物資の積み込み作業と、人力でのガソリン給油

灯油、米、水、お菓子、カイロ、防寒着、タオルなどの物資を積み込んでいる様子です(左)。被災地ではガソリンスタンドは津波で流されていましたが、地下にあるガソリンタンクは無事で、人力でガソリンを支給しました(右)。

被災地の小学校でのコンサート

岩手県のA小学校でのコンサートの様子です。1年生が特にノリノリでした。演奏に合わせて、全身でトトロの「さんぽ」などを歌ってくれました。

泥だし作業

海から2Kmぐらいの場所にあった事務所も、1.5m床上浸水の被害に遭っていました。次の日に海水は引きましたが、3cmの泥がたまっており、そのこびりついた泥を掃除している様子です。

岩手県での炊き出し

岩手県大槌町で行った炊き出しの下ごしらえをしている様子です。250人分の食事を用意することは相当な力仕事でした(左)。右の写真は、岩手県陸前高田市での地域の人々との昼食会(炊き出し)です。

被災した家の修理と、一軒一軒回っての物資支給

地震でかみ合わせが悪くなり開閉できなくなってしまったAさん宅の扉を、修理している様子です(左)。被災地の一軒一軒に声をかけて、物資を届けました(右)。

2011年3月27日

第1次:3月20日(日)~25日(金) 仙台市周辺、気仙沼市、陸前高田市に物資支援

今回は、米、レトルトごはん、パン、インスタント食品、水、お茶、ポカリ系の飲料水、野菜ジュース、栄養ドリンク、ふりかけ、防寒衣料、毛布、カイロ、薬、トイレットペーパー、ティッシュペーパー、ウェットティッシュ、タオル、マスク、聖書、漫画(まんが)聖書、おもちゃ、大量の灯油などを4トントラックと、バン3台に詰めこんで出発しました。宮城県では仙台市(かなり広いです)、多賀城市、女川市(おながわし)、石巻市(いしのまきし)、気仙沼市(けせんぬまし)、岩手県では陸前高田市などにむかいました。


仙台市では、仙台港から教会の関係の人を通して島にも物資を送っていただきました。島には、多くの高齢者がお住まいですが、食べ物も物資もなく非常に困っていたので、大変喜ばれました。しかし、すぐにそのまま食べられる食べ物(電気・ガス・水のライフラインが止まっているため)以上に、意外に何よりも求められたのはなんと「ガソリン」でした。



地震そのものというよりは、津波によって大きな被害を受けています。震災後12日たっても、海岸線沿いの地域では、ライフライン(水、電気、ガス)の3つがそろっているところは、非常に少ないです。通常電気の復旧が一番早く、水の復旧は遅いです。場所によっては、海から15Kmの場所でも全壊で、すべてのライフラインがとまっているところもたくさんありました。


行政側もたくさんの物資を、倉庫に送っていますが、現地で運ぶ人がいません・・・。たくさんの物資が倉庫であふれかえっているにもかかわらず、本当に必要な人のところには届いておらず、避難所でも、在宅の方も孤独死されています・・・。そのような中、行政や大きな団体が届かない、地域、人々に直接救援物資を届けるのがアガペーCGNです。持って行ったものは、必ず運びきってかえります。広場で物資の無料配布をおこなったり、車を徐行させて「パンいりませんか?」「ごはんいりませんか?」「食べ物ありますよ~」と大きな声で叫んだりすると、各家から次々と人が出てきて「パンください!!!」と喜んでもらってくださいました。


参加者の中にゴスペル歌手がおられたので、避難所でコンサートを行いました。涙を流して喜ばれました。参加者の中にゴスペル歌手がおられたので、避難所でコンサートを行いました。涙を流して喜ばれました。



ボランティアの受け入れは、まだまだです。理由は、現地が、ライフラインがそろっていないうえに、ガソリン不足、物資不足、宿不足のためです。ボランティアを希望する人は、衣食住、移動手段をすべて自分で確保しての上での活動となります。行政が行っているボランティアの内容は、おもに「道路や家の中の泥かき」「がれきの撤去」です。


第1次:報告会

200名以上の方々が第1陣の報告会に参加してくださりました。熱心に心と目と耳を傾けてくださっています。


第1陣:水、ガソリンを求めて

宮城県仙台市、塩釜市でさえ、私たちが使用した道沿いには一軒もガソリンスタンドがあいていませんでした。どこのガソリンスタンドにも何キロにもなる車の大渋滞(列)ができています。夜になると車内に人はおらず、また朝になると車に戻ってきていつ来るかわからないガソリンを待つ大勢の人々・・・。車の中の人たちに話を聞いてみるとほとんどの人たちが「今日で3日以上待っています。ガソリンがないと死んでしまいます。」とおっしゃられていました。

ガソリンさえあれば、音信不通の愛する家族を探しに行けるし、物資の豊かな地域に買い出しにも行けるからでした・・・。震災後2週間目でもガソリンを待っている人に話を聞くと「4日間待っています。家には何も食べるものがありません。近くのコンビニはオープンの見込みがないです。大きなスーパーには、オープンの2時間以上前からディズニーランドほどのものすごい人だかりで、とてもパンなどのすぐに食べられるものを買えるとは思えないので、ガソリンを入れたら被災のなかった町まで買い出しに行きたいのです・・・。」とおっしゃるので、私たちがもっていた食べ物を渡すと、涙を流して喜ばれました・・・。







2011年3月26日

第1陣:教会訪問

震災後、各教会に電話連絡をし、安否を確認しました。宮城県内で連絡の取れない教会を優先的に訪問しました。今回奇跡的な生還をされた牧師先生方や被災地域の教会にお見舞いに行ってまいりました。

陸前高田キリスト教会


100メートル先は町全体が壊滅状態。店もガソリンもなく、買い出しにも行けず、孤立している感じです。電気、水、ガス・・・すべて止まっています。

ほんの少し高台になっているのですが、津波が来た時に、牧師夫妻は必死に祈ったようです。すると教会の1件手前で真っ黒な津波は止まったのです!!!真っ白な教会は全くよごれることなく、きれいなままでした。また、ほとんど食べておらず、ライフラインも3つとも全くないのに、「ハレルヤ!神様感謝します!」と、とても元気で信仰の厚い牧師夫妻でした。真っ暗の中、わずかな灯油だけが残っており、その灯油でストーブをたき暖をとっておられました。車に残っていた物資をすべておいていきました。




上の写真3枚は、仙台市のシーサイドバイブルチャペル(全壊)とその周辺の写真です。牧師ご夫妻とお祈りの時を持ちました。

宮城聖書教会(1階礼拝堂浸水)
 特に印象にのこっておられる先生の一人です。地域の町内会長でもあり、住民のみんなの避難を誘導している最中に、教会まで来たところで真っ黒な津波が後ろから押し寄せてきて、教会の2階までなんとかたどりついたようです。2階までの床上浸水で、水がひくことはなく、2日目に水の中脱出を試みられましたが、30分進んだところで胸の痛みが限界になり、教会の二階に再びもどられました。ただただ祈り続けられました。奥様と愛犬と一緒に4日目に自衛隊によって救出されました。


他にも、宮城県の12件ほどの教会を訪問しました。

第1陣:被害の様子 塩竈市、気仙沼市、女川市、陸前高田市

第一陣で支援に向かった塩竈市、気仙沼市、女川市、陸前高田市の被害の様子です。
















2011年3月20日

3日間の準備

立ち上げから出発までの準備期間は実質3日間。すでに4トントラックのレンタルの手配ができているのに、なんと中に入れる物資が手に入らない・・・。


東京では、水・お茶・米・トイレットペーパーが店から姿を消し、問屋に注文しても「ガソリンがないので配送できない」「注文がいっぱいで間に合わない」ということでした。レトルトごはん、カップラーメン系、缶詰のくだものやおかず、チーズ、果物、乾電池、ティッシュペーパーは「おひとり様1点まで」と表示されており、数人で何度もレジに並びました(笑)。とにかく朝から晩まで必死にかき集めました。でも、それだけではとても追いつかないので、それぞれの知人にお願いし、全国から米や乾電池、携行用のガソリン缶などを速達で郵送してもらいました。私たち東京にいるものも、今までのような食事ができなかったのですが、もっと困っている東北地方に届けるようにしました。中には「私たちが食べたい~」と思うときもありましたが、その思いをささげて物資を集めていると、神様が次々と道を開いてくださり、当時、東京では誰もが「手に入らない」と嘆(なげ)いていた一つ一つの物資が、ちょうど私たちが店に行ったときに入ってきて、次々と購入することができました。


また、東京でもガソリンの確保が大変でした。何時間も待ってようやく、給油の順番が回ってきたのに「一台につき20Lまで」と言われショック・・・まだ満タンにならないのでもう一度別のガソリンスタンドに並ぶ・・・結局ガソリンを満タンに給油するのに東京でさえ5時間以上かかったのです。給油の順番を待っている際に色々なことを考えました・・・『東北道(高速)を走っている間は、緊急車両に指定されているので給油できるが、現地で下道に降りたらガソリンスタンドそのものが閉まっている・・・。果たしてどうなることやら・・・』。