協から請け負っている仕事のお手伝い」と「前回のニーズ調査で頼まれた現地では手に入らない物資などを各学校、地域に配達」させて頂きました。3日目には、大槌社協のボランティアに登録し、大槌の地域の方々と一緒に復興に向けて活動をさせて頂きました。

2012年5月2日

第31次:4月23日(月)~26日(木) 岩手県大槌町、陸前高田市、宮城県岩沼市



今回のミッションは主に三つでした。

第一に、「地域、人々のために率先して仕えてくださっている地元の人たちへの物心両面の援助」です。私たちは、いつも現地にいるわけではありませんので、継続して支援してくださる地元の方々へのサポートと交わりをわずかではありますが大切にさせていただいております。キリスト教会のある地域では各教会に物資などを届けますが、教会のない地域には、学校・幼稚園・保育所・老人ホームなどの各施設や、各地域のキーパーソンに託します。

第二に「ニーズ調査」です。今回は、宮城県と岩手県の一部を訪問しましたが、路上のがれきはほぼきれいに取り除かれております。震災後、大きな穴が空いていた道路も、一部を除いてきちんと埋めてあり、運転しやすかったです。被害が大きく、一件の商店もなくなってしまったような地域にも、あちこちに商店やスーパー、ショッピングセンターが開店しており大変うれしかったです。震災後1年を経過し、目に見える復興は進んでいる部分も多いですが、一方で、ようやくココロに痛みや悲しみを感じられるようになってきた方もたくさんおられます。「ココロが震災以来止まったままの方」「震災前に住んでいた家の様子が鮮明に見えているのに、それが幻覚だったことに気づいたときの何とも言えないむなしさを感じておられる方」「震災で家が残った方は、家の中は以前と何も変わっていないのに、一歩外に出たときに目のあたりにする廃墟と化した自分の町に絶望し、すっかりひきこもりになってしまっておられる方」「震災後は大丈夫だったのに、一年を過ぎてからココロをコントロールできなくなっておられるたくさんの方」・・・。一人一人に歴史があり、震災の傷があり、各々がそれぞれに自分にしかわからない痛み方で痛み苦しんでおられます。表面上は、明るく振る舞って地域のために喜んで仕えておられる方も何度か涙ながらに語ってくださった言葉が忘れられません・・・「震災でみんながバラバラになり、町がぐちゃぐちゃになり・・・悲しいです。情けないです。このままではこの町はダメになってしまいます。僕はこの町を愛しています。助けてください。」・・・この方は、震災後8ヶ月ほどは横になっても毎日4時間ほどしか寝ることができず、涙もほとんど出てこなかったのに、11月頃からようやく8時間ほどの睡眠がとれるようになり、悲しさもむなしさも感じるようになって涙もでるようになったようです。多くの方が「心のケア」を必要としています。そして、多くの方々がおっしゃるのは「僕たちのことを忘れないでほしい」「一緒に居てほしい」ということでした。そういうこともあり、リピーターで同じ顔を見せるだけでもすごく喜ばれ、心が癒されるようです。また、地域によっては漁業などの産業の復興の問題も次なる大切なステップとして取り上げられています。

第三に「拠点の引っ越し」です。震災直後は、宮城県塩竃市に拠点を構えていましたが、その後は気仙沼市に、そして昨年の五月からは岩手県大槌町、陸前高田市などに力を入れるために岩手県の一関市に拠点を移動してきました。昨年の冬ぐらいからようやく岩手県沿岸部の不動産や宿が動いてきたので、一関市の拠点を解約することになりました。転居に際して、荷物の整理、配布、必要な地域に必要な物の郵送作業を行いました。


4月23日(月)

朝8時40分にハイエース(商用車)に白いポリタンクを車にぎっちりに積めて出発。

14時30分にWH教団が行っている宮城県岩沼市のEM散布ボランティアの拠点に到着し、東京から荷積みした50個以上のポリタンクを全て提供し、しばし、交わりの時を持ちました。



四月から常駐のスタッフがEMの作り方の簡単な説明や保管についてなどを説明してくれました。
頼もしい青年でした。





軒下などはこのようにしてEMを散布します。

17時に一関の拠点に到着。

夕食後すぐにツナ缶の整理。三人で全力で三時間の仕事量でした・・・。クタクタになりましたが、ココロは穏やかです。後ろにあるのは、頼まれていたポリタンクです。



22時半 消灯


4月24日(火)

6時      起床
6時半     お祈り、食事
7時      後ろも見えないほど荷積み


8時      出発



黒い袋・・・堤防ができるまでの今できる対策でしょう


11時頃    大槌町に到着   約20ヶ所の訪問

震災以来今までに継続して関係を持ってきた地域や施設の人々との再会を喜び合い、お話を伺いました。

多くの地域では、「ワカメ」や「漁」や「加工会社」の復興が少しずつ進んでいますが、大槌町はまだまだ多くの痛みをかかえておられるようです。震災以前からの「漁業の高齢化」に加え、「未だに網がない」「未だに船がない」「ワカメをつくっても洗浄する機械などがないので、商品にできない」「網や船をなんとかして用意したが、船着き場(港)がない」「保管する冷蔵庫が全て流された」「震災後大槌町ではなかなか漁業・加工会社の復興が進まないために、他の地域に就職してしまった」・・・人々の悲しみは想像以上に大きかったです。そのような中でも、本当にお互いに今の精一杯を捧げ、知恵を出し合って今新しい一歩を踏み出しておられるようです。私たちに大きなことはできませんが、祈りつつ、見守り続けていきたいです。

新しい出会いもいくつかありましたが、特に印象に残ったのはAさんとのやりとりです。いつも情報交換を良くしている友人と昼食を食べに行く途中に、Aさんとの出会いがありました。友人がAさんのことを「僕の後輩だけど、釣りの先生☆良い人だよ☆釣りがすごく上手なんだよ☆」と紹介してくれました。Aさんもそのように紹介されてニコニコとすごくうれしそうだったので、私はAさんに「釣りですか。良いですね☆楽しそうですね。今度私も釣りに連れて行ってくださいよ」とすごく自然に声をかけたところ、彼の顔は一瞬にして曇り静かに「そういえば震災以来海に出たこと一度もないなあ。まだ、海に出たいとは思えない。それにまだまだそんな時間も心のゆとりもないよ。それより、歯の治療をしなきゃ。歯医者もなかったし、忙しかったからまだ治療できてないんだ」との返答でした・・・。私は、瞬時に『しまった』と反省しましたが、後悔あとにたたず・・・すぐに謝りましたがそれ以上なんと言えばいいのかわからず、お互いしばらく沈黙が続きました。

昨年関わりのあった全ての学校にも挨拶に行かせていただきましたが、先生方の多くが転勤されていたのでびっくりしました。

また、地元の方からの話によると土地の価格が急上昇。岩地と砂地の土地は家を建てるのにふさわしくなく、津波の心配もないところとなると、家を建てたくとも土地がないとのことで、地元の方でさえ家を建てる土地の確保に苦労されています。





4月25日(水)

6時      起床
6時半     お祈り、食事
7時      宿を出発  
8時30分   大槌町に到着   約20ヶ所の訪問 

プレハブは丈夫ですが、フェンスや遊具などは強風で何十メートルも飛ぶようです・・・。3月末には大人4人で移動する「ダンボ」が強風で空を飛び、職員たちはびっくりしたとのことです・・・。



震災後1ヶ月程で元気になったと思われた子どもたちも、最近になって再び夜になると泣き出す子もいるようです。


仮設住宅の集会所では「雑巾作り」「カラオケの会」など様々な活動が日常的に行われている地域もあります。





桜が満開の時期でした。あるガソリンスタンドの方は「去年は桜がきれいだとは思わなかった。今年は、仮設住宅の近くに咲いている桜を見てたらきれいだなあ~と思って飾っているんです。少しは気持ちも和らぐかなと思って」とのことでした。「いつも来てくれてありがとうございます☆忘れないでいてくれてありがとうございます。」と心から声をかけてくださいました。



また、ある保育園を訪問した際に、今年度中には元の園舎の修理工事を完了し、来年度には本園舎に戻る予定であることを喜んで教えてくださいました。始めは『一度津波が来たところに再び戻るのは・・・』と躊躇されていましたが、ボランティアの方々が次々に来て泥出しをしてくださっている姿を見続ける中で『もう一度帰ろう』と思えるようになったようです。ほんの少しでしたが、そのことにも関わらせて頂いた恵みに感謝しました。

震災当初から関わりのあるBさんを訪問したところ再会を大変喜んでくださいました。交わりの後「釜石市の自宅まで帰りたい。良かったら途中まで車に乗せてほしい。」と声をかけてくださったので喜んで送迎させていただきました。ちょうど大槌町を出発してまさに、釜石経由で陸前高田市に向かう予定だったのでお互い絶妙のタイミングにびっくりしました。Bさんの希望によりご自宅で良き交わりの時を持たせていただきました。

その後、陸前高田キリスト教会で近所の方も交えて交わりの時を持たせていただきました。
小さな丘を越えて以前は子どもたちがたくさん遊びに来ていたのに、最近では全く子どもも山を越えて遊びに来なくなったようです・・・。


それでも、先生方は祈り続け、人々に仕え続けてくださっています。


4月26日(木)

6時   起床        6時半  お祈り、食事     7時15分   掃除と荷積み
10時20分に不動産の方と大家さんの立ち会いのもと、鍵の返却。
10時45分  次なるステップへ。新しい出発☆






17時     東京到着

第30次:4月16日(月)~19日(木) 大槌町


2012年4月16日(月)~19日(木)の期間アガペCGN第30次が救援隊として被災地に行って参りました。今回は熊本県天草から宣教師のご夫妻をお迎えして、総勢7名で向かいました。今回は幼稚園や老人ホーム等を訪問し、ウクレレの演奏やフラダンス、学校唱歌などを歌い、皆さんもご一緒に歌い、踊って楽しいひと時をお持ちいただくことが目的でした。宣教師ご夫妻は元々ハワイで生まれ、育ちましたので、ウクレレを持ってハワイアンミュージックを演奏することはもうすっかり板についたものでした。さらに、賛美フラをNさんが披露して下さいました。


4月16日(月)

この日は移動日でした。10時前に教会を出発し一路岩手県大船渡市へ。途中晩ご飯や2日目の朝食の買い出しなどをして、19時過ぎに宿泊所に到着しました。ここでは2泊しました。


4月17日(火)

6:30センターを出発。車内でディボーションや朝食を済ませ、大槌町にある幼稚園に向かいました。途中大槌町ボランティアセンターでボランティア登録を済ませる予定でしたが、予定の時間より早く到着したので、城山公園へ登りそこから町の様子を眺めました。A先生が後でこの景色を見て、イエス様がエルサレムを眺めた時に涙を流された思いと重なったとおっしゃっていたのが印象的でした。



ボランティア登録を済ませ一路幼稚園へ。園に着くと建物には一杯のこいのぼり。元気よく育っていく子どもたちの姿を映していました。そして中に入ると、元気いっぱいの子供たちが大きな声で挨拶をしてくれました。そして早速、A先生のリードとウクレレに合わせ、「春よ来い」やハワイの歌「レレオカラニ」をみんなで歌い演奏しました。また「結んで開いて」の英語版の歌など子供たちと一緒に体を動かしながら歌いました。Nさんのフラダンスでは「シューベルトの子守唄」を皆で歌い、それに合わせ素敵なダンスを披露して下さいました。時間はあっという間に過ぎ予定時間の30分となってしまいました。最後に子供たちからありがとうの大きな感謝状をいただきました。元気いっぱいの子供たちに感動させられるひと時でした。



次に向かった特別養護老人ホームでも多くの方々が迎えてくださいました。幼稚園同様、学校唱歌やハワイの歌を歌い、ダンスを披露しました。「もしもしカメよ」をウクレレに合わせて歌ったのですが、隊員達は2番までしか歌詞が分からず、一緒に歌って下さっていた二人のおばあちゃんが3番と4番の歌詞を歌って下さり、大変盛り上がりました。またここでは「ウキラオ」というハワイの踊りのついた歌を皆で歌い、踊りました。これは漁の歌で網を放ったり、引いたりする動作がとっても楽しい踊りで、沿岸地域にお住まいの方々にはとても共感していただけたのではないかと思います。フラダンスでは「主の愛が今」に合わせてNさんが踊って下さいました。フラダンスをはじめハワイの音楽はとてもゆっくりで穏やかで、お年を召した方々でも充分楽しんでいただけたのではないかと思いました。最後に新聖歌にもある「アロハオエ」という賛美を歌い、皆さんと握手をして別れました。


この日は救援隊でも度々お世話になっているY商店さんで昼食をとりました。とても美味しいお弁当でした。

続いてこの日の最後の訪問先、安渡分館へ行きました。ここには仮設住宅があり、そこの体育館で皆さんを招いて演奏させていただきました。ここでリーダーシップをとっているSさんにお会いし、3.11の時の各地域の映像をまとめたDVDを見せていただき、お話を伺いました。この時は丁度雨ということもありましたが、体育館には15名程の方が集まってくださいました。英語の歌で、皆で輪になって歌って踊りました。またY先生の「はくさい婦人」の絵本のお話やNさんの賛美フラ、最後にはアメージング・グレイスを皆で歌いました。来て下さった方でフラダンスを教えてほしかったというという声もあり、今度はフラダンス教室を開けたらなとこれからの奉仕のイメージが広がりました。


4月18日(水)

この日は午前中大槌町にある幼稚園に向かいました。震災当時、地震が起こり、津波が押し寄せる中なんとか子供たちだけは逃がさなくては、ただそれだけを思い裏山に逃げたというお話を伺いました。またこの幼稚園は子供たちが裸足で木のぬくもりを感じ、自然を感じながら育ってほしいという思いで建物や床は木造となっています。津波が押し寄せた際、まるでノアの箱舟のように園舎が波の上に浮き、殆ど損傷を受けずにまた地面にしっかり降りたそうです。神様のお守りだと説明して下さいました。園の創設者であるH先生のお父さんの祈りが聞かれたのでしょう。皆で主を崇めました。



ここの子供たちもとっても元気でした。A先生のウクレレと歌から始まり、いまや定番となった「レレオカラニ」や「ウキラオ」で子供たち皆と歌って踊りました。A先生がウクレレを見せて「これ何か分かる?」と聞いた際、皆が一斉に「ギター!」と答えてくれました。クスッと奉仕者全員の顔に笑みがこぼれました。Nさんのフラダンスがあり、最後にA先生ご夫妻が「アロハオエ」を歌って下さいました。演奏が終了すると、今度は子供たちが元気いっぱいに歌を歌ってくれました。子供たちのその元気に圧倒されてしまいました。感謝な時でした。


午後は大ヶ口のKさんを訪問しました。訪問したカフェには近所の方や仮設の方もいらっしゃり、震災当時のことをいろいろと聞かせて下さいました。またKさんはじめこれらの方々が物資等々どこかの地域に偏ることなく必要を覚える所に届けて下さったり、隅々まで気を配っている姿を見て、続けて共に活動させていただきたいと思わされました。神様の愛が被災地の方々に届くように、なおも用いていただきたいと思わされました。どの訪問先でも、「また来てね!」と言われ、小さくとも人々の心に寄り添う愛の奉仕の大切さを身にしみて感謝しました。


この日の夜に一関の拠点に向かい、次の日は拠点を掃除し東京へと向かいました。