物資の積み込み作業と、人力でのガソリン給油

灯油、米、水、お菓子、カイロ、防寒着、タオルなどの物資を積み込んでいる様子です(左)。被災地ではガソリンスタンドは津波で流されていましたが、地下にあるガソリンタンクは無事で、人力でガソリンを支給しました(右)。

被災地の小学校でのコンサート

岩手県のA小学校でのコンサートの様子です。1年生が特にノリノリでした。演奏に合わせて、全身でトトロの「さんぽ」などを歌ってくれました。

泥だし作業

海から2Kmぐらいの場所にあった事務所も、1.5m床上浸水の被害に遭っていました。次の日に海水は引きましたが、3cmの泥がたまっており、そのこびりついた泥を掃除している様子です。

岩手県での炊き出し

岩手県大槌町で行った炊き出しの下ごしらえをしている様子です。250人分の食事を用意することは相当な力仕事でした(左)。右の写真は、岩手県陸前高田市での地域の人々との昼食会(炊き出し)です。

被災した家の修理と、一軒一軒回っての物資支給

地震でかみ合わせが悪くなり開閉できなくなってしまったAさん宅の扉を、修理している様子です(左)。被災地の一軒一軒に声をかけて、物資を届けました(右)。

2011年5月22日

第7次:5月15日(日)~19日(木) 陸前高田市、大槌町で炊き出し

今回は屋外での炊き出しがあったのにもかかわらず、天気予報は2~3日連続で70%雨でした。ところが、なんと全日程が晴天になりました。奇跡的な天気で御名を崇めました!

16日(月)陸前高田キリスト教会で炊き出し。近所の人々を招いてランチと交わりの時。周りは一面がれきの山ですが、この教会の隣(手前)で津波は止まったので、教会に目に見える被害は何もないです。この教会の周辺に10数件の家が取り残されています。テーブルにナフキンを敷き、コンビーフのトマト煮とぜんざいを用意。5歳の男の子、近隣の主婦、介護職の夜勤に備えている青年など8名の方々と森田牧師夫妻と、交わりつつ食事をしました。食事後、美容師のTさんが皆さんのカットをさせてもらったが、大変喜ばれました。陸前高田教会には最近毎回のように訪れており、地区の方々と良き交わりがなされているので、打ち解けた良い交わりが持てました。「水」だけは依然、回復しておらず、日に3回給水車が回って来ます。電気は、10日ほど前に、やっと回復。その日に新たに二人に方の遺体が近くで見つかっています。




夜のうちに次の日の仕込みです☆毎回250食で2種類☆結構な体力仕事です(笑)



一関市から大槌町の移動は5時間ほどで遠いですが、大自然が疲れを癒してくれます。牛牧場まであります・・・!






17日(火)5時30分起床で11時に大槌町到着。壊滅した市街地よりほんの少し内陸に入った、A公園に到着。海から10Kほど離れている場所です。同じ公園の中でTさんのカットサービスも行いました。すぐ何人かの列が出来ました。天候も守られ晴天☆外見は特に被災していない普通の住宅地だが、ここは被災して家を流された人たちが、空家を探して住み込んだり、被災した方々が知人・親族をたよって同居されていたりで、直接被災されている人々が大勢おられます。そのためどの家も結構、8人など大家族で住んでいる家が多く、皆さんお鍋を持参して「8人家族なので8人分ください」などと、持ち帰っておられた。広告ができないので、一軒一軒3時間半かけて訪ねたり、車で拡声器を用いて案内したり(担当の方より、「案内が行き届かないと、後でクレームが出るので、出来るだけ案内は地域に行き渡るように」と言われていた)ので、地域の方々が次々に出て来られ、コンビーフの野菜たっぷりトマト煮が250食、ぜんざい300食が配られました。このような地域の方々は、やはり心がずっと緊張しているので、心を和ませる機会を求めているとおっしゃっておられました。また必要な物資があっても、避難所にも取りに行けないそうです。あるお母さんは、子供たちのためのマスクが欲しい、シャンプーが欲しいと言っておられました。Tさんは休みなしでカットを続け30人程のカットをしてくれました。待っている方々とも交わることが出来、被災の様子を聴いたり、一緒に歌を歌ったりしました。一般の歌も歌いましたが、「君は愛されるため生まれた」を歌った時は涙ぐむ方も多かったです。中には、「妹を亡くして、遺体がやっと見つかったが一カ月以上もDNA鑑定の結果を待っている」と涙ながらにむせびながら話してくださる方もいました。参加者の一人アメリカ人のBさんは言葉の壁がありましたが、子供たちとはすっかりうちとけて、人気者になってよく遊んでいました。





18日(水)ボランティアセンターで紹介して頂いた、避難所になっているC小学校(この付近に120人が避難所生活)に到着。大槌町の市街地からかなり内陸(20Kmほど)に入った緑に囲まれた小学校。調理室があいていたので、調理室が使える事になり水道も使えて、良い環境で準備する事が出来ました。ほとんどの人たちが働きに出掛けたり、家が残っている方々は片付けに出掛けたり、スクールバスで1時間離れた学校に行っていたり・・・と、避難所に残っている方は少なかったのですが、それでも40人程は避難所にいらっしゃりました。C小学校で野菜トマト煮とぜんざいを作り、避難所に残っている方々に食べて頂き、帰って来る方々の分を残してきました。この避難所には自衛隊も駐屯しているので、自衛隊の方々にも食べて頂き本当に喜ばれました。前日同様、野菜トマト煮、ぜんざいを250食を(・・・カット)作りました。





Tさんは、最初避難所でカットサービスをする予定でしたが、既に3人の美容師が、カットや毛染めのボランティアに入っており、車で10分ほどのある施設でカット奉仕をする事になりましたが、そこの専属美容師が津波で流されたためにみなさん3月からカットをしていないということでとても喜ばれました。


2011年5月8日

第6次(岩手チーム):5月2日(月)~6日(金) 一関市、陸前高田市、大槌町、気仙沼市

5月2日の朝5時に出発でした!被災地では、渋滞防止のために、毎日、早寝早起きの生活になります。そこでまず、岩手県一関市(いちのせきし)に拠点となる一軒家を借りることになりました。物資支援としては、今回は乳幼児用品がほとんどでした。服、オムツ、通学かばん、靴、おしりふき、靴下、お菓子・・・をもって保育所と幼稚園を巡りました。

陸前高田市:陸前高田キリスト教会を通して複数の地元の幼稚園に直接物資が届けられました☆



気仙沼市:全壊した、教会跡に、十字架が堂々と立っており、復活のシンボルのように見えました☆



2日間、写真整理のボランティアと物資支援をしました。写真整理では、泥まみれになったアルバムや写真を一枚ずつ丁寧にきれいな雑巾で拭いていきます。水洗いが必要と判断された時には水洗いをし、洗濯ばさみで干して乾かします。きれいになった写真は展示されて、持ち主のもとに戻ります☆GW期間中には、本当にたくさんの人たちが「あった~☆」「これ私の☆」と歓声を上げて喜んで写真を手にしておられました。







高台から見た大槌町の中心部


被災地に咲く美しい花々☆「復興」「希望」が感じられます!




第6次(宮城チーム):5月2日(月)~6日(金) 石巻市

宮城チームは、石巻市で、中国語部と青年会が合同で炊き出しに行きました。本物の中国人のシェフによる炊き出しです☆長~い行列ができています。





ペンの配布に大喜び☆どれにしようかな?



帰りの様子(満潮時刻のために冠水しています)


2011年5月3日

一関に新拠点!~5月2日、祝:一軒家を借りました☆~

淀橋教会から岩手県の一関(いちのせき)の拠点まで車で高速を使用しても約7時間です。


最近よく向っている大槌町までは、一関市から高速を使用しても車で4時間ですが、そのうち1時間はものすごい山越えです。大槌には宿泊先も全くありません。すべて流されているからです。テントをはるのも禁止されています。とにかく、行くだけでも大変です。だから、リピーターで行く人はほとんどいません。それ故に、地元の人に感謝されます。

今後は、一関をベースにしながら、おもに岩手県の大槌町(おおつちちょう)などの支援になってくる感じです。もちろん、ニーズがあれば、宮城県にも行きますが、すでに宮城県は多くの行政も、民間も、教会も継続的に支援に入っているので、アガペーCGNは、あえてみんなの行かない、足場の悪い大槌町に支援に行きます。大槌町には宿泊場所も教会もなく、拠点にできるところがありません。東は海、北の山田町(やまだちょう)も、南の釜石市(かまいしし)も沿岸部のために被災地・・・。西は、遠野市で、目に見える被害は特にないですが、とにかく大きな森・・・。